1924年版『バグダッドの盗賊』の魅力と影響 — フェアバンクスのスペクタクルと映画史的意義

はじめに — 伝説的スペクタクルの誕生

1924年公開のサイレント映画『バグダッドの盗賊』(The Thief of Bagdad)は、ハリウッド黄金期におけるファンタジー映画の金字塔の一つです。主演および製作を務めたダグラス・フェアバンクスのスター性と贅を尽くしたプロダクションデザインが結びつき、観客に徹底した「夢の世界」を提示しました。本コラムでは、本作の制作背景、映像表現、テーマ分析、当時の評価と現代的な再評価、そして後世への影響までを詳しく掘り下げます。

基本データと主要スタッフ・キャスト

『バグダッドの盗賊』(1924年)は、ラウル・ウォルシュ(Raoul Walsh)が監督を務め、ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks)が主演・製作を兼任しました。ヒロイン役はジュラン・ジョンストン(Julanne Johnston)が演じ、またアンナ・メイ・ウォン(Anna May Wong)が端役で出演していることでも知られています。物語は『千夜一夜物語』のモチーフを借用したオリエンタルなファンタジーで、豪華絢爛な舞台美術と視覚効果が最大の見どころとなっています。

あらすじ(概説)

物語は腕っ節と機転で生きる“盗賊”の青年が、ある王国の姫君に恋をし、数々の冒険と魔法的試練を経て幸福を勝ち取るという王道の筋立てです。魔術師や怪物、魔法の道具といったファンタジー要素が連続し、主人公の身体性(フェアバンクスのアクション)は物語の推進力になっています。細部に関しては版やカットにより差異がありますが、全体として〈冒険〉と〈恋〉、〈変身と試練〉が中心テーマです。

制作背景とフェアバンクスの意図

1920年代、フェアバンクスはスリリングで身体表現に富む冒険譚を得意とし、自身のスター像を確立していました。『バグダッドの盗賊』はその延長線上にあり、彼の陽気で機敏なヒーロー像を最大限に活かすための大型プロジェクトでした。資金と技術力を投入して異国情緒あふれるセット、群衆シーン、特殊撮影を実現し、観客に非現実的な没入体験を提供することが狙いとされました。

美術・視覚効果の工夫

本作の最も注目される点は、当時の技術で可能な限りの視覚的スペクタクルを詰め込んだことです。巨大な宮殿のセット、豪華な衣装、ミニチュアやマットペインティング、二重露光や合成技術を駆使した魔法的な演出などが挙げられます。カメラワークや編集はテンポを重視しており、アクションと幻想的場面が切れ目なく続くことで観客を飽きさせません。

フェアバンクスの身体表現とアクションの革新

ダグラス・フェアバンクスは本作でも自ら多くのアクションをこなし、その身体性が画面の大黒柱となっています。軽快な身のこなし、アクロバティックな動き、コミカルな表情の多用は、サイレント映画において俳優が視覚的に感情や性格を伝える必須の技法であり、フェアバンクスはこのジャンルの規範を作りました。以降の冒険・アクション映画におけるヒーロー像形成に大きな影響を与えています。

物語と装飾の二重性:夢の追求とオリエンタリズム

作品は夢のような異世界を提示する一方で、西洋から見た〈東洋的幻想〉が色濃く反映されています。豪華な装飾やエキゾティシズムは当時の観客にとって魅力でしたが、現代の視点からはステレオタイプ化や異文化の消費といった問題点も指摘されます。特に人種表象や女性像の扱いについては、当時の社会的文脈と照らし合わせた批評的検討が必要です。一方で、アンナ・メイ・ウォンの小さな出演は後に彼女の活動を振り返る上でも重要な手がかりになります。

公開当時の反応と興行成績

公開当時、本作はその豪華さとフェアバンクスの人気により広く注目され、批評家や観客からは概ね好意的な評価を受けました。視覚的スケールと娯楽性が称賛され、興行的にも成功したとされています。サイレント期の大作として、映画館の大スクリーンで見せることを前提とした演出が多く、当時の映画興行の構造と親和性が高かった作品です。

保存・復元の状況

サイレント映画の多くと同様に、オリジナル・ネガや完全版が失われたり断片化したりする問題がありました。現在では各国のフィルムアーカイブや研究者によって複数のフィルム素材を突合し、復元版や上映用プリントが作られています。資料的価値と映画史的価値の双方からアーカイブ保存の対象となっており、映像の断片やスチール写真、脚本類を総合して当時の制作実態を再構成する試みが続いています。

影響と後続作品への波及

『バグダッドの盗賊』はその後のファンタジー映画や冒険映画に多大な影響を与えました。特に1940年のアレクサンドル・コルダ(Alexander Korda)による同名のトーンが異なるリメイク作品への直接的影響や、ハリウッドにおける「豪華なファンタジー」の定型化に寄与しました。また、フェアバンクス流の身体表現はスター像の原型として、以降のアクション俳優やスワッシュバックラー(剣戟英雄)たちに受け継がれています。

現代における再評価と批評的見地

今日では、本作は古典的映画史の重要作として再評価されています。視覚的な革新性、プロダクションの規模、スターの存在価値といった点は賞賛される一方で、表象の問題(オリエンタリズム、人種・性別の描写)に関する批判的視点も強くなっています。映画史研究においては、技術史・興行史・文化史の交差点に位置する作品として多角的に分析されています。

鑑賞のためのポイント

  • フェアバンクスの身体表現を細部まで観察すること:彼の動きや表情が物語を如何に牽引しているか。
  • 美術と視覚効果の技巧:当時の撮影・合成手法がどのように幻想を作り出しているか。
  • 物語の視座:東洋描写や性別表象を現代の視点で読み直すこと。
  • 版の違いを意識すること:現存プリントにはカットや再編集の差があり、版によって見え方が変わる。

まとめ — 夢見る映画の古典

『バグダッドの盗賊』は、単なる娯楽作を超えて、映画が「夢」をどのように視覚化し、大衆に提供してきたかを示す好例です。フェアバンクスのスター性、当時の映画技術の集積、そして大衆文化としてのオリエンタリズムが交錯する地点に位置する本作は、映画史・文化史の観点から学ぶ点が多くあります。鑑賞する際は、その魅力を享受しつつ、時代背景や表象の問題に目を向けることで、より深い理解が得られるでしょう。

参考文献