めまい (1958) — ヒッチコックの傑作を深掘り:テーマ・技術・象徴のすべて

概要:作品の基本情報と位置づけ

『めまい(Vertigo)』は1958年に公開されたアルフレッド・ヒッチコック監督の長編映画で、主演はジェームズ・スチュワートとキム・ノヴァク。原作はフランスの作家コンビ、ピエール・ボワローとトマ・ナルセジャック(Boileau-Narcejac)の小説『D'entre les morts』(1954)。脚本はアレック・コッペルとサミュエル・A・テイラーによる翻案で、撮影はロバート・バークス、編集はジョージ・トマシーニ、音楽はバーナード・ハーマンが担当した。上映時間は約128分。公開当初は賛否が分かれたが、後年に再評価され、現代では映画史上の重要作として広く認められている。

あらすじ(ネタバレあり)

元警官で探偵のスコッティ(スチュワート)は、高所恐怖症とめまいのため職を離れ、友人のローソンの依頼で彼の妻マデリン(ノヴァク)を尾行する。マデリンは不可解な行動を繰り返し、古い伝説や過去の人物に執着する。スコッティはやがて彼女に惹かれるが、彼女を救えないまま悲劇的な結末を迎える。物語はその後、スコッティの執着と再生、そして“再創造”の試みへと移り、マデリンが実は別人であるという衝撃の事実と、結末の塔での対決に至る。

制作背景:原作からスクリーンへ

原作小説はフランスで人気を博したサスペンス作品で、ヒッチコックはその心理的なねじれに強く惹かれて映画化を決断した。脚色は単なるトリックの移植にとどまらず、映像的比喩や主観的視点の拡張を通して「視覚と記憶の不確かさ」を映画として探る方向に向かった。ヒッチコックは原作の“観察者の錯覚”を、画面構成や音楽、カメラワークで具現化することに注力した。

キャストと演技

ジェームズ・スチュワートは本作で従来の親しみやすいイメージを捨て、弱さと狂気を抱えた複合的な主人公を演じる。彼の演技は観客の共感を誘いつつ、次第に不安定になる視点人物として物語の核を担う。キム・ノヴァクはマデリンとジュディという二重性を演じ分けるが、実際にはメイクや衣装での変容を通して“男の欲望による再創造”を体現する役回りとなる。批評家の間でも、ノヴァクの演技は表現そのものより役割の象徴性が強調されることが多い。

撮影と技術革新:いわゆる“めまい効果(ドリー・ズーム)”

本作で最も有名な技術的発明は「ドリー・ズーム(Dolly Zoom)」、通称“めまい効果”だ。これはカメラを前後に移動(ドリー)させながらズーム率を反対方向に操作することで、画面内の人物の大きさをほぼ保ちつつ背景の遠近感を極端に変化させる手法で、スコッティのめまいを視覚的に表すために用いられた。このショットは被写体の心理状態を直接的に伝える強力な表現手段となり、以後多くの映画で引用されることになった。撮影監督ロバート・バークスとカメラチームの技術が結実した場面である。

音楽の役割:バーナード・ハーマンのスコア

バーナード・ハーマンの音楽は、映画の神経質で執拗な雰囲気を作り出すうえで欠かせない要素だ。弦楽器を中心にした旋律は、渦巻くようなモチーフを繰り返して登場人物の執着心や不安、夢幻的な状態を増幅させる。音楽と映像が高い同期性を持ち、感情の高まりや心理の崩壊を効果的に演出している。

主題とモチーフ:執着、再現、二重性

『めまい』を通貫するテーマは「執着」と「再現」である。スコッティの行動は過去の喪失を埋め合わせようとする試みであり、彼が手に入れようとするのは実際の人物そのものではなく、自らの理想像だ。映画は“他者を自分の欲望に合わせて作り変える行為”がいかに危険であるかを示す。加えて、二重性(ダブル):マデリンとジュディの関係、表と裏、現実と幻想の重なりが作品を通して反復される。

象徴表現:色彩・螺旋・鏡像

映像は色彩とモチーフによって豊かに象徴化される。緑色はマデリン/ジュディに関連付けられ、欲望や死の予兆を含むことが多い。もう一つの重要なモチーフは螺旋(渦)で、サンフランシスコの階段、風車、髪の巻きなど、視覚的に何度も繰り返され、精神の落ち込みや運命の循環を示唆する。鏡や反射、視線の配置も「視ること/見られること」の問題を掘り下げる装置として機能する。

ロケ地と美術:サンフランシスコの都市風景

物語の舞台となるサンフランシスコは単なる背景ではなく、登場人物の心理と結びついた象徴的な空間だ。特にミッション・サン・フアン・バティスタ(Mission San Juan Bautista)の鐘楼は物語のクライマックスを担い、古い教会や丘、渦巻く階段などのロケーションが物語の運命論的な色合いを強める。ヒッチコックは都市の地形を物語装置として緻密に利用した。

編集と語り口:主観性の操作

編集は映画の主観的語りを支える重要な要素だ。時間の扱い、回想と現在の交錯、そして観客に与える情報の制御は、スコッティの視点を通して物語が進むことを保証する一方で、真実を徐々に露わにするというサスペンスの構造を作る。ジョージ・トマシーニの編集はテンポと緊張を巧妙に管理している。

公開時の評価とその後の再評価

公開当初は批評家と観客の反応が分かれ、興行的にも期待ほどの成功を収めなかった。しかし1960年代以降、特に映画研究や精神分析的解釈が盛んになるにつれて再評価が進んだ。2012年の『Sight & Sound』批評家投票で『めまい』が史上初めて1位に選出されたことは、作品の評価が如何に変化したかを象徴する出来事である(以降の年でもリスト入りを続け、映画史上の重要作としての地位を確立している)。

批評的論点と解釈の多様性

『めまい』は単一の読みだけでは語り尽くせない作品であり、以下のような多様な解釈が存在する。

  • 精神分析的読み:スコッティの欲望と抑圧、トラウマの再現と転移。
  • フェミニズム的読み:女性が男性の欲望の対象として再構築されるプロセス、主体性の剥奪。
  • 視覚論的読み:映画そのものが「視る行為」を問い直すメタ的構造。
  • 存在論的読み:現実とイメージの分離、アイデンティティの脆さ。

影響と現在への遺産

本作は後続の映画作家や作品に多大な影響を与えた。観念的な物語構造、主観ショットの活用、視覚的モチーフの精緻な反復は多くの監督に参照され続けている。また、映画学や美学の教材としても頻繁に取り上げられ、映像表現の可能性を示した作品として学術的にも重要視される。

結語:なぜ『めまい』は観続けられるのか

『めまい』が時代を超えて支持される理由は、単なるサスペンスの面白さにとどまらず、映画という媒体が持つ「視覚的想像力」と「観客の主体性」を揺さぶる力を巧みに引き出している点にある。個人的な欲望と客観的な真実の衝突、過去の再構築がもたらす倫理的・美学的問題は、観る者に常に新たな問いを投げかける。ヒッチコックはこの作品で、観客自身が「めまい」に陥るような感覚を創出し、映画表現の深みを提示したと言える。

参考文献