1960年代の映画史:革新と転換 — ヌーヴェルヴァーグからニュー・ハリウッドまで
イントロダクション:1960年代映画の意義
1960年代は映画史における劇的な変化の年代であり、表現の自由化・技術革新・社会的変動が交差した時代でした。伝統的なスタジオシステムの崩壊に伴い、国際的にはヌーヴェルヴァーグやイタリアン・アートシネマ、日本の新世代監督、ブラジルのシネマ・ノーヴォなど多様なムーブメントが勃興しました。一方、アメリカではレーティング制の導入や若者文化の台頭が映画内容と制作体制を変え、1969年の『イージー・ライダー』に象徴されるニュー・ハリウッドの萌芽が見られます。
社会的・文化的背景
1960年代は冷戦、ベトナム戦争、市民権運動、性革命といった社会的激動の時代でした。こうした外的要因は映画のテーマやトーンに直接反映され、政治的・社会的メッセージを含む作品が増加しました。またテレビの普及により映画は観客の注意を引くために大画面ならではのスケールやショック、性的描写や暴力表現の解放を模索するようになります。1968年にはアメリカでMPAAによる映画レーティング制度(G, M/GP, R, Xの前身)が導入され、従来のハリウッド自主規制(Production Code/ヘイズ・コード)は事実上終焉を迎えました。
技術革新と産業構造の変化
シネマスコープやカラー撮影は既に1950年代から導入されていましたが、1960年代にはワイドスクリーン、伊語・仏語のオリジナル作品が国際市場で注目され、撮影・編集技術や音響の実験も活発化しました。スタジオシステムの収益性低下により、低予算でのロケ撮影やインディペンデント製作が増え、製作の自由度が高まったことが新しい表現を生み出しました。
ヨーロッパの革新:フランス・イタリア・北欧
フランスのヌーヴェルヴァーグ(新しい波)は1950年代末から1960年代にかけて最高潮を迎え、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960)やフランソワ・トリュフォーの初期作は既成の映画文法を破壊し、ジャンルや編集、語りの実験を加速させました。イタリアではフェリーニの『甘い生活』(1960)や『8 1/2』(1963)、ミケランジェロ・アントニオーニの『情事』(L'Avventura, 1960)などが内的世界やモダニズム的断片を映像化しました。
- ヌーヴェルヴァーグ:軽装のロケ撮影、即興的演出、ジャンル批判(出典:Britannica)
- イタリアン・アートシネマ:個人の疎外や存在主義的テーマ(出典:Criterion)
- 北欧:イングマール・ベルイマンの心理劇(『おとこ/おんな』など)による内面描写の深化
アメリカ:保守から解放へ、ニュー・ハリウッドの萌芽
1960年代初頭のハリウッドはまだ大作・スター中心でしたが、次第に青年文化や反権力的精神を取り込むようになりました。ヒッチコックの『サイコ』(1960)は物語と観客期待の裏切りを通して商業映画でもショック表現が可能なことを示しました。1967年の『俺たちに明日はない』(Bonnie and Clyde)は暴力描写と反英雄を描き、興行的・批評的に大きな影響を与えました。1969年の『イージー・ライダー』は低予算映画の商業的成功と制作側の自由を象徴し、1970年代のニュー・ハリウッドを準備しました(出典:Britannica, BFI)。
ジャンルの再編:スパイ映画、スパゲッティ・ウェスタン、ホラー
1960年代はジャンルの再編が進んだ時期でもあります。1962年の『007 ドクター・ノオ』以降、ジェームズ・ボンドシリーズはスパイアクションの定義を作り出しました。一方、セルジオ・レオーネらのスパゲッティ・ウェスタン(『荒野の用心棒』1964年、『夕陽のガンマン/続・夕陽のガンマン』1966年など)は、西部劇の冷徹な語りとスタイリッシュな映像を輸出しました。ホラー分野ではアルフレッド・ヒッチコックのようなサスペンスから、より露骨で心理的な恐怖へと移行が見られます。
日本映画の変化と新しい波
日本では1950年代の国際的成功(黒澤明、小津安二郎など)に続き、1960年代に新世代の動きが顕著になりました。小津は1963年に逝去しましたが(注:小津安二郎は1963年に死去)、黒澤は『用心棒』(1961)、『天国と地獄』(1963)などで多様なジャンルを探り、1965年の『赤ひげ』は黒澤の復帰作として知られます。実験的で政治的な作品群も増え、大島渚の『日本の夜と霧』(1960)や『傷だらけの天使』的な作風、鈴木清順や鈴木則文の映像的実験、そして西部劇的影響の強い時代劇の新解釈が展開されました。若年層を主題にした映画も増え、産業面では松竹や東宝といった大手の制作体制の揺らぎが見られました(出典:Britannica)。
アジア・ラテンアメリカの台頭
インド映画界では商業的なボリウッド作品が隆盛を続ける一方で、サタジット・レイらが高い芸術性を保ち続けました(例:レイの『チャルラータ』1964)。ラテンアメリカではブラジルのシネマ・ノーヴォが政治的・社会的批評を映画に持ち込み、グラウベル・ローシャの『黒い神と白い悪魔』(1964)などが国際的注目を集めました。これらは各地域の文化的自覚と映画の社会参加を強める潮流でした。
代表的作品とその影響(抜粋)
- 『勝手にしやがれ』(1960、ジャン=リュック・ゴダール)— ヌーヴェルヴァーグの象徴、編集と語りの実験(出典:Britannica)。
- 『サイコ』(1960、アルフレッド・ヒッチコック)— サスペンス映画の新基準、物語的ショックの応用(出典:BFI)。
- 『甘い生活』(1960、フェデリコ・フェリーニ)— メディア社会と虚無を描くイメージの連鎖(出典:Criterion)。
- 『荒野の用心棒』(1964、セルジオ・レオーネ)— スパゲッティ・ウェスタンの原型、スタイリッシュな編集と音楽の重要性。
- 『博士の異常な愛情』(1964、スタンリー・キューブリック)/『2001年宇宙の旅』(1968)— ブラックユーモアと宇宙叙事詩で1960年代に到達した技術的野心(出典:Britannica, Criterion)。
- 『イージー・ライダー』(1969、デニス・ホッパー)— カウンターカルチャー映画の商業的成功と制作形態の転換(出典:Britannica)。
表現の自由と検閲の変化
1960年代は性的描写や暴力表現に関する規制が緩和された時代でもあります。アメリカでは前述のMPAAレーティング制(1968年)が導入され、これにより製作者は従来のヘイズ・コードに縛られずに題材を扱えるようになりました。ヨーロッパ各国でも映画祭や批評の場で過激な作品が擁護され、公的検閲に対する論争が活発化しました。結果として映画の内容はリアリズムと実験性の双方で拡張しました(出典:MPAA史料、BFI)。
批評・興行・産業への影響
1960年代の映画は、批評的評価と興行成績の双方で従来の枠組みを揺るがしました。国際映画祭(カンヌ、ヴェネツィア)での評価が国家的な映画政策や輸出に影響を与え、批評家の権威が強まる一方、若年層をターゲットにした作品が新たなマーケットを生みました。映画制作の資金調達方法も変化し、共同制作や国際的配給ネットワークの形成が進んだのもこの時期です。
今日への遺産と総括
1960年代の映画は、物語表現、編集、音楽、映像美術、主題の自由度の面で現在の映画的語法の多くを成立させました。ヌーヴェルヴァーグの即興性やアントニオーニの空間表現、レオーネの編集・音楽の融合、キューブリックの叙事詩的スケール、ニュー・ハリウッドの反英雄的な語り口などは以後の世代に大きな影響を与え続けています。政治的・社会的文脈を反映した1960年代の作品群は、映画が単なる娯楽を越えて時代の記録・批評装置となり得ることを示しました。
参考文献
- Britannica: French New Wave
- Britannica: Alfred Hitchcock
- BFI: What was New Hollywood?
- Criterion Collection: essays on major films (search individual titles)
- Britannica: Spaghetti Western
- Britannica: Motion Picture Association (MPAA) history and ratings
- Britannica: Satyajit Ray
- Wikipedia: Cinema Novo (参考としての概説)
投稿者プロフィール
最新の投稿
IT2025.12.13F10キーの完全ガイド:歴史・OS別挙動・開発者向け活用法とトラブルシューティング
IT2025.12.13F9キーの全貌:歴史・OS・アプリ別の挙動と活用テクニック
IT2025.12.13F8キーの完全ガイド:歴史・実用・トラブル対処(Windows・アプリ・開発者向け)
IT2025.12.13F7キー完全ガイド:歴史・OS別挙動・IME・アクセシビリティ・開発者向け対処法

