ラース・フォン・トリアー:論争と天才 — 作家性・技法・影響を深掘りするコラム

イントロダクション:論争の中心に立つ作家

ラース・フォン・トリアー(Lars von Trier、1956年4月30日生まれ)は、現代映画を語るうえで欠かせない〈異端の巨匠〉である。デンマーク出身の彼は、観客と批評家を同時に挑発し続けてきた。物議を醸す発言や過激な描写が注目されがちだが、その根底には一貫した美学と倫理的な問いかけがある。本稿では、フォン・トリアーの生涯概観、代表作、作風・主題の分析、Dogme 95とZentropaの役割、主要な論争、そして映画史への影響をできるだけ正確に整理する。

略年譜とキャリアの節目

フォン・トリアーはコペンハーゲン生まれ。彼はデンマーク国立映画学校(National Film School of Denmark)で学び、1980年代から長編・実験的作品を発表し始める。初期作には『The Element of Crime』(1984)や『Epidemic』(1987)などがあり、早くから独自の映像世界を提示した。1990年代には『Europa』(1991)やテレビシリーズ『リゲト(Riget / The Kingdom)』(1994)を手がけ、1992年には共同で映画製作会社Zentropaを設立する。

1995年、フォン・トリアーは同世代の監督たち(トマス・ヴィンターベア、クリスチャン・レヴリング、ソーレン・クラフ=ヤコブセン)と共にDogme 95を提唱。これは映画制作の「純潔」を唱えるムーブメントで、後述する“Vow of Chastity(純潔の誓い)”を掲げた。1996年以降、彼の国際的評価は『Breaking the Waves』(1996)や『Dancer in the Dark』(2000)で急速に高まる。特に『Dancer in the Dark』は2000年カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを獲得した(監督としての最大の国際的栄誉の一つ)。その後も『Dogville』(2003)や『Melancholia』(2011)、二部作の『Nymphomaniac』(2013)など話題作を次々に発表した。

主な代表作と特徴

  • The Element of Crime(1984)— ダークでスタイライズされた犯罪幻想。映像と音響の実験性が顕著。

  • Europa(1991)— 戦後ヨーロッパの不安と良心の問題を映像的に描く作品。

  • Breaking the Waves(1996)— 信仰、犠牲、愛の極端な物語。登場人物の倫理的ジレンマと観客の共感を試す。

  • Dancer in the Dark(2000)— ビョーク主演のミュージカル的悲劇。カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作(2000)。

  • Dogville(2003)— 最小限の舞台装置で社会の残酷さを寓話的に暴く実験作。

  • Melancholia(2011)— 終末感と個人的鬱の融合。クレッシェンドする映像詩学が特徴。

  • Nymphomaniac(2013)— 性と欲望をめぐる長編二部作。倫理と観察の境界を問う。

作風・主題の分析

フォン・トリアーの映画はしばしば以下の要素で論じられる。

  • 苦悩と救済の倫理学 — 彼の登場人物はしばしば極端な苦しみを背負い、その選択は宗教的・道徳的問いを観客に投げかける。『Breaking the Waves』のベスの自己犠牲は、観客に同情と嫌悪の両方を引き起こす。

  • 形式と実験 — Dogme 95以前から実験的表現を追求しており、『Dogville』の舞台装置的手法や『Melancholia』の長回し・写真的構図など、映画言語の限界を試す。

  • 音楽の劇性 — 音楽を物語的に用いることが多い。『Dancer in the Dark』でのビョークの音楽的表現は物語と感情を直截に結びつけた。

  • 観客との挑戦的関係 — 共感を強引に試す手法、あるいは観客の倫理的立場を問うことで、鑑賞体験そのものを問題化する。

Dogme 95とZentropa:制度への反逆と産業的実践

Dogme 95(1995)は、「純潔の誓い(Vow of Chastity)」というルール群を掲げ、過剰なプロダクションや人工の照明・特殊効果を排し、物語と演技に帰依することを目指した。フォン・トリアー自身はDogme的な作品だけを作り続けたわけではないが、この運動は1990年代のヨーロッパ映画に大きな衝撃を与えた。

一方でZentropa(1992)は、フォン・トリアーとプロデューサーのペーター・オールベーク・イェンセンらが設立した製作会社で、デンマーク映画の国際化に寄与した。Zentropaは商業性と芸術性の両立を図り、多くの国際的な共同製作を手がけている。

主要な論争と批判

フォン・トリアーは常に論争の中心にいた。大きな出来事としては2011年のカンヌ映画祭での発言がある。当時彼はコンペ審査委員長に任命されていたが、パーティでのユーモアを装った発言(ナチズムやヒトラーに関する不適切な発言)が公になり、映画祭側は彼を委員長職から事実上外す措置を取った。フォン・トリアーは後に謝罪したが、この事件は彼の国際的評価に影を落とした。

作品自体も性的表現や暴力表現、登場人物の女性像に対する批判を受けることが多い。『Nymphomaniac』では性描写の扱いが物議を呼び、倫理性や表現の自由をめぐる議論を再燃させた。また、共演者やスタッフへの扱いについても賛否があり、彼の演出スタイルはしばしば「苛烈」と形容される。

健康上の問題と近年の活動

2018年、フォン・トリアーは脳出血を含む深刻な健康問題を抱え、手術と長期のリハビリを経たことが公表された。以降は活動ペースが変わり、復帰作品やプロジェクトの公表は限定的になっているが、彼の過去作は依然として映画研究や批評の重要な対象であり続けている。

影響と遺産:なぜ彼を語るのか

ラース・フォン・トリアーの重要性は、単に挑発的なイメージにとどまらない。映像言語の実験、物語倫理の徹底的な問い直し、映画製作の制度批判(Dogme 95)と産業的実践(Zentropa)の両面にわたる業績は、現代映画における「作家性」のあり方を再定義した。後進の監督や批評家に与えた影響は大きく、彼の作品は学術的にもポピュラー文化的にも豊かな分析材料を提供している。

結語:矛盾を抱え続ける芸術家

フォン・トリアーは、観客に「正しい」感情や結論を与えることを拒む。むしろ彼は映画を通じて不快さや矛盾を引き起こし、そのなかで倫理と芸術の限界を問い続ける。賛否は分かれるが、その問いかけの強度と持続性こそが、彼が映画史に残す最も重要な遺産だと言えるだろう。

参考文献