1920年代映画スターの黄金時代:サイレントの巨匠とスター像の形成
イントロダクション:1920年代とは何だったか
1920年代は映画史における一つの黄金期であり、サイレント映画の表現が頂点に達した時代です。大衆文化としての映画が定着し、ハリウッド中心のスタジオ・システムとスター制度が確立されました。映画館は社交の場となり、スターは雑誌・ポスター・映画館のロビーを通じて全国的な知名度を獲得しました。本稿では代表的スターの紹介に加え、スター誕生のメカニズム、社会的影響、サウンドへの移行といった広い文脈から1920年代の映画スター像を掘り下げます。
主要スターとその代表作・特徴
- チャールズ・チャップリン(Charlie Chaplin) — コメディと人間ドラマを融合させた存在。代表作に『The Kid』(1921)、『The Gold Rush』(1925)、『The Circus』(1928)。トリックスター的な技巧だけでなく、社会批評を含む作品で幅広い共感を得ました。
- バスター・キートン(Buster Keaton) — 無表情な“石の顔”と大胆なスタントで知られる。『Sherlock Jr.』(1924)、『The General』(1926)など、映像的アイディアと正確なコメディ動線が高評価を受けています。
- ハロルド・ロイド(Harold Lloyd) — 都市生活者を描くコミカルなヒーロー像。『Safety Last!』(1923)のビルの壁をぶら下がる有名なカットは象徴的です。
- ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino) — 異国情緒系のロマンチック・スター。『The Sheik』(1921)、『Blood and Sand』(1922)で女性ファンを熱狂させ、1926年の早すぎる死は“群衆の悲嘆”として記録されました。
- メアリー・ピックフォード(Mary Pickford) — “America’s Sweetheart”と称され、スター商業化の先駆け。1919年にはチャップリン、フェアバンクスらとともにユナイテッド・アーティスツを設立して制作・配給の独立を追求しました。
- ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks) — アクション・ロマンスの人気者。スワッシュバッキング映画で“冒険の王”として知られ、『The Thief of Bagdad』などの大作を生みました。
- グレタ・ガルボ(Greta Garbo) — スウェーデン出身のミステリアスな美の象徴。1926年ごろからハリウッドでブレイクし、ジョン・ギルバートとの共演作などで人気を博しました(トーキー期にも成功)。
- クララ・ボウ(Clara Bow) — “It Girl”の代名詞となった都会的で自由な女性像の代表。映画『It』(1927)で国民的スターとなり、若者文化のアイコンになりました。
- リリアン・ギッシュ(Lillian Gish) — 表現力豊かな女優で、ドキュメント的な感情表現と長期にわたるキャリアで知られる。『The Wind』(1928)などで演技の深さが際立ちました。
- ラモン・ノヴァロ(Ramon Novarro)、ポーラ・ネグリ、セス・サユハワ(Sessue Hayakawa)ら — 国際色豊かなスターも活躍。ノヴァロは『Ben-Hur』(1925)等で異邦人の魅力を示し、ネグリやハヤカワは移民・外国人スターとしての成功と限界を体現しました。
スターの“作られ方”とスタジオ・システム
1920年代はスタジオが俳優と長期契約を結び、彼らのイメージを緻密に管理する時代でした。ポスター、プレスリリース、ファン雑誌(Photoplayなど)がスター像を大量生産し、衣装・ヘアメイク・パブリシティを通じて一貫したパブリック・イメージを作りました。スターの人気は興行収入に直結したため、スタジオはスターを“商品”として育成・保護しました。一方で一部のスター(ピックフォード、チャップリン、フェアバンクス)はユナイテッド・アーティスツを通じて制作側に立ち、契約関係の不均衡に対抗しました。
ファン文化とメディア
映画専用のファン雑誌や新聞の映画欄、写真付きのアートワークがスターを消費する文化を形成しました。劇場は“ムービー・パレス”と呼ばれる壮麗な建築で、映画鑑賞は一大イベントに。ファンレター、サイン会、街頭での出待ちなど、スターとファンの関わり方は現代のSNS以前の形で活性化しました。これによりスターは単なる俳優以上に社会的役割を持つシンボルとなりました。
ジェンダーと表現の変容
1920年代は女性の社会的地位や表現も変化した時期です。クララ・ボウのような“ボーイッシュ”で自立した女性像が流行し、映画は新しい恋愛観や性別役割の実験場となりました。しかし一方でハリウッドの制作現場や脚本では依然として男性中心主義が根強く、スター女優の給与格差や枠組みも存在しました。またスターの私生活はしばしばスキャンダルの対象となり、道徳的規範に関する社会的圧力(後述の自主規制の動き)を促しました。
レースと国際的側面
1920年代のハリウッドは国際的な才能を受け入れつつも、人種的ステレオタイプや配役の制約が厳しかった時代です。セス・サユハワ(Sessue Hayakawa)のように異国からのスターが成功を収めた例はあるものの、アジア系や黒人俳優は主流のロマンスや主人公役に恵まれず、脇役や敵役に限定されることが多かった。ヨーロッパやラテン系のスターも存在感を示し、国際興行を意識したキャスティングが増えていきました。
技術革新と表現の成熟
サイレント映画は音声に頼らない映像表現の精緻化が進んだ時代でした。カメラワーク、編集、照明、顔のクローズアップを駆使して感情を伝える技法が発達し、スターの“顔”は映画的語りの中心となりました。コメディではスラップスティックや物理的ギャグが磨かれ、ドラマでは表情の微細な変化が作品の深度を生み出しました。
映画産業の制度化:MPPDAと道徳的規制
1922年に設立されたMotion Picture Producers and Distributors of America(MPPDA)は、ウィル・ヘイズを長に置き映画業界の自主規制を進めました。1920年代後半にはいくつかのスキャンダルが報じられたこともあり、スタジオは世論対策としてさらに自己検閲を強化します。厳格な制作コード(Production Code)が本格的に施行されるのは1934年ですが、その萌芽は1920年代に見られました。
サウンドへの移行とスターの運命
1927年の『The Jazz Singer』(アール・ジャズ・シンガー、アル・ジョルソン主演)はトーキー時代の幕開けを印象づけました。サウンドの導入は多くのスターにとって試練でもありました。声質や演技の様式が評価基準になり、サイレント時代の人気がそのままトーキーへと移行しない例も多数ありました。一方でガルボやチャップリンのようにトーキーでも成功を収めた者もいました。スタジオは新たな技術投資を進め、映画製作の産業構造が再編されていきます。
1920年代スターの遺産と現代への影響
1920年代のスターや作品は現代映画に多くの影響を与えています。映像表現の基礎、スターシステム、ファン文化、映画産業の組織的枠組みはいずれもこの時代に形作られました。今日の俳優のイメージ管理、プロデュース機能、世界的マーケティングの原型はここにあります。また保存運動やサイレント映画研究により、当時の傑作が再評価され続けています。
結論:1920年代スターの多層的意義
1920年代の映画スターは、単にスクリーン上の顔ではなく、経済的、社会的、文化的に大きな意味を持っていました。彼らの人気は産業構造を動かし、国民的娯楽としての映画を確立しました。同時に人種・ジェンダー・道徳に関する当時の価値観も反映しており、スター研究は映画史だけでなく社会史を理解する重要な手がかりを与えてくれます。本稿が、1920年代のスター像を多面的に理解する一助になれば幸いです。
参考文献
- Charlie Chaplin | Britannica
- Buster Keaton | Britannica
- Harold Lloyd | Britannica
- Rudolph Valentino | Britannica
- Mary Pickford | Britannica
- Douglas Fairbanks | Britannica
- Greta Garbo | Britannica
- Clara Bow | Britannica
- Library of Congress: Silent Film Collection
- National Film Preservation Foundation
- Motion Picture Producers and Distributors of America (MPPDA) | Britannica
- American Film Institute (AFI)
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