ロバスト制御の理論と実践:H∞、μ合成、LMIsによる設計と検証

はじめに:ロバスト制御とは何か

ロバスト制御は、モデル不確実性や外乱、計測ノイズなどの現実世界の不確かさに対して性能と安定性を確保する制御理論・設計の分野です。理想的なモデルだけで設計した制御器は、実機でのパラメータ誤差や非線形性、外乱に弱くなるため、設計段階でこれらを考慮することが重要になります。ロバスト制御はこうした問題を数理的に扱い、最悪ケース(worst-case)または確率的観点での保証を与えることを目的とします。

基本概念と数学的定義

代表的な概念を整理します。

  • モデル不確実性:パラメトリック不確実性(質量・剛性などのばらつき)や、摂動増幅器で表される非構造化不確実性(高周波数でのモデリング誤差)に分類されます。
  • 感度関数(S)と補完感度関数(T):ループ伝達行列 L(s)=G(s)K(s) に対し、S=(I+L)^{-1}、T=L(I+L)^{-1}。S は外乱からの追従誤差を、T はノイズやモデルエラーの影響を表します。これらの周波数特性を制御設計でシェイプすることが目標になります。
  • 小ゲイン定理:あるフィードバック系が不確実性 Δ を持つとき、||GΔ||_{∞}<1 が成立すればロバスト安定性が保証されます。不確実性と系のゲインの積を評価することで安全領域を得ます。
  • H∞ノルム:システムの周波数応答の最大増幅を表す尺度であり、ロバスト性能評価に頻用されます。H∞ 最小化は worst-case の増幅を小さくすることを意味します。

代表的な設計手法

ロバスト制御の主要技法を紹介します。

  • H∞制御:外乱から出力への伝達関数のH∞ノルムを最小化することを目的とする最適制御法です。状態空間では代数リカッチ方程式や線形行列不等式(LMI)を使った合成が可能です。周波数領域における感度のピーク抑制を通じてロバスト性能を確保します。
  • μ(ミュー)合成:構造化不確実性に対して評価と設計を行う手法で、構造化特異値 μ を用いて最悪ケースの安定性を評価します。実装上は D-K 反復(D-スケーリングとK 設計を交互に行う)で設計されることが多いです。μ は H∞ が見落とす構造的情報を扱える点で強力です。
  • LQG とロバスト性:線形二乗ガウス(LQG)制御は最小二乗的性能を与える一方で、ロバスト性が必ずしも保証されないことが知られています(LQG の脆弱性)。LQG/LTR(ループ伝達回復)法はロバスト性改善のための補助手法です。
  • ロバスト MPC(モデル予測制御):制約付きの最適化問題を用いて将来の不確実性を考慮する方法。チューブ型MPCやH∞ベースの手法があり、実装面で産業応用が増えています。

設計上のトレードオフと制約

ロバスト制御設計はしばしばトレードオフを伴います。感度関数の低下(外乱抑圧)は、補完感度の増大(ノイズ増幅)や帯域幅の制約に繋がります。代表的な理論的制約は次の通りです。

  • 水枕効果(Waterbed effect):ある周波数で感度を下げると別の周波数で上がるというトレードオフが存在し、Bode の積分定理などで定量化されます(最小位相系と非最小位相系で挙動が異なる)。
  • 性能と安定性の矛盾:より高い性能要求はしばしばロバスト性の低下を招くため、設計目標を明確にして重み付け関数(W_S, W_T など)で性能を定式化します。

数値計算法と最適化

実装面ではリカッチ方程式、LMI、および周波数サンプル化に基づく凸最適化がよく用いられます。KYP(Kalman–Yakubovich–Popov)補題は周波数領域の不等式を LMI に変換する重要なツールです。現代の方法では CVX、YALMIP といったソルバで LMI を解き、MATLAB の Robust Control Toolbox の関数(hinfsyn、musyn、systune 等)で実用的な設計を行います。

評価と検証の流れ(実務的ワークフロー)

  • モデル化:信頼できる線形モデルと不確実性の表現(パラメトリック/周波数領域)を作る。
  • 設計方針の定義:性能重み付けやアクチュエータ制約を定式化。
  • コントローラ設計:H∞、μ、LMIベースなど適切な手法で合成。
  • ロバスト解析:ロバスト安定性(RS)およびロバスト性能(RP)を評価、μ解析や最悪ケースシミュレーションを行う。
  • 実機検証:モンテカルロ/ランダムサンプリング、周波数応答比較、実データでチューニング。

産業応用の事例

ロバスト制御は航空宇宙(フライトコントロール)、自動車(シャシー制御やエンジン制御)、電力系(広域安定化)、プロセス産業(化学プラントの制御)など幅広い分野で用いられます。特に安全性が重視される分野では、最悪ケース保証が重要です。

現代の拡張と研究トピック

  • 確率的ロバスト性:最悪ケースでは過度に保守的になる場合があり、確率論的保証(例えばシナリオ最適化)を用いる研究が進んでいます。
  • データ駆動ロバスト制御:モデルを完全に信頼できない場合に、実データから直接ロバスト性を担保する設計法(分布的頑健化、データ同定と設計の同時化)が注目されています。
  • 計算効率化:大規模システムやリアルタイム制御のために、効率的なアルゴリズムや近似手法が研究されています。

実践上のアドバイス

  • 設計前に必ず不確実性モデル(どのパラメータがどの程度変動するか)を明確にする。
  • 周波数領域(感度形状)と時間領域(ステップ応答)双方で性能を確認する。
  • ツールを活用する:MATLAB Robust Control Toolbox(hinfsyn、musyn、robuststab、robustperf)や LMI ソルバを使うと実装が容易になる。
  • 過度な最適化(過剰な性能追求)はロバスト性低下を招くため、設計目標の優先順位を明確にする。

まとめ

ロバスト制御は理論的に洗練されており、H∞ 制御、μ 合成、LMI による最適化など多様な手法があります。設計では感度と補完感度のトレードオフ、モデルの不確実性の定式化、そして実機での検証が鍵になります。現代の研究は確率的手法やデータ駆動型アプローチへ広がっており、実務でもこれらを組み合わせることで実用的かつ安全な制御設計が可能です。

参考文献