ダイアン・アーバス — 周縁を映した冷徹な共感の写真家

イントロダクション:なぜダイアン・アーバスを今読むのか

ダイアン・アーバス(Diane Arbus, 1923–1971)は、20世紀アメリカ写真を語る上で欠かせない存在です。彼女の写真は、しばしば被写体の「異質さ」や「周縁性」を真正面からとらえ、見る者に強い違和感と同時に深い共感を喚起します。商業写真から出発しながら、やがて独自のポートレイト表現へと向かった彼女の軌跡は、写真の倫理や表現の境界を問い直す契機となりました。

生涯の概略とキャリアの転換点

ダイアン・アーバスは1923年3月14日、ニューヨーク市に生まれました。裕福なユダヤ系家庭で育ち、1941年にアラン・アーバス(Allan Arbus)と結婚。夫婦で1950年代にはファッション写真の仕事を共同で行い、雑誌広告などで成功を収めます。しかし1950年代半ば以降、彼女はファッション写真の仕事と平行して個人的な写真制作を始め、やがてそれが主軸となっていきます。

1956年頃、ダイアンはリゼット・モデル(Lisette Model)と出会い、その影響を受けて写真表現を根本から見直しました。モデルのクラスで学んだことは、被写体の本質を捉える直接的なまなざしの重要性でした。その後、ロールフレックスなどの中判カメラを用い、街頭や住居、サーカス、縁辺のコミュニティを撮影するようになります。

作風と技法:機材と視線の特徴

アーバスの代表的な機材は中判のローライフレックス(6×6正方形フォーマット)で、これにより構図の厳密さと被写体との距離感が一定の特徴を生み出しました。フラッシュを使うこともあり、直接的な光は被写体の肌や衣装、表情を生々しく浮かび上がらせます。構図は正面性が強く、被写体の視線をこちらに向けることで観者と被写体の間に緊張を作り出します。

技術的には、彼女はしばしば被写体に接近して撮影し、背景情報を最小限にすることで人物の存在感を際立たせました。これにより写真は単なる記録を超えて、心理的なポートレイトへと変容します。正方形フォーマットと中央配置は、像の均衡と同時に強烈な集中をもたらします。

主題選びと倫理性:問題提起する写真

アーバスの関心は「普通」と見なされる範囲の外側にある人々に強く向かいました。サーカスの出演者、トランスジェンダーやドラァグ・クイーン、双子、奇形の人々、ヌーディスト、ゲージされた環境の家族など、社会的には周縁とみなされがちな人々を被写体にしました。彼女は彼らをステレオタイプとして扱うのではなく、個々の存在の複雑さを浮かび上がらせようとしました。

しかし同時に、アーバスの写真は「搾取的だ」「スキャンダラスな好奇心に応えているだけだ」との批判も受けます。被写体との権力関係、撮影の同意や意図、視線の倫理性などは現在も議論が尽きません。アーバス自身は被写体に対して深い関心と共感を主張しましたが、その共感のあり方が写真を見る者それぞれに引き起こす反応の違いを生み出しています。

代表作とその背景

  • Child with Toy Hand Grenade in Central Park, N.Y.C., 1962 — セントラルパークで撮影されたこの少年像は、ぎこちない笑みと握られたおもちゃの手榴弾が生む不穏さで広く知られています。子どもの表情の複雑さが、見る者にさまざまな解釈を促します。

  • Identical Twins, Roselle, New Jersey, 1967 — 一見整然とした双子像は、対称性と微妙な不安定さが同居し、個人と集合性の問題を示唆します。この作品は1967年のMoMA展「New Documents」に出展され、評価を確立する一助となりました。

  • A Jewish Giant at Home with His Parents — 身長差や家庭空間を強調することで、常識や正常性に対する問いを提示する作品の一つです(撮影年は1960年代後半から1970年頃)。

展覧会と出版:評価の高まり

1967年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でジョン・シャルコウスキー(John Szarkowski)がキュレーションした「New Documents」展は、ダイアン・アーバス、ギャリー・ウィノグランド、リー・フリードランダーの3名を通して写真の新たな可能性を提示しました。この展示が契機となり、アーバスはアート写真の重要人物として認知されていきます。

1972年にはアパーチャー(Aperture)から彼女の初期かつ決定的なモノグラフ「Diane Arbus」が刊行され、幅広い注目を集めました(刊行は彼女の死後)。2003年にはメトロポリタン美術館で大規模な回顧展「Diane Arbus: Revelations」が開催され、彼女の作品群とノート、コンタクトシートが包括的に紹介されました。

最期とその後の評価

ダイアン・アーバスは長年のうつ状態に苦しみ、1971年7月26日に自ら命を絶ちました。享年48。彼女の死後、作品はますます注目を集め、その影響は写真界に大きな意味を持つようになりました。写真家としての評価は「冷徹な共感」や「倫理的含意」をめぐる論争とともに語られることが多く、同時代の写真表現に対して重大な問いを投げかけ続けています。

現在への影響と議論

アーバスの仕事は、現代の多くの写真家や視覚文化研究者に影響を与えています。被写体の取り扱いと倫理、ポートレイトの権力関係を再検討させる契機となっただけでなく、写真が持つ「他者を示す」機能そのものを問い直させました。一方で、彼女の作品を「搾取」と見る立場からの批評も継続しており、写真表現の責任についての議論は現在も活発です。

参考にしたい資料(現代的視点で読み解くために)

ダイアン・アーバスを深く理解するには、写真そのものだけでなく、撮影時のコンタクトシートやノート、家族による整理資料など複数の一次資料に当たることが有益です。展覧会カタログや研究書は彼女の作品と制作過程、社会的背景を照らし合わせるのに役立ちます。また、彼女を題材にしたフィクション(映画『Fur』など)は創作であることを踏まえて参照してください。

まとめ:現代に残る問いかけ

ダイアン・アーバスの写真は、見る者に強い感情的反応を引き起こします。それは単なる驚愕や好奇心だけでなく、他者をどのように見、如何に表現するかという根源的な問いです。美術史的な価値だけでなく、倫理や共感の問題を考えるうえで、彼女の仕事は今なお重要な教材となっています。写真という媒体が持つ力と危うさを同時に教えてくれる人—それがダイアン・アーバスの現代的な位置づけでしょう。

参考文献