ボイシング入門:表現力を広げる和音の組み立て方と実践テクニック
ボイシングとは何か — 和音の“組み立て”を理解する
ボイシング(voicing)は、和音をどのように配置し、どの音をどのオクターブに置くかという“和音の配列・配分”を指す概念です。単に和音の構成音(根音・3度・5度・7度・テンション)を決めるだけでなく、各声部(音の高さや並び)をどう扱うかで和音の響きや機能、表現が大きく変わります。作曲・編曲・即興演奏・アレンジのいずれにおいても、ボイシングの選択が楽曲の色調やダイナミクス、密度を左右します。
基本用語と概念
- クロース(close)/オープン(open)ボイシング:クロースは音を狭い間隔で並べる配置、オープンは音を広く開けて配置する手法。密度が高いか低いかで響きが変わる。
- インヴァージョン(転回):根音以外を最低音にすることで和音の基本形を変える。ベースラインや声部進行に応じて使用される。
- ドロップ2/ドロップ3などのドロップ・ボイシング:四声以上の和音で、上からn番目の音を1オクターブ下げる操作。ギターやビッグバンドのアレンジで多用される。
- ルートレス・ボイシング:ピアノやギターでベースが別にいる場合、根音を省略して3度・7度・テンションを中心に配置する手法。テンションの扱いが自由になる。
- ガイドトーン:特にジャズで重視される第3音と第7音。コード進行の機能を示し、滑らかな声部進行(voice-leading)を可能にする。
ジャズ・ポピュラーにおける代表的ボイシング
ジャズでは、同じコードでも多数のボイシングが存在し、それぞれに固有の機能と色彩があります。代表的なものを挙げます。
- ドロップ2:四音和音で上から2番目の音を1オクターブ下げる。ギターやピアノの中低域で使いやすく、自然な声部移動が可能。
- ドロップ3:上から3番目の音を下げる手法。広がりのあるオープンな響きになる。
- シェル・ボイシング(shell voicings):3度と7度(あるいは3度と5度)だけでコードの機能を示す簡潔な配置。コンピングやバッキングで有用。
- クォータル(四度積み):3度構造ではなく四度を積み上げる方法。マクコイ・タイナーなどが多用し、モダンで曖昧な調性感を与える。
- テンションの導入:9・11・13といったテンションを適切に配置することで和音に色彩を付ける。ただし、テンションはスケール(コード・スケール)との整合性に注意が必要。
ピアノとギターでの実践的な違い
楽器ごとに物理的制約があるため、ボイシングの選択は変わります。ピアノは広い音域と左右の独立性を持つため、低音に根音を置きつつ右手で拡張音を配置する根音+テンションの分担が可能です。ギターは指板の制約により四音の制限や指型の可用性が問題になりやすく、ドロップ2や簡潔な形(シェイプの転用)を多用します。
ピアノの実践例としては、左手でベース(またはルートレスの低音)を担当し、右手で3度・7度・テンションを密度と音色に応じて散らす、というアプローチが一般的です。ジャズピアニストのビル・エヴァンスは、ルートレスで豊かな空間を作る内声の使い方で知られ、ガイドトーンの動かし方が非常に参考になります(ガイドトーン・ラインの重要性については次項)。
声部進行(voice-leading)の原則
ボイシングで最も重要な考え方は声部進行です。基本原則は次の通りです。
- 共通音をできるだけ保持する:和音間で同じ音が残ると滑らかに聞こえる。
- 半音での移動を活かす:3度や7度が半音で動くと強い機能的動きを生む。
- 反行(contrary motion)を活かす:ベースと上声が反行するとラインが明瞭になる。
- 低域の間隔に注意する:低音域での密な積み重ねは濁りの原因となる。低音は開いて配置することが多い。
編曲・オーケストレーションにおけるボイシング
管弦楽やブラスアレンジでは、楽器ごとの音色とダイナミクスを意識してボイシングを決めます。ユニゾンやオクターブでの強化、分散和音でのティンパニや低弦の支え、ブラスのクローズド・ヴォイシングでの強調など、目的に応じた組み合わせが重要です。例えば、ストリングスでは分散する音を各パートに分けて厚みを出し、ブラスではクロースで鋭いアタックを作る、といった使い分けが一般的です。
テンションの扱いと和音の清濁
テンション(9・11・13)は和音に色を与えますが、不適切に配置すると3度や他の構成音と干渉して不快な響きになります。典型的な注意点:
- メジャーコード上のナチュラル11は3度と干渉しやすい。#11や11を使う場合は3度を抜くか、オクターブ配置で干渉を避ける。
- 低域にテンションを置くと濁るため、テンションは中〜高域に配置するのが安全。
- ルートレス・ボイシングでは、3度と7度を明確にすることで和音の機能を失わずにテンションを追加できる。
実践的なエクササイズと練習法
ボイシングの習得は理論と反復練習の両方が必要です。具体的な練習例:
- メジャー、マイナー、ドミナント、ハーフディミニッシュのキーごとに基本ドロップ2を全ポジションで弾く。
- ルートレス・ボイシング(3rd/7th/9thなど)を各コードで1オクターブ上下させて耳で違いを確認する。
- ガイドトーン(3rdと7th)のみでコード進行を通して動かし、そこから他の音を付け足す。
- 同一進行でクロース→オープン→クォータルとボイシングを切り替え、響きの差を体得する。
よくある落とし穴と対処法
ボイシングで陥りがちな問題とその対策:
- 低域の濁り:低音域に3つ以上の密な音を置かない。低域はシンプルに。
- テンションの衝突:テンションが3度とかなりぶつかる場合は3度を抜くか#11等にする。
- 声部のどれもが目立たない:各声部の役割(ベース、ガイドトーン、上声)を明確にし、ダイナミクスで調整する。
歴史的・芸術的な文脈
クラシックではドビュッシーやラヴェルが近代和声の色彩を追求し、平行和音やクラスター(和音塊)を含む新しいボイシングを採用しました。ジャズではビル・エヴァンスやジミー・コブらがルートレスや内声の操作で高度なボイシングを確立し、ビッグバンドではホーギー・カーマイケルやデューク・エリントンの編曲に見られるようにブラスとリードの組み合わせが洗練されていきました。
まとめ — ボイシングは「選択」の総和である
ボイシングは単なる和音の並び方ではなく、楽曲の色彩、進行の明確さ、楽器編成に対する応答性を決める重要な要素です。理論を学ぶだけでなく、耳での比較、実際の演奏での反復、さまざまな楽器での試行が上達の鍵です。まずはシンプルなガイドトーンとドロップ2から始め、慣れてきたらテンションやクォータル、オーケストレーションでの応用へと広げていきましょう。
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参考文献
- Chord voicing — Wikipedia
- Voice leading — Wikipedia
- Bill Evans — Wikipedia
- Quartal and quintal harmony — Wikipedia
- Drop 2 Voicings — JazzGuitar.be
- The Jazz Piano Book — Mark Levine (参考書籍)
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