Irving Berlin:移民の手から生まれたアメリカン・ソングブックの巨匠

イントロダクション

Irving Berlin(アーヴィング・バーリン、1888–1989)は、20世紀のアメリカ音楽を代表する作曲家・作詞家の一人であり、ポピュラー音楽史に多大な影響を残しました。ロシア帝国(現ロシア)出身のユダヤ系移民としてニューヨークに移り住み、Tin Pan Alley(ティン・パン・アレイ)での活動を経て、ブロードウェイや映画音楽、戦時中のショーまで幅広く手掛け、多くの国民的名曲を生み出しました。本稿ではその軌跡、作風、作曲法、社会的影響、論点、そして遺産までを深掘りします。

生い立ちと初期経歴

アーヴィング・バーリンは1888年5月11日にロシア帝国のユダヤ系家庭に生まれ(出生名はしばしば Israel Beilin / Baline と表記されます)、1893年に家族とともにアメリカへ移住し、ニューヨーク市のローワー・イースト・サイドで育ちました。少年時代から音楽に親しみましたが、正規の楽譜教育はほとんど受けていません。家計を支えるために早くから働き、店先で歌う〈シンギング・ウェイター〉などの仕事を通じて歌唱・作曲の実務を身につけていきます。

Tin Pan Alley と最初の大ヒット

1900年代後半から1910年代、ニューヨークのTin Pan Alleyはアメリカン・ポピュラー音楽の中心地でした。バーリンはこの環境の中で楽曲を書き、出版社や歌手とのつながりを築きます。1911年に発表した「Alexander's Ragtime Band」は爆発的なヒットとなり、彼の名を広く知らしめました。この曲はラグタイムやアフリカ系アメリカ音楽の要素を取り込みつつ、広い聴衆に受け入れられるポピュラーソングとしてのフォーマットを確立しました。

主な作品と舞台/映画での活躍

バーリンのキャリアは長期にわたり、多様な場面で作品を発表しました。代表曲には次のようなものがあります。

  • Alexander's Ragtime Band(1911)— 初期の大ヒット。
  • God Bless America(1918/1938)— 1918年に初稿を書き、1938年に改訂してケイト・スミスらを通じて広く知られる愛国歌となった曲。
  • White Christmas(1942)— 映画『ホリデイ・イン』のために書かれ、後に最も売れたシングルの一つとなった名曲。アカデミー賞(1943年)で最優秀オリジナル歌曲を受賞しています。
  • Cheek to Cheek(1935)— 映画『トップ・ハット』でフレッド・アステアが歌ったロマンティックなスタンダード。
  • Puttin' On the Ritz(1929)— 社会風刺的な匂いを持ちながら大衆に愛されたナンバー。
  • Annie Get Your Gun(1946)— ブロードウェイミュージカル。"There's No Business Like Show Business" や "Anything You Can Do" といったヒット曲を生みました。
  • This Is the Army(1942)とYip Yip Yaphank(1918)— 戦時中のショーで、兵士の士気高揚や募金活動にも寄与した舞台作品。

作曲手法と仕事の進め方

バーリンの作り方にはいくつか特徴があります。まず重要なのは、彼がメロディと歌詞の両方を自ら手がける作詞作曲家であった点です。よく言われるのは、バーリンは楽譜を読むのが得意でなかったため、ピアノでメロディを弾き歌い、それを秘書やアレンジャーに楽譜として起こさせていた、ということです。また、彼の曲は単純で覚えやすいフック(サビ)や反復構造、そして当時の流行(ラグタイム、ジャズ、ダンス音楽など)を巧みに取り込むことで広い層に受け入れられました。

ビジネス感覚と音楽産業への影響

バーリンは作曲家としてだけでなく、ビジネスマンとしての手腕も発揮しました。自身の楽曲の出版や権利管理を行う会社(Irving Berlin Music Company)を設立し、作曲家としての権利保護と収益化に成功しました。これは当時のポピュラー音楽界におけるビジネスモデルの先駆けともいえます。また、彼の楽曲の広範な使用(映画、ラジオ、舞台、シートミュージック)を通じて、20世紀前半の音楽産業の商業化が進む一翼を担いました。

社会的・文化的意義

移民としての出自を持つバーリンの作品群は「アメリカ化(アメリカン・ボイス)」の表現とも受け取れます。多くの曲が愛国心や祝祭感、都市のモダンさを歌い上げ、特に「God Bless America」や「This Is the Army」などは戦時下・国家的イベントでの象徴的レパートリーになりました。一方で、彼が黒人音楽や移民の音楽的伝統を引用・吸収して商業的なかたちで提示したことは、文化的交流であると同時に、文化の取り扱い方に関する議論も引き起こしました(文化的借用や記述の在り方についての近年の議論に通じる問題を含みます)。

議論と批判

バーリンの成功は広く称賛される一方、いくつかの論点もあります。たとえば「God Bless America」をめぐる政治的・感情的反応、あるいは黒人音楽の要素を白人向けポップスとして商品化した点については、後年も意見が分かれるところです。また、作品の多さや商業的成功ゆえに「大衆迎合的」と批判されることもありました。しかし、批判があるにせよ、彼の楽曲が持つ普遍性と時代を超える影響は否定しがたいものがあります。

晩年と遺産

バーリンは生涯において非常に多作で、1,000曲を超える(しばしば1,500曲とされる)レパートリーを残しました。1940年代以降も映画や舞台で重要な役割を果たし、後年は自身の作品群がアメリカの文化遺産として再評価されました。1989年9月22日にニューヨークで亡くなり、101歳という長寿を全うしました。彼の曲は今日でも映画、ドラマ、コンサート、学校教育などで繰り返し取り上げられ、アメリカン・ソングブックの中心的存在として位置づけられています。

音楽史的な位置づけ

音楽史の観点から見ると、バーリンはアメリカのポピュラー音楽を「国民的文化財」へと昇華させる役割を果たしました。移民文化、黒人音楽、ヨーロッパの歌曲伝統などを吸収し、ラジオ、レコード、映画といったメディアと結びつけることで、20世紀の大衆音楽のフォーマットを形作った一人です。その意味で彼は単なるヒットメーカー以上の存在であり、文化史的にも重要な人物です。

結論:なぜバーリンを知るべきか

Irving Berlin の作品群は、メロディの力、歌詞の普遍性、そして時代の空気を捉える感度の高さを示しています。移民の子としてニューヨークで育ち、苦労を乗り越えつつアメリカン・ドリームの象徴的成功者になった彼の物語は、音楽と社会がどのように結びつくかを理解するうえで格好の素材です。今日も歌い継がれる楽曲群は、世代を越えて人々の心に響き続けています。

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参考文献