ジョセフィン・ベーカー:音楽と舞台が結んだ歴史的レガシーを辿る
イントロダクション — ジョセフィン・ベーカーとは
ジョセフィン・ベーカー(Josephine Baker、1906年6月3日 - 1975年4月12日)は、米国ミズーリ州セントルイス生まれの歌手・ダンサー・女優であり、1920〜30年代パリで一躍スターとなったエンターテイナーです。ジャズとキャバレーの交差点で独自の舞台表現を切り開き、同時に人種差別と闘い、第二次世界大戦中はフランス抵抗運動に協力した活動家でもありました。本稿では音楽的側面を中心に、生涯・舞台表現・活動の背景とその意味を詳しく掘り下げます。
幼少期と音楽への出会い
1906年にセントルイスで生まれたベーカーは、貧しい家庭環境のなかで育ち、若くしてダンスや歌で生計を立て始めました。始めは米国内のチャットルームや劇場のクロスオーバーな舞台で経験を積み、1920年代半ばに欧州行きの機会を得てパリへ渡ります。移住先のパリでは、アフリカ系アメリカ人文化に対する関心と、当時のヨーロッパにおけるジャズ・エキゾティシズムの潮流が結びつき、彼女は独特の舞台像を形成していきます。
パリと“バナナ・ダンス”が生んだ国際的ブレイク
1925年ごろのパリでの公演を皮切りに、ジョセフィンは急速に名声を得ました。フォリー・ベルジェール(Folies Bergère)などの大劇場でのレビューでは、軽快なジャズのリズムに合わせた奔放な舞台表現で観客を魅了しました。とりわけ“バナナ・スカート”を身に着けたダンスは象徴的で、異国趣味と黒人女性の身体表現がヨーロッパの観客に大きな衝撃を与えました。
音楽性とレパートリー
ベーカーの音楽はジャズの即興性、シャンソン的な抒情性、舞台大道芸的なショーマンシップが混ざり合ったものです。代表曲としてはフランス語で歌った「J'ai deux amours(私には二つの愛がある)」が挙げられ、これは彼女の〈アメリカとパリ〉という二面性を象徴する楽曲となりました。舞台では短いナンバーを連続して見せるレビュー形式を得意とし、歌唱のみならず身体表現やコミカルな仕草、観客とのインタラクションを含めた総合芸術としてのパフォーマンスを行いました。
レコーディングと映画出演
舞台芸人としての評価が高まると同時に、レコード録音や映画出演も行いました。代表的な映画にはサイレント時代の「La Sirène des tropiques(熱帯の人魚、1927)」や、トーキー映画の「Zouzou(1934)」、「Princesse Tam-Tam(1935)」などがあり、視覚的魅力と歌唱をスクリーンに持ち込みました。これらは映画を通じてさらに広い国際的認知をもたらしました。
政治的・社会的活動:人種問題と抵抗運動
舞台での成功にもかかわらず、ベーカーは人種差別に敏感でした。アメリカでは黒人観客だけを入れる分離政策に抗議して公演を拒否するなど、公の場で差別に反対する姿勢を貫きました。また第二次世界大戦中はフランス抵抗運動に協力し、情報伝達や救援活動に関わったと伝えられています。この活動により彼女は複数のフランス勲章を受けました(例:戦功十字章など)。戦後も公民権運動に共感を示し、民族的平等のために発言・行動を続けましたが、1963年のワシントン大行進(マーチ・オン・ワシントン)については、フランス国籍との兼ね合いで参加を見送ったとも記録されています。
シャトー・デ・ミランドと“レインボー・トライブ”
ヨーロッパで得た財力を背景に、ベーカーはフランスのシャトーを拠点に家族的な試みを行いました。異なる人種背景の子どもたちを養子に迎え“レインボー・トライブ(虹の一族)”と呼んだことはよく知られており、多文化共生を実践する試みとして注目されました。これは象徴的な行為として、彼女の反差別的な立場を体現するものでもありました。
舞台美学とパフォーマンス論
音楽的視点から見ると、ジョセフィン・ベーカーのパフォーマンスはリズム感と視覚的断片化(短い曲を積み重ねるレビュー形式)、観客巻き込みの即興性が特徴です。歌唱技術だけで勝負するのではなく、身体・衣装・小道具を音楽と一体化させて“場”を創出する手法は、後のポピュラー・パフォーマンスに多大な影響を与えました。特に黒人女性の身体表現が舞台で商業的かつ政治的に提示される可能性を開いたことは、文化史的に重要です。
論争と再評価
一方で、彼女の初期のイメージには“エキゾチシズム”や“プリミティヴィズム”を刺激する要素があり、現代の視点からは植民地主義的な文脈で消費された側面を批判的に捉える向きもあります。しかし多面的に見ると、被差別の立場から国際的な舞台で自己表現を行い、差別に対して公的に反対したという側面もあり、単純な功罪論で括ることはできません。近年はその芸術性と政治的立ち位置を併せて再評価する研究が進んでいます。
代表曲・代表作(簡潔ガイド)
- 「J'ai deux amours」— パリと母国アメリカへの想いを歌った代表的ナンバー。
- 「La Petite Tonkinoise」などのレビュー曲— 舞台での短い楽曲を巧みに用いた構成。
- 映画出演:La Sirène des tropiques(1927)、Zouzou(1934)、Princesse Tam-Tam(1935)— 映像での表現も重要。
最晩年と死後の評価
1975年4月、パリで急逝(1975年4月12日)。死去後、フランスをはじめ世界各地で大規模な追悼が行われ、彼女の舞台芸術と社会的活動は改めて注目されました。以後、音楽史、演劇史、人種・ジェンダー研究の交差点で彼女の位置づけが議論され続けています。
現代の音楽・パフォーマンスへの影響
ジョセフィン・ベーカーが示した「歌+身体表現+政治的姿勢」という包括的なパフォーマンス像は、現代のポップ/パフォーマンスアート、ブラック・パフォーマンスの表現手法に少なからぬ影響を与えています。衣装や振付を含めたトータルな演出、観客との距離感の操作、そしてステージ上でのアイデンティティ表明は、今日のアーティストにも通じる表現戦略です。
まとめ:音楽家としての評価と今日的意義
ジョセフィン・ベーカーは単なる“ショーガール”ではなく、音楽と舞台を武器に国際的な舞台で自己を表出し、人種差別や戦争といった歴史的課題に向き合った人物です。彼女の芸術性はジャズとシャンソン、レビュー文化を横断し、舞台表現の可能性を広げました。現代においては、その表象の問題点と同時に、差別に抗して多様性を体現した点が再評価されています。
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参考文献
- Encyclopaedia Britannica — Josephine Baker
- BBC History — Josephine Baker
- New York Times obituary (1975)
- Biography.com — Josephine Baker
- National Women's History Museum — Josephine Baker
- Château des Milandes 公式サイト(フランス)


