テンソル代数入門:基礎概念・分解・実装から深層学習・IT応用まで徹底解説

はじめに — 「テンソル代数」とは何か

テンソル代数(tensor algebra)は、線形代数を基盤に多重線形性を扱うための代数的な枠組みです。数学的には、ベクトル空間 V から出発して、その上で定義されるあらゆる次数のテンソル(一次テンソル=ベクトル、二次テンソル=行列、三次以上のテンソル=高次多次元配列)を統一的に取り扱えるように構成された代数 T(V) を指します。IT分野では「テンソル=多次元配列(ndarray)」という意味で実用的に使われることが多く、機械学習や深層学習、数値計算、コンピュータビジョンで中心的な役割を果たします。

テンソル代数の構成(数学的定義)

基本的な構成は次の通りです。

  • 基となるベクトル空間 V を定める(通常は有限次元を仮定する)。
  • 各自然数 k に対して V の k-重テンソル積 V^{\otimes k}(自己テンソル積)を考える。特に k=0 をスカラー体 K(例:実数 R)とする。
  • テンソル代数 T(V) を直和として定義する: T(V) = ⊕_{k=0}^∞ V^{\otimes k} 。つまり、全ての次数のテンソルを一つの代数にまとめる。
  • 積はテンソル積で与えられる: V^{\otimes p} × V^{\otimes q} → V^{\otimes (p+q)} 。これにより T(V) は結合代数となる。

この構成は「普遍性(universal property)」を満たします。すなわち、任意の線形写像 f: V → A(A は単位付き代数)に対して、一意的な代数準同型 T(V) → A が存在して f を拡張する、という性質です。これがテンソル代数を「自由代数」として扱える理由です。

テンソルの種類と次数(階数)

テンソルには次数(order, rank とも呼ばれるが注意が必要)があります。線形代数的には次の分類が一般的です。

  • 次数 0:スカラー(要素は基礎体 K)。
  • 次数 1:ベクトル(V の要素)。
  • 次数 2:二次テンソル(行列に相当)。
  • 次数 k:k 次テンソル(V^{\otimes k} の要素)。

注意点として、機械学習コミュニティで「テンソルのランク」と言うときは、しばしば行列分解の概念における「テンソルランク(CPランク)」を指し、これは次数とは別概念です(後述)。

共変・反変(双対空間とインデックスの上げ下げ)

より一般には、テンソルはベクトル空間とその双対空間 V* のテンソル積として表されます。すなわち、(p, q)型テンソルは

V^{\otimes p} ⊗ (V^*)^{\otimes q}

の元です。ここで p はベクトル「成分」を、q は双対成分(線型汎関数)を表します。基底変換時の変換則が異なるため、物理や微分幾何では「共変指数(下付き)」「反変指数(上付き)」の区別が重要になります。メトリック(内積)を使えばインデックスの上げ下げ(ベクトルと双対ベクトルの対応付け)が可能です。

基本的な演算:テンソル積・外積・縮約・トレース

  • テンソル積(outer/⊗):二つのテンソルを結合し次数を足す操作。行列で言えば外積に相当する。
  • 縮約(contraction):一つの上付きインデックスと一つの下付きインデックスを固定して和をとる操作。次数を2つ減らす(例:行列のトレースは縮約の一例)。
  • 対称化・反対称化:テンソルのあるペアを交換しても符号が変わらない/符号が反転するようにする操作。これにより対称テンソル(例:二次の対称テンソル)や外積代数(外積:wedge、Λ(V))が得られる。

テンソルと座標表示(コンポーネント)

基底 e_i を取ると、k 次テンソルはコンポーネント T^{i1...ik}(または T_{i1...ik})で表されます。基底変換 A(行列)に対して成分は特定の変換則に従います(上付きは逆行列、下付きは行列そのもの)。この「成分の変換則」がテンソルの本質的定義の一つです。実務では、テンソルは単に多次元配列として格納され、基底変換は配列の線形変換として実行されます。

テンソル代数の派生物:対称代数・外代数

テンソル代数 T(V) には重要な商代数(quotient algebra)があり、特に次が頻出します。

  • 対称代数 S(V):T(V) を v⊗w − w⊗v で生成される理想で割ったもの。多項式代数に同型で、対称テンソル(順序に依らない)を表す。
  • 外代数 Λ(V):T(V) を v⊗v(反対称性を強制する)で生成される理想で割ったもの。外積に対応し、微分形式や代数的トポロジーで重要。

テンソル分解と低ランク近似(ITへの応用)

現実のデータ解析では、高次元テンソルを効率的に扱うために分解が使われます。代表的手法:

  • CP 分解(CANDECOMP/PARAFAC):テンソルを複数のランク1テンソルの和で表現。
  • Tucker 分解:コアテンソルと因子行列の積で表し、行列の SVD を一般化した形。
  • Tensor Train(TT)・MPS:高次テンソルを連鎖した低次の因子で近似する手法。大規模テンソルの圧縮に適する。

これらは特徴圧縮、推薦システム、信号処理、量子化学シミュレーション、グラフデータ解析などで活用されています。なお、テンソルランクの決定は計算的に困難(NP困難)である場合があるため、近似アルゴリズムや正則化が実務では必要です。

IT実装上のポイント(数値計算・ディープラーニング)

IT分野で「テンソル」を扱う際の実装上の留意点を挙げます。

  • ライブラリ:NumPy(CPU)、PyTorch、TensorFlow(GPU/分散)などが多用される。これらはテンソルを多次元配列として提供し、自動微分や最適化ルーチンを備える。
  • メモリとレイアウト:テンソルのメモリ配置(行優先/列優先、連続メモリ)は性能に大きく影響。ブロードキャストやビュー(スライス)を理解すること。
  • 演算の複雑度:テンソル縮約や高次元の契約は計算量・メモリ量が急増する。einsum のような表記で最適な演算順序を検討するとよい。
  • 精度と安定性:特に高次テンソル分解は収束や発散の問題が出やすい。正則化、初期化、スケーリングが重要。
  • 疎テンソル:多くの現実データは疎であり、疎行列/疎テンソル表現と専用アルゴリズムで大幅に効率化できる。

テンソルと自動微分(AD)・最適化

深層学習フレームワークはテンソルを第一級オブジェクトとして扱い、計算グラフに基づく自動微分を提供します。テンソルの演算(べき、積、縮約など)は微分ルールを持ち、連鎖律に基づいて効率よく勾配が計算されます。これによりテンソル代数的な操作がモデル学習に直結します。

テンソルの応用例(実務的視点)

  • 深層学習:入力データ(画像、音声、時系列)はテンソルとして表現され、畳み込み、行列積、バッチ演算が行われる。
  • 物理シミュレーション:場や物性の記述にテンソル(応力テンソル、リーマンテンソルなど)が使われる。
  • データ解析:複合的なモード(ユーザー×アイテム×時間など)の相互作用解析にテンソル分解を利用。
  • 量子情報・量子化学:テンソルネットワークは多体系のエントロピーや近似解に有効。

注意点・誤解しやすい点

  • 「テンソル=単なる配列」という誤解:実務ではほぼ同義に扱うが、数学的には変換則や共変性・反変性の概念が含まれる。
  • 「ランク」という語の二義性:行列のランクとテンソルの CP ランクは異なる概念で、テンソルランクは決定が難しい。
  • 高次テンソルの計算コスト:次数が増えると計算量・記憶量が指数的に増える(curse of dimensionality)。適切な分解やスパース化が必須。

まとめ

テンソル代数は、線形代数の延長として多重線形性を体系化する強力な数学的道具であり、IT分野では多次元配列としての「テンソル」が機械学習や数値シミュレーションの基盤になっています。理論面(普遍性、双対、対称・外代数)と実装面(メモリ・演算最適化、分解手法)の両面を理解することが、効率的かつ正確なテンソル計算には重要です。テンソルに関する応用・研究は現在も活発であり、分解アルゴリズムやテンソルネットワーク、スパーステンソル処理などは今後さらに発展が見込まれます。

参考文献