プリディレイ完全ガイド:リバーブで音像を整える時間設計と実践テクニック
プリディレイとは
プリディレイ(pre‑delay)は、リバーブ処理において原音(ダイレクト音)とリバーブの残響成分(リバーブテールまたは初期反射)との間に意図的に挿入する短い遅延時間のことです。通常はミリ秒(ms)単位で設定し、0msから数百msまで幅広く使われます。プリディレイを調整することで「残響が音の後に続く」感覚を作り出し、音の明瞭さや距離感、空間のスケール感をコントロールできます。
物理的・聴覚的な背景
現実世界の室内音響では、直接音が耳に届いた後、壁や天井、床などからの反射が遅れて届きます。音速はおよそ343m/s(20°C)なので、反射が耳に戻る時間は距離に依存します。単純に往復距離をd(m)として、往復時間は約 (d / 343) 秒、つまりミリ秒では (d / 343) × 1000 ms です。例えば、音源から壁までの往復距離が2mなら往復時間は約5.8msとなり、このような短い遅れは部屋の初期反射(early reflections)に相当します。
人間の聴覚は、直接音と最初の反射の時間差から距離感や空間の大きさを推定します。一般的に、初期反射が50ms以下であれば「同じ空間の中での遅延」と認識されやすく、それ以上のプリディレイになると「明確な距離差」や「遅れて付いたエコー」として認識されやすくなります。
プリディレイの主な効果
- 明瞭さの向上: ボーカルやリード楽器にプリディレイを与えると、直接音が先に前に出るため、残響に埋もれにくくなります。
- 距離感の調整: 短めのプリディレイで近い部屋感、長めで大きな空間や遠い反射を演出できます。
- リズム感の強調: テンポに同期させたプリディレイは、リバーブをリズムの一部として機能させ、グルーブを補強します。
- 空間的分離: ミックス内で複数の音がぶつかる場合、プリディレイで残響の発生を遅らせることで各トラックを明確に分離できます。
プリディレイの目安とよく使われる値
プリディレイはジャンルや楽器、ミックスの狙いによって変わります。以下は一般的な目安です。
- 0〜10ms: 非常に短い値で、ほとんど感覚としては無く、位相干渉や微小なパンチ感の補正に使われる。
- 10〜40ms: ボーカルやソロ楽器の明瞭さを出す標準レンジ。直接音と残響が十分に分離される。
- 40〜100ms: 空間的な距離感を強調。スラップバック風の効果や大きなホール感を出す。
- 100ms以上: 明確な遅延・エコー感が出るため、リズミックな効果やクリエイティブな演出に向く。
テンポ同期(音価指定)とミリ秒の換算
DAWやプラグインではプリディレイをテンポ同期(四分音符、八分音符、ドット、トリプレット等)で指定できるものがあります。ミリ秒での計算は次の式で求められます。
ノート長(ms) = 60000 / BPM × 単位係数
ここで四分音符を基準にすると、四分音符の係数は1、八分音符は0.5、ドット八分音符は0.75、八分音符トリプレットは約0.333…(=2/6)などです。例を挙げます(BPM = 120 の場合):
- 四分音符 = 60000 / 120 = 500ms
- 八分音符 = 250ms
- ドット八分音符 = 375ms
- 八分音符トリプレット ≒ 166.7ms
プリディレイをテンポに合わせると、リバーブの立ち上がりが楽曲のグルーヴと同期して自然に感じられ、特にダンスやポップで有効です。
楽器別の実践的な使い方
プリディレイの設定は楽器の役割によって最適値が変わります。
- ボーカル: 15〜40msを基本に、コンプレッションのかかり具合やフレージングを考慮。短くすると空気感を保ちつつ残響で埋もれず、長めにすると前に出す印象を強められます。
- スネア/ドラム: 10〜30ms程度で打音のアタックを邪魔しないように。スネアに長めのプリディレイを与えると部屋感を演出できますが、リズムの一体感を崩さないよう注意。
- ギター(クリーン): 20〜80msで空間感を出す。長めのプリディレイを使えばアルペジオの残響が次の音とぶつからない。
- ギター(ディストーション): あまり長すぎると音がバラけるため、短めのプリディレイかほとんど無しが一般的。
- ピアノ/パッド: 30ms以上でホール感や広がりを演出。アンビエント系ではさらに長めにして効果的に。
技術的注意点と副作用
プリディレイを使う際の注意点も把握しておきましょう。
- 位相干渉: 非常に短いプリディレイはダイレクト音とリバーブの相互干渉を生み、特定の周波数で位相キャンセルやピークが発生することがあります。必要に応じてイコライザーで調整します。
- 聴覚上の分断: プリディレイを長くしすぎると、リバーブが“別の音”のように感じられ、原音と残響が乖離して不自然になることがあります。楽曲の意図に合わせて慎重に設定してください。
- 早期反射とのバランス: 多くのリバーブは早期反射(early reflections)と残響尾(reverb tail)を別々に制御できます。プリディレイは早期反射にもかかる場合と、尾部のみかかる場合があるため、プラグインの仕様を確認して使い分けます。
実践テクニック・ワークフロー
いくつかの現場で使えるテクニックを紹介します。
- センドで処理する: ボーカルや楽器は通常センドでリバーブに送り、ドライ信号は原音のままにしておきます。これによりプリディレイで直接音と残響の時間差を自在に設定できます。
- リバーブ前にEQ&コンプ: 低域を切る(例えば100Hz以下をローカット)ことで濁りを防げます。コンプはリバーブ送信前に軽くかけるか、逆にリバーブにコンプをかけてテイルを整えることも有効です。
- オートメーション: パートごとにプリディレイを変化させるとダイナミックな空間演出ができます。サビで広げる、Aメロで距離を縮めるなど。
- テンポ同期と微調整の併用: テンポ同期ノート値をベースにしてから数ms単位で微調整することで、楽曲に馴染む最適な立ち上がりにできます。
- ハース効果との併用: プリディレイが短い(~1〜40ms)とハース効果により音像定位や広がりを操作できます。ステレオイメージの操作に活用できますが、位相問題に注意してください。
アルゴリズム・コンボリューション別の違い
プラグインの種類によってプリディレイの挙動が若干異なります。
- アルゴリズミック・リバーブ: リアルタイムで計算されるため、プリディレイの設定が即座に反映されます。早期反射やモードを細かく調整できるものが多く、クリエイティブな用途に向く。
- コンボリューション・リバーブ: 実際の空間のインパルスレスポンス(IR)を使用します。プリディレイはIR全体の先頭に遅延を追加する形か、送信レーン側で調整するのが一般的です。実在感を重視する場合はIR自体の早期反射構造を理解してからプリディレイを設定する必要があります。
よくある誤解とFAQ
誤解を避けるためのポイント:
- プリディレイは“遅延エフェクト”ではなくリバーブの立ち上がりを制御するパラメータであるということ。単独でエコーを作るのが目的ならディレイプラグインを使う方が適切です。
- プリディレイを増やせば常に明瞭さが増すわけではなく、楽曲の文脈で自然さを損なう場合がある。
- DAWのバッファレイテンシやプラグインの内部レイテンシが影響するケースがあるため、A/B比較は慎重に行う。
まとめ:使い方の心構え
プリディレイは、ミックスの中で最も“空間設計”に直結する重要なパラメータの一つです。数ms単位の調整が楽曲の聴感に大きな差を生むため、耳を頼りにテンポ同期値を基点として微調整するワークフローが有効です。楽曲のジャンルや楽器の役割、意図する距離感に応じて柔軟に設定し、EQやダイナミクス処理、早期反射のバランスと合わせて使うことで、クリアで自然な空間演出が可能になります。
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参考文献
- Sound On Sound — Understanding Reverbs
- iZotope — What is Pre-Delay?
- Reverb.com — What Is Pre‑Delay & How to Use It
- Waves Audio — What Is Pre‑Delay?
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