原盤(マスター)とは何か:権利・保存・活用を徹底解説
原盤とは何か——概念の整理
「原盤(げんばん)」(英語では一般に“master”や“phonogram”と呼ばれる)は、音楽作品の制作・流通において中心的な存在です。狭義にはレコーディング作業で最終的に完成した音源の元データ(マスターテープ、マスターファイル、ラカー盤などの物理的・電子的なオリジナル)を指します。広義にはその音源に対する権利(原盤権、レコード製作者の権利)および商業的利用の管理を含めて「原盤」と呼ぶことが多いです。
法的枠組み:著作権と原盤権の違い
音楽に関わる権利は大きく分けて二つあります。ひとつは作曲・作詞など楽曲そのもの(著作権:著作権法に基づく権利)、もうひとつはその楽曲を録音した音源(録音物)に関する権利です。録音物に関する権利は著作隣接権(related rights/neighboring rights)の一部であり、レコード製作者(原盤製作者)が有する権利が「原盤権」と呼ばれます。具体的には複製権、公衆送信権(ストリーミング等)、頒布権などが含まれ、これらは楽曲の著作権とは別個に管理・許諾が必要です。
原盤の「物」と「権利」——二重の意味
実務では「原盤」は以下の二つの側面を持ちます。
- 物理的/技術的な原盤:マスターテープ、マスターDAT、デジタルワークステーションの最終マスター・ファイル、ラカー(アナログ盤の原盤)、アセテート等。
- 法的・経済的な原盤権:その音源を複製・配信・販売する権利を誰が持つか、という所有権や契約関係。
例えば、レーベルがマスターファイルを保有していても、制作契約や譲渡契約により原盤権の帰属が異なるケースがあるので、物と権利のチェーン・オブ・タイトル(権利関係の履歴)を正確に管理することが重要です。
契約と所有の実務的ポイント
アーティストとレーベルの契約で最も重要になるのが「原盤の帰属」と「ロイヤリティ条項」です。多くの伝統的レコード契約ではレーベルが原盤権を保有し、アーティストに対して販売数や収益に応じたロイヤリティを支払います。一方で近年はアーティスト側がマスターを自ら保有する契約、あるいは一定期間後に原盤権がアーティストへ返還されるリバージョン条項(reversion clause)を盛り込む例も増えています。
原盤の売買・譲渡、または第三者へのライセンス供与(サブライセンス)を行う際は、契約書に記載された権利範囲(地域、媒体、期間、可変報酬)を法的に確認する必要があります。特にサンプリングやリミックス、映像での使用(シンク)では、原盤使用許諾(master use license)と楽曲使用許諾(publishing clearance)の双方が必要です。
利用許諾(ライセンス)の種類
- マスター使用許諾(Master Use License):原盤をそのまま使う場合に必要。短く編集したサンプリングや映画・CMでの使用等。
- リプリント/リイシュー許諾:再発盤を出す際の許諾。リマスタリングやボーナストラック追加の条件を含むことが多い。
- サンプリング許諾:サウンドの一部を引用する場合、原盤所有者と作曲者双方の許諾が必要。
- ストリーミング配信の許諾:配信サービス向けに公衆送信権等の許諾と報酬取り決めが必要。
原盤の保存・劣化対策(アーカイブの実務)
マスターテープやラカーは時間とともに劣化します。アナログ磁気テープはバインダー(接着剤)の劣化による「スティッキーシェッド(sticky-shed)」現象、磁気の減衰、カビなどが発生します。ラカー盤は割れや変形、カビ、酸化で音が悪化します。
保存対策としては:
- 環境管理:温度・湿度の安定(一般に低温・低湿で保存)
- デジタル化(高解像度での転送):アナログ原盤は劣化リスクを減らすために早期にデジタル化して冗長保存を行う
- テープ修復技術:必要に応じて「ベーキング」処置などの保存処置を実施
- メタデータの付与:録音日時、テイク番号、仕様(サンプリング周波数、ビット深度)、ISRCやカタログ番号などを体系的に管理
これらは図書館やアーカイブが推奨する基本方針と一致しており、重要な原盤は複数の安全な場所にバックアップを置くことが推奨されます。
マスタリングとリマスタリングの違い
マスタリングはミックス後の最終工程で、音量、周波数バランス、ダイナミクスを調整して各再生環境で最適に聴こえるように仕上げる作業です。一方リマスタリングは既存の原盤から新技術で再処理を行い、ノイズ除去や音質改善、フォーマット最適化(ハイレゾ化など)を施す工程です。リマスタリングでは原盤(物理マスターまたは高品質のデジタルコピー)の品質が結果に直結します。
メタデータと識別子:ISRC・カタログ番号
原盤管理においてメタデータは不可欠です。国際標準の識別子であるISRC(International Standard Recording Code)は、個々の録音トラックを一意に識別します。原盤ごとに正しいISRCを付与・登録することで、ストリーミングや放送、セールス収益の追跡が容易になります。また、レコード会社のカタログ番号や製造ロット、ラッカーのマトリクス刻印などもアナログ世代特有の重要情報です。
商業的価値と投資としての原盤
近年、原盤は投資対象としての価値が注目されています。ヒット曲やグローバルに認知されたカタログ音源は、ストリーミング収入、ライセンス収入、シンク使用料などで長期的な現金流を生み出します。そのため、マスター資産を売却して一時金を得る案件や、逆にアーティストが自らマスターを買い戻す動きが報道されることもあります(アーティストのマスターコントロール獲得は戦略的意義が高い)。
サンプリング、リミックス、リユース時の注意点
他者の原盤を使ってサンプリングやリミックスを行う場合、原盤所有者からの許諾が不可欠です。楽曲の著作権者(作詞作曲の著作権管理者)とも二重に交渉する必要があり、両者からの承諾が得られない限り商用利用はできません。違法使用は著作権侵害および原盤権侵害となり、損害賠償や差止請求の対象になります。
国際流通と領域別権利の管理
原盤権は契約で地域(日本国内のみ/世界)や媒体(CD、配信、映像使用など)ごとに細かく設定されるのが一般的です。国際的に配信・リリースする際は、各国での権利クリアランス(現地レーベルとのライセンス、パブリッシャーとの同意)が必要になるケースがあります。デジタル配信時代は特に配信プラットフォームごとの条件が多岐に渡るため、包括的な権利管理が重要です。
現場でよくあるトラブルと対策
- チェーン・オブ・タイトル不明:古い原盤で誰が権利を持つか不明な場合、再発や使用に支障。早期に契約書や譜面、領収書を洗い出す。
- 劣化した原盤の音質問題:修復・デジタル化のコストが発生。予算計画を立て保存処理を行う。
- サンプルの未許諾使用:リリース差し止めや賠償リスク。事前の許諾取得を徹底する。
- アーティストとレーベルの認識相違:契約条項の曖昧さが原因。契約の説明責任と交渉履歴の保存が重要。
実務的なチェックリスト(原盤管理)
- 原盤の物理的・電子的保管場所とバックアップ先を明確にする。
- 原盤に付随するすべてのメタデータ(録音日時、テイク、エンジニア、ISRC、マスターID)を一元管理する。
- チェーン・オブ・タイトル(原盤製作者、譲渡履歴、ライセンス契約)を文書化する。
- リスク評価に基づいて早期にデジタル化と修復を行う。
- 利用の際は必ず原盤権者と楽曲権者双方の許諾を確認する。
まとめと実務上の提言
原盤は単なる音源ファイルではなく、法的・技術的・商業的価値を併せ持つ重要資産です。権利関係の透明化、適切な保存・バックアップ、メタデータの整備、契約上の細かい取り決め(地域・媒体・期間)を行うことが、将来の収益化や紛争予防に直結します。アーティスト、レーベル、プロデューサー、エンジニアそれぞれが原盤の意義を理解して役割を果たすことが健全な音楽流通につながります。
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参考文献
- 文化庁:著作権に関する情報
- WIPO:Related Rights(著作隣接権)解説
- Library of Congress:Care, handling and storage of audiovisual materials
- IFPI / ISRC公式サイト
- 一般社団法人 日本レコード協会(RIAJ)
- 一般社団法人 日本音楽著作権協会(JASRAC)
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