IEC規格の全体像とIT・システム開発での実務的対応ポイント

はじめに:IECとは何か

IEC(International Electrotechnical Commission、国際電気標準会議)は、電気・電子・関連技術分野における国際規格を策定する主要な国際標準化機関の一つです。1906年に設立され、電力設備、電子機器、通信機器、産業オートメーションから医療機器、ITシステムとの接点に至るまで広範な分野を対象としています。IT関連ではISOと共同で策定する規格群(ISO/IEC)や、産業制御・組込み機器に関わる安全・セキュリティ規格などが重要です。

IECの組織と標準化プロセス

IECは国ごとのナショナルコミッティ(NC)を通じて運営され、技術委員会(TC: Technical Committee)とその下位の小委員会(SC)が具体的な標準を作成します。上位管理機関としてはSMB(Standards Management Board)があり、標準化の方針や計画を管理します。標準の作成プロセスは通常、提案(NP)→委員会草案(CD)→国際標準草案(DIS)→最終国際標準草案(FDIS)→採択・発行という段階を踏み、関係国の投票やコメントが反映されます。

IEC規格の分類と代表的な規格

IECの規格は電気・電子分野に特化していますが、IT・ソフトウェアにも密接に関連する重要規格が多数あります。代表例を挙げると次の通りです。

  • IEC 61508: 機能安全の基本規格(ファンクショナルセーフティ)。安全関連システムのライフサイクルを定義。
  • IEC 62304: 医療機器のソフトウェアライフサイクルプロセス。医療系ソフトウェア開発で必須。
  • IEC 62443: 産業オートメーション/制御システム(IACS)のサイバーセキュリティ。リスク評価やセキュリティレベル定義を提供。
  • IEC 62368-1: AV・ICT機器の安全規格(旧IEC 60950/60065の置換)。設計ベースの安全要件。
  • IEC 61850: 電力系統・サブステーション向け通信規格。インターオペラビリティを重視。
  • IECEx / IECEE(CB scheme): 危険場所用の認証スキームや機器の相互承認スキーム。

ITプロジェクトにおけるIEC規格の位置づけ

ITや組込みソフトウェアのプロジェクトでIEC規格が関連するのは主に次のケースです。ハードウェアと直結する組込み系、医療や産業制御の分野、あるいは製品として出荷する機器やシステムが安全やセキュリティ上の要件を満たす必要がある場合です。規格は設計要求、試験方法、ドキュメンテーション、リスク管理手順などを規定しており、製品ライフサイクル全体に影響します。

設計フェーズでの実務対応

IEC規格に準拠するための現場対応は次のポイントに集約されます。

  • 規格の適用範囲確認:製品・システムがどの規格の対象に入るかを初期に判断する。複数規格の適用がある場合は優先関係と整合性を確認する。
  • リスクアセスメント:IEC 61508やIEC 62443の考え方に基づき、ハザード分析や脅威分析を行い、リスク低減策を設計に反映する。
  • ライフサイクルプロセスの定義:要求定義、設計、実装、検証、保守までを規格準拠のプロセスに沿って文書化する(例:IEC 62304)。
  • 試験計画と検証項目:規格が要求する試験(機能試験、耐環境試験、安全試験、セキュリティ評価など)を明確化し、試験仕様書を作成する。
  • 外部評価と認証戦略:IECEE CBスキームやIECExなどで公的な承認を得る必要があるか、あるいはメーカー自己適合宣言で足りるかを判断する。

セキュリティと安全の統合アプローチ

IEC規格群の中で特に注目すべきは安全(safety)とセキュリティ(security)を分けて扱いつつ、実務では両者を統合して考える必要がある点です。例えば機能安全(IEC 61508)で要求される故障モード対策と、サイバーセキュリティ(IEC 62443/ISO/IEC 27001など)で要求される攻撃対策は相補的です。設計段階で両面の要求を洗い出し、相互影響を評価することが重要です。

規格の読み方とドキュメント管理

IECの規格文書は「規格本文(normative)」と「解説(informative)」に分かれ、適用時にはnormative条項が法的・技術的拘束力を持ちます。実務では下記が重要です。

  • 該当条項のトレーサビリティ:要求事項を設計仕様や検証項目にマッピングして、実証できる状態にする。
  • 変更管理:規格の改訂に伴う影響分析とリリース計画を継続的に行う。
  • 記録保持:設計レビュー、検証結果、試験報告、リスクアセスメントなどを適切に保管し、監査に対応できるようにする。

認証と適合評価の実務

製品の販売や規制対応のために第三者評価が必要な場合、IECEE CBスキーム等を通じて試験所での試験と認証を受けます。手順は通常、前段の試験計画→試験実施→不適合対処→最終報告→認証発行という流れです。IECExは危険環境向け機器の認証に特化しており、石油・ガス、化学プラント分野で重要です。

国際規格と各国適用・法規制との関係

IEC規格は国際的なベースラインを提供しますが、各国が採用する際はそのまま法規化される場合と、国内標準(JISやEN等)として翻訳・改訂される場合があります。日本ではJISC(日本工業標準調査会)や関係行政がIEC案を参考にJISを制定することがあります。輸出入や国際事業を行う場合は、対象国の適合要求を確認することが不可欠です。

現場でよくある誤解と注意点

  • 規格=法律ではない:IEC規格自体は法的拘束力を持ちませんが、規格準拠が技術的な事実上の要件となるケースや、国内法に取り込まれて義務化される場合があります。
  • 単なるチェックリスト化のリスク:規格は原理やプロセスを定めるため、単にチェックリストを満たすだけで実際の安全やセキュリティが保証されるわけではありません。
  • 古い規格の継承問題:IEC 60950など旧規格が廃止・統合されている例があるため、最新の適用規格を確認すること。

実務担当者向けのアクションリスト

  • プロジェクト開始時に適用可能なIEC/ISO規格のスコープレビューを行う。
  • リスク評価とセキュリティ評価を早期に実施して設計に反映する。
  • 規格条項と設計・試験のトレーサビリティを整備する(要求→設計→実装→検証)。
  • 外部試験所や認証スキーム(IECEE/IECEx等)との連携計画を立てる。
  • 社内教育を通じて規格の意図と要求の理解を深める。

まとめ

IEC規格は電気・電子技術の安全性、相互運用性、信頼性を支える基盤であり、ITや組込みソフトウェアの現場でも無視できない存在です。規格準拠は単なる形式的作業ではなく、製品リスクの低減と市場アクセスを確保するための実務的な投資です。設計段階から規格を意識し、体系的なプロセスとドキュメンテーションを整備することで、品質と安全性の両面での信頼性を高めることができます。

参考文献