変奏の音楽史と技法:バロックから現代までの深層ガイド
変奏とは:定義と基本概念
変奏(へんそう、variation)は、ある主題(テーマ)を基盤として、その素材を保持しながら部分的にまたは全体的に変化させる音楽技法および形式を指します。主題と変奏(Theme and Variations)は古典的な形式の一つで、主題提示のあとに複数の変奏が続き、最後に主題の回帰やコーダで締められることが多いです。変奏は単独の楽曲形式として成立するだけでなく、組曲や協奏曲、交響曲の一楽章内に取り入れられる技法でもあります。
変奏の基本的なアイデアは「同じ素材を別の角度から再提示する」ことにあり、作曲上の要請(対位法的展開、和声的拡張、劇的効果など)や演奏上の要求(技巧の披露、表現の多様化)に応じて多様な手法が用いられます。
変奏の主要技法
変奏の手法は多岐にわたります。代表的なものを挙げると次の通りです。
- 旋律の装飾・縮小・拡大(装飾、ディミニュート、増大)— 主題の音価を細かくして動機を発展させたり、逆に長く保って安定させたりする。
- 和声の書き換え(リハーモナイズ)— 同一旋律に対して和声進行を変えて新たな響きを生む。ジャズでの即興的リハーモナイズもこの系譜に入る。
- 対位法的展開— カノンやフーガ風に主題を重ねたり、低聲部に転用して対位的に展開する(例:バッハの多声的変奏)。
- テクスチャや編成の変更— ピアノ独奏から管弦楽への編曲や、伴奏形態の大きな変更による色彩変化。
- リズム・拍子の変更— 同一主題を異拍子や切分で提示することで、まったく異なる運動感を与える。
- モード・転調— 長調→短調、異なるモードへの移行により感情や意味を変える。
- 操作的変形(断片化、反行、逆行、転回、増大・縮小)— 動機を断片化して細かく扱う、反行(inversion)や逆行(retrograde)などの技巧で主題を変換する。
歴史的展開:ルネサンス〜バロック〜古典派
変奏的手法は中世・ルネサンス期の即興的装飾やディヴィジョン(division、英語圏では変奏に相当する技巧名)に起源を持ちます。バロック期になると、通奏低音を基盤にしたパッサカリア(passacaglia)やシャコンヌ(chaconne)など、低音の反復(ground bass)を乗せて上声を変奏する形式が確立しました。代表例としてはJ.S.バッハの『シャコンヌ』(無伴奏ヴァイオリンパルティータ第2番の終曲、BWV 1004)や、多声的に変奏を展開する器楽作品が挙げられます。
バロック後期には、アリア+変奏という形態も一般化しました。最も有名な例の一つがJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』(BWV 988)で、1つのアリア(アリア・ダ・カポ)を30の変奏で多様に処理します。楽器の特性や対位法的構成、舞曲的要素を交えた設計は、変奏形式の頂点とされます(原題はドイツ語で『Aria mit verschiedenen Veränderungen』)。
古典派からロマン派:主題と変奏の洗練
古典派ではハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが変奏形式を精神的に深化させました。ハイドンは主題素材の経済的な扱いとユーモアを、モーツァルトは旋律の歌わせ方と緻密な伴奏法を確立しました。モーツァルトの『きらきら星変奏曲』(『ア・ヴ・ディレ…』K.265/300e)は、誰もが知る主題を多彩に変化させる好例です。
ベートーヴェンは変奏を作曲術の中核に据え、単なる装飾を超えた深い変容(thematic transformation)を行いました。代表作に『ディアベリ変奏曲』Op.120(アントン・ディアベリのワルツ主題による33の変奏)があり、個々の変奏は独立した楽曲としても価値を持ちます。一方で『英雄変奏曲』など、変奏を交えた交響的展開も見られます。
ロマン派以降と近現代:表現の拡張と材料の多様化
ロマン派では技巧の誇示や情感表現のために変奏が用いられました。ショパン(『ラ・チダレムの主題による変奏』など)やリスト、ブラームス(『ハイドンの主題による変奏曲』Op.56a、ただし主題の出典はハイドンの真作か否か議論がある)らは、主題の内的可能性を引き出すことに重点を置きました。ラフマニノフの『パガニーニの主題によるラプソディ』Op.43は、ロマン派的な変奏技法とオーケストレーションの妙が結実した20世紀初頭の重要作です。
20世紀には形式や材料がさらに拡張されます。シェーンベルクやベルクらの前衛派は12音技法やシリアル写像を通じて対位法的に主題を変形し、反復と変化の概念を再定義しました。また民俗旋律、ジャズ、電子音響を取り込むことで、変奏の語彙は一層多様になりました。
パッサカリア/シャコンヌと変奏の関係
パッサカリアとシャコンヌは低音の反復(ground bass)を基盤に変奏を積み重ねる形式で、変奏形式の一種と考えられます。バロック期の名作に加え、バッハ、ブクステフーデ、さらに後世の作曲家による再解釈が続きました。これらは和声的骨格を保ちながら上声の装飾・対位を展開する点で、テーマと変奏の核心を示しています。
作曲技法としての変奏:分析上の着目点
楽曲を分析する際に注目すべきポイントは次の通りです。
- 主題の核となる要素(核となる音型、リズム、和声的輪郭)が変奏中にどのように保持・変形されるか。
- 調性やモードの扱い:短調への転換、異名同音の利用、モード的処理。
- 対位法的手法の導入:複合カノン、鏡像処理、縮小・増大によるリズム変形。
- テクスチャと編成の変化:独奏→室内楽→管弦楽のような拡張、あるいは逆に音域の制約を活かした凝縮。
- 変奏の機能(装飾、開発、技巧披露、物語的進行)を見極めること。
演奏・編曲の視点:変奏を生き生きと鳴らすために
演奏家や編曲者が変奏を扱う際の実践的な指針は以下の通りです。まず主題の輪郭は常に意識し、変奏ごとに何が保存されているのかを明確に把握することが重要です。変奏は同一性と変化性のバランスを聴衆に見せる行為なので、対比(テンポ、ダイナミクス、音色)をはっきりつけると効果的です。
編曲では原曲の和声的・リズム的核を損なわない範囲で楽器編成を工夫し、色彩を付与することが求められます。ジャズやポピュラー音楽における編曲的変奏は、原題をリズムやハーモニーで翻案する作業に相当します。
変奏と即興:ジャズ・民族音楽における連続性
ジャズではスタンダード曲のテーマが即興演奏によって日々変奏されることが常態化しています。ここでの変奏は楽譜上の固定変奏とは異なり、リアルタイムでのリズム、メロディ、和声の再構築を伴います。同様に民俗音楽や伝統音楽でも、テーマやリフレインが歌い手・奏者ごとに変容して伝承されることが多く、変奏は文化的な表現手段です。
現代音楽における拡張:音色・電子音響・サンプリング
20世紀後半以降、音色そのものや電気的処理が変奏の重要な素材になりました。電子音を用いた変奏、サンプリングによる再文脈化、音響空間の変形などは、旋律や和声だけに依存しない新しい変奏観を提示します。またプロセス音楽における徐々の変化(フィリップ・グラス、スティーヴ・ライヒ等)も広義の変奏と捉えられます。
代表的な作品とその聴きどころ(抜粋)
- J.S.バッハ『ゴルトベルク変奏曲』BWV 988 — アリアの明確な和声構造を基に、対位法や舞曲性、技巧性を変化させていく。第16変奏のフーガや、終盤のカノン群が聴きどころ。
- モーツァルト『きらきら星変奏曲』K.265 — シンプルな主題を用い、歌う技巧や変拍子的処理で親しみやすく変化させる。
- ベートーヴェン『ディアベリ変奏曲』Op.120 — 多層的で性格の異なる変奏群。主題を超えて、主題の精神を多面的に再解釈する。
- ラフマニノフ『パガニーニの主題によるラプソディ』Op.43 — 有名な第18変奏で旋律的変奏が劇的なラブソングへと変容する。
変奏をめぐる実用的な用語集(短め)
- ディミニュート(diminution)— 音符を細分して動きを速くする処理。
- 増大(augmentation)— 音価を長くしてゆったりさせる処理。
- 反行(inversion)— 旋律の上下方向を反転する手法。
- 逆行(retrograde)— 旋律を逆にたどる処理。
- リハーモナイズ(reharmonization)— 和声進行を変えること。
まとめ:変奏の意義と現代的展望
変奏は単なる技巧の集積ではなく、素材のアイデンティティを維持しつつ意味や感情を再構築する芸術的手段です。歴史を通じて変奏は形式的実験、表現の深化、技術の誇示、文化的翻案など多様な役割を果たしてきました。21世紀ではデジタル技術やジャンル横断的な実践により、変奏の語彙はさらに広がっています。作曲家・演奏者・編曲者が主体的に素材の可能性を見出す限り、変奏は音楽表現の最前線にあり続けるでしょう。
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参考文献
- Encyclopaedia Britannica: Variation (music)
- Encyclopaedia Britannica: Goldberg Variations
- Encyclopaedia Britannica: Diabelli Variations
- Encyclopaedia Britannica: Rhapsody on a Theme of Paganini
- IMSLP: Goldberg Variations, BWV 988 (score)
- IMSLP: Variations on a Waltz by Diabelli, Op.120 (score)
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