バイノーラル録音完全ガイド:原理・機材・制作ワークフローと再生のコツ
バイノーラル録音とは
バイノーラル録音は、人間の耳で聴くときに得られる立体的な音場感(左右・前後・上下の定位)をヘッドフォンで再現することを目的とした録音法です。通常のステレオ録音が音像を左右に広げるのに対し、バイノーラルは頭部、耳介(ピナ)、肩などが引き起こす音の位相差や周波数特性(頭外定位の手がかり)を利用して、聴き手がその場にいるような臨場感を創出します。再生は基本的にヘッドフォンで行う必要があり、正しく制作するとスピーカー再生では得られない立体感が得られます。
定位の物理・生理学的基礎(HRTF, ITD, ILD)
バイノーラル効果の根幹は頭部伝達関数(HRTF: Head-Related Transfer Function)です。HRTFは頭部・耳介・胴体が音をどのように変化させるかを周波数領域で表したもので、ある方向から到来する音が左右の耳に到達する際の周波数特性や位相差を含みます。代表的な定位手がかりは以下です。
- ITD(Interaural Time Difference): 左右の耳に到達する音の到達時間差。低周波で特に有効。
- ILD(Interaural Level Difference): 左右の耳での音圧レベル差。高周波でより顕著。
- 耳介による周波数特性変化: 耳の形状による反射・吸収が高さや前後の定位情報を与える。
これらを総合してHRTFが形成され、バイノーラル録音はこれを音響的に再現しようとする技術です。ただしHRTFは個人差が大きく、一般的な(非個別化)HRTFでは一部の被験者で定位が不自然に感じられることがあります。
歴史と発展
バイノーラル録音の研究は20世紀前半から行われ、1950年代以降に実用的なダミーヘッド(人間の頭部と耳を模したマイクロホン配置)が開発されました。近年はヘッドフォンと組み合わせたVR/AR、ゲーム、没入型オーディオ、ASMRなどで再注目を浴び、計測用HRTFデータベースやヘッドトラッキング、Ambisonicsからのバイノーラルレンダリングなど技術的進化が加速しています。
録音手法と機材
代表的な録音手法は以下の通りです。
- ダミーヘッド(Dummy Head / Artificial Head): 一体化された頭部モデルに左右のマイクを配置。製品例としてNeumann KU100やGRAS/KEMARなどがあり、物理的に最も自然なHRTFを模擬します。現場録音に適しますが、価格は高価です。
- インイヤーマイク(in-ear binaural): 実際の耳に小型マイクを装着して録る方法。演奏者の耳やリスナーの耳位置で収録できるため、演出の幅が広い一方で取り回しと風ノイズ対策が必要です。
- 仮想(ソフトウェア)バイノーラル: マルチマイクやAmbisonics(球面調和関数ベース)の収録を行い、ポストでHRTFを畳み込んでバイノーラル化する方法。制作やポストプロダクションでの柔軟性が高いです。
現場での録音のポイント
- 頭部/耳の位置を演者とリスナーの想定に合わせる: ダミーヘッドではリスニング位置を基準に設置します。ステージ録音では配置が定位に直結します。
- 風防とポップ対策: インイヤーやダミーヘッドは風や息のノイズに敏感です。ウインドジャマーやデッドニングを必ず用意すること。
- マイクの指向性選択: ダミーヘッドは通常カーディオイドやオムニのマイクを耳位置に内蔵。周囲の響きをどう取り込みたいかで選びます。
- モニタリング: 録音中はヘッドフォンで必ずチェック。定位感や不要な位相ずれ、反射の強さを確認します。
編集・ミックスの実務
バイノーラル素材の編集時には、左右チャンネル間の時間差や位相関係を損なわないことが重要です。ポストプロダクションでの代表的手法は:
- バイノーラルパンニング: 単体トラックをバイノーラル空間内で定位させるプラグイン(HRTFベース)を使用。多くのDAWやサードパーティープラグインが対応しています。
- HRTFコンボリューション: 収録音に特定のHRTFを畳み込み、任意の方向からの音像を合成する。CIPICなどのHRTFデータベースを活用可能です。
- Ambisonics -> バイノーラル変換: 1st-orderやhigher-order Ambisonicsで収録・ミックスし、リスナーに応じてバイノーラルデコード(ヘッドトラッキング対応可)するワークフローがVRで主流です。
EQやリバーブは慎重に扱い、定位情報を損なわないように左右の位相整合とディレイを意識してください。また、最終マスターはヘッドフォンでの試聴を基準に仕上げることが望ましいです。
再生時の注意点
- ヘッドフォン推奨: バイノーラル録音はヘッドフォン再生で最大の効果を発揮します。スピーカー再生ではクロストークキャンセレーションなどを用いない限り、定位感は損なわれます。
- ヘッドトラッキングの有無: VRや360°プレイヤーでヘッドトラッキングを組み合わせると、実際の頭の動きに合わせて音場が回転し、より自然な没入感を得られます。
- 個人差: HRTFの個人差により、あるリスナーには定位が正確でも別のリスナーには違和感を生む場合があります。個別化HRTFを用いるか、一般的なHRTFの中から最適なものを選ぶ試聴工程を持つとよいでしょう。
応用分野
- 音楽制作: ライブ録音やアンビエント作品、特にヘッドフォン専用コンテンツで活用。
- VR/AR・ゲーム: 3Dオーディオの基盤として、ヘッドトラッキングと組合せることで没入感を向上。
- 映画・没入型演劇: 臨場感のある音場演出に。
- 医療・聴覚研究: 人間の定位メカニズムを研究するための計測・シミュレーションに利用。
- ASMR: 近接感や微細な定位を活かしたコンテンツで多用。
メリットと限界
メリットは強い没入感と具体的な奥行き感、ヘッドフォンでのリアルな空間描写です。一方で限界として、個人差による定位の不一致、スピーカー再生での効果減衰、ダミーヘッドの固定化されたHRTF(個別耳形状と異なる)などがあります。また、ミックス時に左右チャンネルの位相を崩す処理(過度なステレオワイドナー等)はバイノーラル効果を損なう可能性があるため注意が必要です。
導入事例と機材の例
実務で多く使われる代表的機材・リソースは以下です。
- Neumann KU100(ダミーヘッド) - 高品位な商用モデルで音楽・放送・研究で広く使用されています。
- KEMAR / GRAS(測定用ダミーヘッド) - HRTF測定やルーム測定で利用されることが多い。
- CIPIC HRTF Database - さまざまな被験者のHRTFを収録した公開データベース(ポストプロダクションでの実験・レンダリングに有用)。
実践的ワークフローの提案
- 目的を決める(ライブ収録、VR用、ヘッドフォン専用音源など)。
- 収録方法を選定(ダミーヘッド、インイヤー、Ambisonicsなど)。
- 収録時は位相と風ノイズに注意し、ヘッドフォンでモニターする。
- ポストでHRTFコンボリューションやバイノーラルパンを用いて定位を調整。
- 複数のヘッドフォンで試聴、必要ならHRTFを切り替えて最適化する。
- 最終マスターはヘッドフォン再生を基準に書き出す(必要に応じてAmbisonicsバージョンも用意)。
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参考文献
- Binaural recording - Wikipedia
- Neumann KU 100 product page
- CIPIC HRTF Database
- Wightman, F. L., & Kistler, D. J. (1989). Headphone simulation of free-field listening. I/II. (JASA)
- Blauert, J. (1997). Spatial Hearing (Cambridge University Press)


