1920年代の映画スターたち — サイレントからトーキーへ:主要俳優とその遺産
1920年代俳優の時代背景
1920年代は映画史上、俳優という職業とスター文化が急速に確立した時代です。第一次世界大戦後の経済的繁栄と娯楽需要の高まりの中で、ハリウッドを中心にスタジオ・システムとスター・システムが整備され、俳優は単なる出演者からブランドとして人気を集める存在になりました。同時にドイツのワイマール映画やソ連、フランスなどでも才能ある俳優が活躍し、国際的な映画交流も進みました。1927年のトーキー先駆け『ジャズ・シンガー』の登場は、 decade の終盤にかけて俳優の技術やキャリアに大きな影響を及ぼしました。
代表的な俳優とその特徴
チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin) — サイレント時代を代表するコメディアンであり映画監督。〈キッド〉(1921)、〈黄金狂時代〉(1925)、〈サーカス〉(1928)などで〈リトル・トランプ〉のキャラクターを磨き、身体表現とメロドラマの融合によって国際的な人気を獲得しました。サイレントの語り手として自作自演を続けたことが特徴です。
バスター・キートン(Buster Keaton) — 無表情(stone face)と精密なスタントで知られるコメディ俳優。〈シャーロック・ジュニア〉(1924)、〈将軍〉(1926)、〈蒸気船のジョー〉(Steamboat Bill, Jr., 1928)などで卓越した物理ギャグと編集感覚を示しました。
ハロルド・ロイド(Harold Lloyd) — サスペンスとユーモアを融合させたコメディ俳優。〈Safety Last!〉(1923)のビルの時計のシーンは象徴的で、都市生活を舞台にしたキャラクター造形が得意でした。
ダグラス・フェアバンクス(Douglas Fairbanks) — スワッシュバックラー(剣戟アクション)を得意とするスター。〈マーク・オブ・ゾロ〉(1920)、〈盗賊王〉(The Thief of Bagdad, 1924)、〈黒い海賊〉(The Black Pirate, 1926)などでアクション・ヒーロー像を確立しました。
メアリー・ピックフォード(Mary Pickford) — 「アメリカの恋人(America’s Sweetheart)」と呼ばれた女優で、1920年代もトップスターとして活躍。俳優としての人気だけでなく、1919年にはチャップリンらとともにユナイテッド・アーティスツを設立し、興行面でも重要な役割を果たしました。
ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino) — ラテン系のロマンティック・アイコン。〈四騎士〉(The Four Horsemen of the Apocalypse, 1921)、〈シーク〉(The Sheik, 1921)、〈血と砂〉(Blood and Sand, 1922)などで「セックス・シンボル」として若い女性を熱狂させ、1926年の早逝は世界的な悲嘆を呼びました。
グレタ・ガルボ(Greta Garbo) — スウェーデン出身の女優で、アメリカ進出後に大スターへ。〈トレント〉(Torrent, 1926)、〈肉体と悪魔〉(Flesh and the Devil, 1926)、〈ラヴ〉(Love, 1927)などで神秘的で内省的な魅力を示し、トーキー移行期にも成功しました。
リリアン・ギッシュ(Lillian Gish) — 演技力と繊細な表現で知られる女優。グリフィス作品でキャリアを築き、〈オーファンズ・オブ・ザ・ストーム〉(Orphans of the Storm, 1921)、〈白衣の姉妹〉(The White Sister, 1923)、〈ラ・ボエーム〉(La Bohème, 1926)などで重要な役割を果たしました。
ロン・チェイニー(Lon Chaney) — メイクと変身の名手。〈ノートルダムのせむし男〉(The Hunchback of Notre Dame, 1923)、〈オペラ座の怪人〉(The Phantom of the Opera, 1925)、〈ザ・アンノウン〉(The Unknown, 1927)などで肉体改造や特殊メイクを駆使し、ホラー表現の基礎を築きました。
エミール・ヤニングス(Emil Jannings) — ドイツ出身の名優で、ハリウッドでも活躍。1929年の第1回アカデミー賞では主演男優賞を受賞(受賞対象となった作品は〈最後の命令〉(The Last Command, 1928)など)。演劇的な表現力と屏風的な迫力で知られます。
アンナ・メイ・ウォン(Anna May Wong) — 中国系アメリカ人としてハリウッドで活動した初期の国際的スター。〈海の代償(The Toll of the Sea)〉(1922)、英国作品〈ピカディリー〉(Piccadilly, 1929)などで注目されましたが、1800年代的な人種的制約により活動の選択肢が制限されました。
演技様式と技術的変化
1920年代の俳優は無声映画の文法に適応した表現力を磨きました。台詞がないため、顔の表情、身振り、身体的タイミングが物語伝達の主要手段となり、コメディではスタントやスラップスティックが洗練されました。ロン・チェイニーのようにメイクで役を創る技術も進展しました。
しかし1927年以降のサウンド技術導入は俳優に新たな要求を突きつけました。声質、発音、話し方がキャリアを左右し、サイレント時代のスターの一部はトーキーに適応できず没落した一方、歌や台詞を生かして成功した者も多くいました(例:グレタ・ガルボはトーキーでも活躍)。また、サウンドは演出や撮影技法を変え、初期のトーキー作品は静的になる傾向がありましたが、数年で演技スタイルも再編されました。
産業構造とスターの社会的役割
1920年代はスタジオが俳優と長期契約を結び、イメージ管理や宣伝が組織的に行われた時代です。フォトプレイ(Photoplay)などのファン誌がスターの私生活やイメージを消費する文化を育て、映画スターは広告や商品展開、社会的発言力を持つ存在になりました。ユナイテッド・アーティスツのように俳優自身が製作や配給に関与する試みもあり、スターの経済的地位向上が見られました。
多様性と制約:国際的な動向と人種問題
1920年代は国際的な映画交流の時期でもあり、ドイツ表現主義やフランス、ソ連の活動が俳優像に影響を与えました。一方で、人種や性別による制約は厳しく、有色人種俳優や女性俳優は限定された役しか与えられないことが多かったです。アンナ・メイ・ウォンのような先駆者は国際的評価を得ながらも差別的なキャスティングに直面しました。また、アフリカ系アメリカ人俳優は主流ハリウッドでの機会が少なく、独立系の『ブラックバック』映画(黒人向け制作)や舞台を中心に活動する者が多かった点も見逃せません。
レガシーと今日への影響
1920年代の俳優たちが築いた身体表現、コメディの技巧、スター・イメージの管理法は現代映画にも繋がっています。チャップリンやキートンのスタントと編集、チェイニーの変身術は映画美学の基礎となり、トーキーへの移行で生き残った俳優たちの適応力は俳優教育にも示唆を与えました。さらに、当時のスター文化は現在のグローバルなセレブリティ文化の原型とも言えます。
まとめ
1920年代は俳優の職能が劇的に進化した時代であり、サイレント演技の洗練、スター・システムの確立、トーキーによる価値観の再編成が同時に起こった時期です。チャップリン、キートン、ロイド、フェアバンクス、ピックフォード、ヴァレンティノ、ガルボ、ギッシュ、チェイニーらはそれぞれ異なる方法でスクリーン上の可能性を拡げ、現代映画演技とスター文化の基盤を築きました。同時に人種・ジェンダーの制約も明確になり、その克服は以後の映画史における重要課題となりました。
参考文献
- Britannica: Charlie Chaplin
- Britannica: Buster Keaton
- Britannica: Harold Lloyd
- Britannica: Douglas Fairbanks
- Britannica: Mary Pickford
- Britannica: Rudolph Valentino
- Britannica: Greta Garbo
- Britannica: Lillian Gish
- Britannica: Lon Chaney
- Britannica: Emil Jannings
- Britannica: Anna May Wong
- Britannica: The Jazz Singer(1927)
- Academy of Motion Picture Arts and Sciences: 1st Academy Awards (1929)
- Britannica: Silent film


