バーナード・ハーマン:ヒッチコックと映画音楽を変えた作曲家の全貌
導入 — 20世紀映画音楽の革命児
バーナード・ハーマン(Bernard Herrmann、1911年生〜1975年没)は、ハリウッド黄金期以降の映画音楽に決定的な影響を与えた作曲家の一人です。オーソン・ウェルズやアルフレッド・ヒッチコックといった映画監督たちと密接に協働し、映像と音楽の関係を再定義しました。本コラムでは、ハーマンの生涯、代表作、作風・技法、録音やオーケストレーションの特徴、影響と評価をできる限り正確にまとめ、映画ファンや音楽好きに向けて深掘りします。
生涯と経歴(概略)
バーナード・ハーマンは1911年にニューヨークで生まれ、音楽教育を受けた後ラジオや舞台で活動を始めました。ラジオ時代には作曲・編曲・音楽監督として腕を磨き、オーソン・ウェルズの『マーキュリー・シアター』など、実験的な音響表現を伴う仕事にも携わりました。やがて映画界へ進出し、1940年代以降、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(1941)をはじめとする重要作の音楽を手掛け、映画音楽家としての地位を確立しました。
オーソン・ウェルズとの協働
ハーマンとウェルズの協働は、映画音楽における“物語への音楽的応答”という概念を強化しました。代表例のひとつ『市民ケーン』では、心理的層を支える主題や色彩的な楽器配置が用いられ、単なる背景音楽ではなく物語の語り部となる役割を果たしました。ウェルズとの仕事は、ハーマンが映像のテンポやカットに密接に合わせて作曲する「スコアを映像に厳密に合わせる」手法を深化させる場ともなりました。
アルフレッド・ヒッチコックとの黄金期
ハーマンの名を世に知らしめたのがヒッチコックとの協働です。両者は映画音楽の可能性を劇的に拡張しました。主な共同作には以下があります。
- 『めまい(Vertigo)』(1958) — ヘリテージとなる夢幻的で不安定な響き。
- 『北北西に進路を取れ(North by Northwest)』(1959) — スパイ映画的なリズムとモチーフの巧みな使用。
- 『サイコ(Psycho)』(1960) — 弦楽器のみの極端に緊張感あるオーケストレーションが衝撃を与えた。
- 『知りすぎていた男(The Man Who Knew Too Much)』(1956)、『間違えられた男(The Wrong Man)』(1956)など
特に『サイコ』での弦楽のみのスコアは、その音響イメージが映画史に強烈な足跡を残しました。ハーマンの音楽は映像のサスペンスや心理的緊張を直接的に増幅させるもので、監督との意思疎通や信頼が制作において重要であることを示しました。しかし両者の関係は作品『トーン・カーテン(Torn Curtain)』の制作時に決裂し、それ以降の共同作業は途絶えます。これは映画界において創作者同士の相互理解がいかに繊細かを示す有名な逸話として語られています。
作風・技法の分析
ハーマンの音楽の特徴は、以下の要素にまとめられます。
- 映像との緊密な同期:ハーマンは映像のテンポやモンタージュに合わせて細かく音楽を設計する「スコアの精密な同期」を重視しました。
- 独自のオーケストレーション:しばしば通常の音色配置を逸脱し、弦楽のみや特定楽器群への集中、メロディよりも色彩(timbre)を重視する配列を行いました。
- モティーフと反復:主題やモチーフの反復を用いて心理的な執着や強迫を音楽的に表現することが多いです。
- 不協和音とクラスター:緊張を生む近接和音やクラスターを効果的に使用し、しばしば不安定な和声を作り出しました。
- 映画的機能の拡張:単なる情緒付けではなく、登場人物の心理を代弁したり物語の構造自体を補強したりする音楽設計を得意としました。
代表作と具体的な聴きどころ
以下は代表作とその聴きどころです。
- 市民ケーン(Citizen Kane, 1941) — 幅広い音楽語彙で登場人物の階層や回想を音楽的に描写。映画史上重要な出発点の一つ。
- めまい(Vertigo, 1958) — 旋律の断片化とハーモニーのずらしにより、主人公の錯乱と執着が音で表現されます。
- サイコ(Psycho, 1960) — 弦楽器だけで構成されたスコアは、アイコニックな“シャワー”の場面での鋭いアタックや不協和が印象的。音が視覚的衝撃と同等の役割を果たします。
- 北北西(North by Northwest, 1959) — 映画のスリリングな展開に寄り添うリズムと主題の扱いが鮮烈。
- タクシードライバー(Taxi Driver, 1976) — ハーマンの最晩年の作品で、都会の孤独と狂気を陰影豊かに描きます(本作は彼の遺作として知られます)。
録音・オーケストレーションの実践
ハーマンはレコーディングでも細部にこだわり、奏者の配置、ダイナミクス、録音技術との相互作用を重視しました。特に弦楽のアーティキュレーションや弓遣いを細かく指定することで、鋭く突き刺すような音や、逆に包み込むような弾性を得ることに成功しています。また、小編成・同一楽器群に集中する編成を時に選び、これが独特の音色空間を作り出しました。
影響と後世への遺産
ハーマンの影響は映画音楽界に広く及んでいます。ヒッチコック以前と以後で、音楽が映像の心理的役割を担うという考え方が一般化し、後の作曲家たち(ジョン・ウィリアムズ、ジェリー・ゴールドスミス、バーナード・ハーマンに影響を受けた現代の映画作曲家など)に多大な示唆を与えました。また、ポップカルチャーやテレビ、ゲーム音楽にもハーマン的な手法(モチーフの反復、不協和による緊張、特殊なオーケストレーション)が取り入れられています。
人間像と制作現場での逸話
ハーマンは繊細かつ頑固な職人気質の持ち主として知られ、音楽的な妥協を嫌いました。監督との衝突も少なくなく、特に創造的判断を巡るやり取りは伝説的です。同時に、彼の指揮やスコアづくりを敬愛する映画人も多く、録音現場では厳しくも的確な指示で名演を引き出したと言われます。
まとめ — 映像と音楽の関係を再定義した作曲家
バーナード・ハーマンは、映画音楽を単なる背景音ではなく物語と心理を能動的に形成する要素として位置づけました。独自のオーケストレーション、不協和や反復を駆使した音楽言語、映像との緻密な同期──これらは映像表現の可能性を拡張し、以後の映画作曲の基準となりました。映画音楽を学ぶ者、映画を愛する者にとって、ハーマンの仕事は今なお学びと驚きの源泉です。
参考文献
Encyclopaedia Britannica — Bernard Herrmann


