映画史の全体像:技術・芸術・産業が紡いだ変容の系譜

序章:映画史を読む意味

映画は映像・音・物語を組み合わせる複合芸術であり、技術革新・産業構造・社会文化の影響を強く受けてきました。本稿では、発明期からデジタル・ストリーミング時代に至る主要な潮流を、技術的転換点・美学的運動・産業的変化の三つの観点から整理し、映画史の大局を読み解きます。

前史と発明期(19世紀末〜1900年代)

映画の直接的な前史には、写真術、マジックランタン、連続写真実験などが含まれます。エジソンのキネトスコープ(1891年頃)は個別鑑賞型の映像装置であり、その後フランスのリュミエール兄弟が1895年12月28日にパリで公開した興行上映がしばしば「映画の誕生」として挙げられます。ジョルジュ・メリエスは初期に映画的トリックや物語性を発展させ、『月世界旅行』(1902年)などで映画を娯楽芸術として確立しました。

サイレント時代の多様化(1900年代〜1920年代)

1900年代から20年代にかけて、編集技法、カメラワーク、演出が急速に成熟しました。D.W.グリフィスは『國民の誕生』(The Birth of a Nation, 1915)や『イントレランス』(1916)などで連続編集やクロスカッティングを洗練させ、物語映画の語法を確立しました。並行して、ヨーロッパではドイツ表現主義(『カリガリ博士』1920など)、ソヴィエトのモンタージュ理論(レフ・クルショーヴの実験、セルゲイ・エイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』1925)、フランスの印象派的実験(ジャン・エプスタイン、アベル・ガンスら)がそれぞれ独自の美学を追求しました。また、ドキュメンタリーの初期形態としてロバート・フラハティの『Nanook of the North』(1922)が知られます。

音響革命とハリウッドの黄金期(1927〜1940年代)

トーキーの到来は映画表現と産業の地殻変動をもたらしました。1927年の『ジャズ・シンガー』は部分的に同期した音声を用いた商業的成功作であり、以降サイレント映画の俳優・監督・劇場は大きな適応を迫られました。1930年代にはカラー(3色テクニカラー)や長編アニメーション(ディズニー『白雪姫』1937)なども登場し、ハリウッド・スタジオ・システムが確立。スタジオは垂直統合で制作・配給・公開を支配し、ジャンル映画とスター制度を確立しました。一方で、ヨーロッパの映画は政治的・社会的な圧力や内戦・戦争の影響を受け変容しました。

戦後の再編と新たな美学(1940年代〜1950年代)

第二次世界大戦後、イタリアのネオレアリズモ(ロベルト・ロッセリーニ『ローマ、開城』1945、ヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』1948)は現場撮影・非職業俳優・社会的主題を特徴とし、映画を現実認識の媒体として再定義しました。日本映画は黒澤明(『羅生門』1950)、小津安二郎、溝口健二らが国際的評価を獲得し、フランスでは詩的リアリズムや後のヌーヴェルヴァーグにつながる動きが起きました。アカデミー賞やヴェネツィア/カンヌなど国際映画祭が戦後の文化交流に重要な役割を果たしました。

フランス・ヌーヴェルヴァーグと著者主義(1950〜1960年代)

1950年代末から1960年代にかけて、若い批評家出身の監督たち(フランソワ・トリュフォー『大人は判ってくれない』1959、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』1960など)が既存の映画語法や産業慣行に挑戦しました。ヌーヴェルヴァーグは携帯機材、ロケ撮影、長回し、断片的編集などを導入し、監督の個性を重視する「作者(アウター)理論」を国際的に広めました。この動きは世界各地で若い映画作家に影響を与え、政治的・実験的な映画制作を刺激しました。

産業の変化:ニューハリウッドとブロックバスター化(1960〜1970年代)

ハリウッドでは1960年代後半に旧来のスタジオ体制が崩れ、新しい才能(フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、スティーヴン・スピルバーグなど)が登場しました。同時に1975年の『ジョーズ』、1977年の『スター・ウォーズ』はマーケティングと全国ロードショーを組み合わせたブロックバスター興行のモデルを確立し、映画産業の商業主義が強まります。映画の制作・配給・宣伝のあり方が大きく変化しました。

世界映画の多様化とポスト植民地主義的視座(1960〜1980年代)

同時期にはインド(ボリウッドの商業映画と並行するアート映画)、アフリカ・ラテンアメリカの「第三の映画(Third Cinema)」運動、韓国・台湾・中国の新しい波など、地域固有の歴史・政治状況を反映した映画制作が活発化しました。これらは映像表現の多様性を広げるとともに、映画と国家・アイデンティティの関係についての議論を促しました。

技術革命:VFX、デジタル撮影、CGI(1990年代〜2000年代)

1990年代以降のコンピュータグラフィックス(CGI)は映像表現を根本から変えました。『ジュラシック・パーク』(1993)は実写とCGIを融合させる画期的成功を収め、『トイ・ストーリー』(1995)は長編フルCGアニメの先駆けとなりました。同時にデジタル撮影の普及により、撮影コストの低下やポストプロダクションでの柔軟性が向上し、低予算の独立映画や国際共同製作が増加しました。2000年代には一部のメジャー作品でもデジタル撮影が主流となり、フィルムからの移行が進みました(例:『スター・ウォーズ エピソードII/クローンの攻撃』2002はデジタル撮影の早期事例)。

配信プラットフォームと産業構造の再編(2010年代〜現在)

インターネットを基盤とするストリーミングサービス(Netflix、Amazon Prime、Disney+など)は、制作・配信・消費のパラダイムを変えました。Netflixは2007年にストリーミングを開始し、2010年代中盤からはオリジナル映画・ドラマの制作と映画祭出品・配給を行うことで業界に影響を与えています。配信作品の賞レース参加や劇場公開との関係、ウィンドウの短縮化は映画と観客の接点を再定義しています。

美学と観客体験の変容:巨大スクリーンから個人視聴へ

一方で、IMAXや高フレームレート(HFR)、3Dといった技術は劇場体験を拡張し続けています。映画館は依然として大作を体験する場としての価値を持つ一方、モバイル端末やTVでの個別視聴が日常化し、物語の語り方や配給戦略も多様化しています。ポストシネマ的な視座では、映画はもはや単一の鑑賞形態に閉じられないメディアとなっています。

現代の課題と未来への展望

今日の映画界は、デジタル化とグローバル化が進む一方で、著作権・収益分配・表現の自由・多様性といった課題に直面しています。AI技術の登場は脚本生成、映像補完、フェイク映像の制御など新たな論点を生み、製作者倫理や規制の議論が必要です。将来的には、インタラクティブ映像や没入型VR/AR作品がさらに進化し、観客参与型の映画表現が拡がる可能性があります。

まとめ

映画史は単なる技術史ではなく、産業・政治・社会・美学が複層的に結びついた変遷の連続です。リュミエールの短編上映からデジタル・ストリーミング時代まで、映画は常にその時代の視覚文化を反映しながら自己変革を続けてきました。現在の変化もまた、新たな創造と議論を促す土壌となり得ます。

参考文献