クリス・マルケル──記憶と歴史を編むエッセイ映画の魔術師

クリス・マルケルとは

クリス・マルケル(Chris Marker、本名:Christian François Bouche-Villeneuve、1921年7月29日 - 2012年7月29日)は、フランスの映画作家、エッセイスト、写真家、メディア実験家として知られる。長年にわたり顔や私生活を極力公にしないことで神秘性を保ちつつ、映画の形式を問い直す作品群で国際的な評価を獲得した。代表作には短編映画『ラ・ジュテ』(1962)、旅と記憶をめぐる長編『サン・ソレイユ』(1983)、1960年代パリを描いた『ル・ジョリ・メ』(1963)などがある。

略歴と活動の軸

パリ生まれのマルケルは第二次世界大戦後に批評・エッセイ活動をはじめ、映画制作へと進む。1940年代末から1950年代にかけて短編・ドキュメンタリーを制作し、1953年の『Les Statues Meurent Aussi(彫像も死ぬ)』ではアフリカ美術をめぐる植民地主義の検証を行った(アラン・レネと共同)。1960年代以降は写真と映画の間に位置するような手法、すなわち静止画と音声を組み合わせた「フォト・モンタージュ」や、語りと断片的な映像で思考を紡ぐエッセイ映画を確立した。

主要作品とその意義

  • ラ・ジュテ(1962): 一連の静止写真とナレーションのみで構成される短編。時間、記憶、運命を扱うSF的寓話で、テリー・ギリアムの『12モンキーズ』に影響を与えたことで広く知られる。
  • ル・ジョリ・メ(1962–63): パリ市民へのインタビューを中心に、ポスト植民地時代の社会感情を映し出すドキュメンタリー。市井の声を丁寧に拾い、歴史の余白を可視化する試みである。
  • サン・ソレイユ(1983): 世界各地(日本を含む)を巡る映像記録と、架空の文通を交錯させるエッセイ映画。視覚と記憶、距離感と映像の関係を哲学的に探る作品であり、マルケルの作家性が最も成熟した形で現れる。
  • ル・フォンド・レール・エ・ルージュ(Le fond de l'air est rouge/1977): 1968年以降の左派運動を検証した大作。政治的な出来事と個人的・文化的記憶を重層的に編集することで、歴史叙述の不確かさを露呈させる。
  • レ・スタチュー・モール・オッソ(Les Statues Meurent Aussi/1953): アフリカの彫像をめぐる短篇で、植民地主義が美術をどのように消費・変容させるかを鋭く批判。公開後に一時的な検閲の対象となったことでも知られる。
  • イマーリ(Immemory/1998): CD-ROMを用いたマルチメディア作品。映画的な時間性と非線形の物語構造をデジタル空間へ移植した先駆的試みで、インタラクティブ表現への関心を示す。
  • レベル・ファイブ(Level Five/1997): ゲーム、記憶、戦争(沖縄)をめぐるメタ映画。個人的な物語と史実の交差を通じて、過去の再現不可能性を問題化する。

作風・テーマの特徴

マルケルの映画は「エッセイ映画」というジャンル性で語られることが多い。断片的なイメージ、語り(しばしば女性のモノローグ)、写真と動画の併用、アーカイブ映像の再編集という手法を通じて、次のような主題を反復的に探求した。

  • 記憶と時間:個人的記憶と集団的記憶のズレ、記憶の信憑性。
  • 歴史とメディア:映像が歴史をどのように形作るか、また歴史が映像にどのように写るか。
  • 植民地主義と文化の他者性:欧米中心の美術史や歴史叙述への批判。
  • 旅と他者との出会い:観光ではない目線での「旅」を通じた文化間の接触。

技法と表現の革新性

静止画を連続させることで運動感を作り出す『ラ・ジュテ』の技法、語りを重層化して観客の解釈を誘う編集、アーカイブ映像のコラージュなど、マルケルは映画の時間構造を解体・再構成することで、観客に思考の余白を残す。さらにデジタル時代にはインタラクティブ作品にも挑み、メディアを跨いだ表現の可能性を追求した。

影響と評価

マルケルの影響は実験映画やドキュメンタリー、エッセイ映画の作家たちに広がる。テリー・ギリアムが『12モンキーズ』で『ラ・ジュテ』のアイデアを参照したことは有名で、現代の映像作家や批評家は彼を映画的思考の重要人物として位置づける。美術界や写真表現とも深く結びつき、映画の枠を超えた芸術的評価を受けている。

鑑賞のためのガイド

  • 初めて観るなら『ラ・ジュテ』と『サン・ソレイユ』をセットで。短編と長編の対比からマルケルの方法論がつかめる。
  • 『ル・ジョリ・メ』や『ル・フォンド・レール・エ・ルージュ』は政治的文脈を理解するとさらに深まる。背景となる1960年代〜70年代のフランス政治を簡単に調べておくと良い。
  • マルチメディア作品『Immemory』はインターネット以前のデジタル映像実験として貴重。可能なら資料館やオンラインアーカイブで補助資料を読むことを勧める。

結び──記憶の編み手としてのマルケル

クリス・マルケルは、映画が単に物語を伝える道具ではなく、記憶と歴史を再編する思考装置であることを示した作家である。彼の作品は明確な結論を与えず、観る者に問いを残す。映像の断片をつなぎ合わせることで過去と現在の相互浸透を明らかにし、その曖昧さこそが我々の歴史理解を豊かにすると教えてくれる。

参考文献