カリヨン(carillon)完全ガイド:歴史・構造・奏法から現代の役割まで解説
カリヨンとは何か
カリヨン(carillon)は、調律された複数の鐘(ベル)を一つの楽器としてまとめ、鍵盤(バトン)とペダルを用いて演奏する鐘楽器です。一般に「カリヨン」と呼ぶための基準は世界的に確立されており、少なくとも23個の調律された鐘を備え、手鍵盤(バトン)によって直接操作される機械式または電気式の系統を持つものを指します。
起源と歴史的背景
カリヨンの起源はヨーロッパのフランドル(現在のベルギー・オランダ地域)にあり、中世から市役所や教会の鐘楼で時刻告知や宗教儀礼、祝祭を告げるために鐘が使われてきました。16〜18世紀にかけて、複数の鐘を体系的に奏する技術が発展し、やがて現在のカリヨンの原型が形成されます。19世紀から20世紀にかけては、鐘鋳造技術や鍵盤駆動機構の改良、カリヨン演奏の技法の確立により、楽器としての地位が明確になりました。
構造と素材
カリヨンの中心はもちろん「鐘」です。鐘は一般にブロンズ(およそ銅78%、スズ22%程度)で鋳造され、鐘身の形状と厚みの分布により音色と倍音構造が決まります。鐘には複数の部分音(パーシャル、倍音)があり、代表的なものにハム(低いオクターブ相当)、プライム(打鐘音=実音)、ターセ(第三音程)、クイント(五度)、ノミナル(一オクターブ上)などがあります。鐘の音色はこれらの倍音のバランスで決まり、鋳造後に内側を削ることで微調整(チューニング)されます。
鍵盤と機構(クレヴィエ)
伝統的なカリヨンは機械式の鍵盤(カリヨン・クレヴィエ)を備え、演奏者は木製のバトン(手鍵)を拳で押し、足で操作するペダルを踏んで低音域の鐘を鳴らします。バトンやペダルはワイヤーやロッドで鐘のクラッパー(内部の打子)や外側のハンマーに接続され、直接打撃を与えます。これにより、打撃の強さを変えることで音量や音の立ち上がりに表現を持たせることができます。
一方で、電気式や電子制御のカリヨン(自動演奏機能付きや完全電子鋳造音を導入したもの)も普及しており、遠隔操作や自動での時報演奏、録音再生などが可能です。ただし、機械式と比較して表現の幅が限定されることがあるため、コンサート用や芸術的表現を重視する場面では機械式が好まれます。
レンジと分類
- ミニマムカリヨン:23個程度の鐘を持ち、基本的な旋律演奏が可能。
- コンサートカリヨン:47個前後(約4オクターブ)を備えることが多く、規模の大きいレパートリーの演奏に適する。
- 大型カリヨン:50個以上、場合によっては70個台の鐘を持つ場合もあり、低音域や豊かな和音表現を可能にする。
鋳造と主要なベルファウンドリー(鐘鋳造所)
高品質のカリヨンの多くは歴史ある鐘鋳造所で作られます。代表的な鋳造所としては、オランダの Royal Eijsbouts(ロイヤル・アイスバウツ)、イギリスの John Taylor & Co(ジョン・テイラー)、フランスの Paccard(パカール)などが知られています。各社は長年のノウハウを持ち、鐘の合金比率や鋳造技術、そして仕上げのチューニング技術に特徴があります。
チューニング(音づくり)の要点
鐘のチューニングは、鋳造後に内側の金属を削ることで行います。主な目的は代表響(ストライク・ノート)を意図した音高に合わせ、同時に倍音のバランスを整えて望ましい調和を作ることです。鐘は複合音体であるため、ひとつの鐘における倍音の微調整が非常に重要で、ここがベル鋳造の難しさでもあります。
奏法と表現
カリヨン演奏は、ピアノやオルガンとは異なる直接打撃の感覚を持ちます。バトンは拳で叩くため、指先の繊細なコントロールというより肘や腕を含めた身体的な表現が重要です。力の入れ方で音の強弱はある程度操作できますが、鐘が持つ残響や倍音のため、ポルタメントや非常に速いパッセージの輪郭は他の鍵盤楽器と比べて特殊です。また、鐘の立ち上がり・減衰の特性を考慮した編曲や編成が求められます。
レパートリーと作曲家
伝統的にはヨーロッパの民衆音楽や教会音楽の編曲、行進曲や時報メロディなどが中心でしたが、19世紀以降はカリヨン独自の作品や、クラシックから現代音楽まで幅広い編曲が行われるようになりました。18世紀のベルギー出身のカリヨン奏者・作曲家であるMatthias Vanden Gheyn(マティアス・ファンデン・ヘイン)のエチュードや作品はカリヨン文学の古典として知られています。また、20世紀以降も多くの現代作曲家がカリヨンのための作品を作曲しています。
教育と演奏家(カリヨヌール)
専門の教育機関として有名なのはベルギーのRoyal Carillon School “Jef Denyn”(ロイヤル・カリヨンスクール、メヘレン)で、1922年に設立され、世界中から学生が学びに来ます。カリヨン奏者(carillonneur)は技術だけでなく、編曲・即興・楽器管理や塔内での安全管理など幅広い知識を求められます。世界各地にカリヨン協会やコミュニティがあり、定期的なフェスティバルや交流が行われています。
設置・維持管理のポイント
- 塔や塔屋の構造強度:大型の鐘や鋼製フレームは大きな荷重と振動を塔に与えるため、建築的な補強が必要。
- 防錆・防食処置:ベルと金属機構は屋外環境に長時間さらされるため、適切な塗装や潤滑、耐候処理が不可欠。
- 定期的な点検:ワイヤーやロッドの緩み、クラッパーの摩耗、木製フレームの腐食などを定期点検する。
- 再チューニング・再鋳造:長年の使用で鐘に不具合が生じた場合、修復や最終的には再鋳造が必要になることがある。
都市とコミュニティにおける役割
カリヨンは時刻告知や祝典、追悼、季節感の表現など都市文化に強く結びついています。ヨーロッパの多くの都市では市民サービスの一環として定期演奏や休日のコンサートが行われ、町の音風景(サウンドスケープ)を形成しています。現代でも公共空間での音楽として重要な役割を果たしていますが、近年は騒音や時間帯の制約など地域コミュニティとの調整が必要になることもあります。
電子カリヨンと自動演奏
20世紀後半からは電気アクチュエータや電子音源を用いたカリヨンも登場しました。これらはコスト面や維持管理、夜間演奏や遠隔制御の利便性から採用されることがあります。電子カリヨンは実鐘の物理的残響や倍音の豊かさを完全には再現できないため、音質面では賛否両論ありますが、用途や設置条件によっては有効な代替手段です。
現代の課題と展望
伝統の継承とともに、カリヨン界は次の課題に直面しています。演奏者の育成と若年層への普及、都市環境での音楽の受容、鐘鋳造業の継続性、そしてデジタル化と伝統的な演奏表現とのバランスです。一方で、カリヨンは公共性の高い楽器として地域のアイデンティティ形成に寄与できるため、保存・活用の観点から新たなプロジェクトやフェスティバル、教育プログラムが世界各地で増えています。
カリヨンに触れる・学ぶには
見学やコンサート参加、ワークショップは入門の近道です。多くの都市や大学、宗教施設が定期的に演奏会を開いているので、まずは現地で生の音を聴くことを勧めます。学習を進める場合は、地域のカリヨン協会や専門学校(例:Royal Carillon School)などで基礎技術や楽譜の読み方、塔内作業の安全知識を学びます。
まとめ
カリヨンは物理的に巨大でありながら、極めて繊細な音楽表現を可能にする楽器です。歴史的には都市と市民の生活に深く根ざしてきた文化資産であり、現代においてもその公共性や芸術性から多くの関心を集めています。鐘の素材や鋳造、機構、奏法、維持管理といった多面的な要素が絡み合うため、音楽家だけでなく建築家や技術者、行政、地域コミュニティが協働してはじめて持続可能なカリヨン文化が守られていきます。
参考文献
- Encyclopaedia Britannica — Carillon
- World Carillon Federation
- Royal Carillon School "Jef Denyn"(公式サイト)
- John Taylor & Co(鐘鋳造所)
- Royal Eijsbouts(鐘鋳造所)
- Paccard(鐘鋳造所)


