CRAY C90徹底解説:設計思想・アーキテクチャ・運用事例から見るスーパーコンピューティングの礎

概要 — CRAY C90とは何か

CRAY C90は、米国のCray Researchが1990年代初頭に投入したベクトル型スーパーコンピュータのシリーズであり、同社のY-MP系の設計思想を受け継ぎつつ改良を加えた高性能機です。大規模科学技術計算や数値流体力学(CFD)、気象・大気シミュレーション、核物理・計算化学など、膨大な浮動小数点演算能力と高いメモリ帯域幅を必要とする用途に広く採用されました。UNIXベースのOS(UNICOS)を採用し、従来のCrayアプリケーション資産を活かせる点も特徴です。

設計思想とアーキテクチャの特徴

CRAY C90は「ベクトル化(vectorization)を最大限活用することで高い実効性能を引き出す」ことを設計目標としました。複数のベクトルプロセッサを並列化して高スループットを実現し、演算ユニットとメモリ帯域のバランスに強く配慮したハードウェア構成が取られています。

  • 共有メモリ型マルチプロセッサ構成:複数プロセッサ(最大で数十数ユニット規模)による共有メモリアクセスを前提とした設計で、プロセッサ間のコヒーレンシやメモリ帯域管理が重要でした。
  • 深いベクトルパイプライン:長いベクトル長に対して高効率を発揮するパイプライン設計を持ち、ループのベクトル化が高性能化の鍵となりました。
  • 高帯域幅・低レイテンシメモリ:演算ユニットへのデータ供給がボトルネックにならないよう、メモリインタリーブや専用バスを用いて帯域を確保します。

ソフトウェア環境とプログラミングモデル

CRAY C90上では、主にFortran(特に科学技術計算で広く使われたFortran 77/90)やCが用いられ、Cray独自のコンパイラ群はベクトル化を自動あるいは指示子(pragma)で支援しました。最適化コンパイラはベクトル命令への変換、ループ変換、依存関係解析などを行い、プログラマはデータ配置やループ構造の工夫(配列の連続配置、ループの分割や入れ替え)により大きく性能を改善できます。

  • UNICOS:CrayのUNIX互換OSを搭載し、ジョブ管理やファイルシステム、ネットワーク機能を提供。
  • 数学ライブラリ:ベクトル命令に最適化されたBLASやFFT、線形代数ソルバ等の高性能ライブラリが整備されていました。
  • プロファイリングとチューニング:性能解析ツールにより、メモリ帯域やキャッシュヒット率、ベクトル利用率を計測しボトルネックを特定することが重要でした。

性能の特性と最適化指針

CRAY C90のピーク性能は理論上の演算能力で語られますが、実運用ではベクトル長とメモリアクセスパターンが実効性能を左右します。短いループや分岐の多いコードではベクトル化効率が落ちるため、データ並びの工夫やアルゴリズムの変更が求められました。

  • ベクトル長を延ばす:配列を連続領域に配置し、ループの余分な条件判定を排する。
  • メモリローカリティの確保:データをアクセス順に整理し、ストライドアクセスを避ける。
  • スレッド・プロセッサ割当て:並列領域を適切に分割して各プロセッサが十分な仕事量を受け持つようにする。

典型的な導入先と利用例

CRAY C90は国家研究機関、大学、気象庁やエネルギー研究所、軍事研究機関などで採用され、特に以下のような分野で多くの成果を出しました。

  • 気象・気候解析:大規模な数値予報モデルや気候シミュレーション。
  • 流体解析(CFD):自動車・航空機設計での空力解析や衝突解析。
  • 計算化学・材料科学:分子動力学や量子化学計算。
  • 数値最適化・逆解析:構造解析や最適化問題における大規模線形代数計算。

運用面:冷却・物理設置・保守

高密度の演算装置と大きな電力消費に伴い、CRAY C90の運用には専用の設備が必要でした。電源・冷却・床荷重などの物理条件が設置に影響するため、導入前のインフラ評価が重要です。冷却方式やラック設計は機種や導入年によって異なりますが、計算機室の空調能力と配電計画は必須の検討事項です。

  • 設備要件:専用電源回路、UPS、空調容量、床荷重対策。
  • 保守・サポート:専用のサービス契約によりハードウェア故障時のパーツ供給やオンサイト保守が提供されることが多かった。
  • 運用ノウハウ:ジョブスケジューリングやユーザ管理、バックアップ運用の確立。

歴史的意義と現代への影響

CRAY C90は、ベクトル型アーキテクチャの熟成期に位置するシステムで、当時の科学技術計算のニーズを大きく前進させました。ベクトル化やメモリ帯域の重要性、コンパイラ最適化の技法は、その後のスーパーコンピュータやベクトル化対応GPUといった並列アーキテクチャにも受け継がれています。さらに、UNICOSなどのOSや高性能ライブラリの蓄積はHPCソフトウェア生態系の基盤形成にも寄与しました。

導入時の留意点とよくある課題

現在、CRAY C90はレガシー機種であり実際の新規導入は稀ですが、歴史的検討や既存システムの移行計画を立てる際のポイントは参考になります。

  • ソフトウェア資産の継承:古いFortranコードやベクトル依存の最適化がある場合、現代アーキテクチャへの移植をどう行うか。
  • 性能再現性:再現シミュレーションや古い結果の検証では、数値的微妙な差(丸め誤差や演算順序)が問題になることがある。
  • 運用コスト:古いハードウェアの維持は部品調達や電力効率の面でコストが高くつく。

まとめ

CRAY C90は、ベクトル型スーパーコンピューティングの成熟を象徴する機種の一つで、当時の科学技術計算に大きな影響を与えました。ハードウェア設計、コンパイラ技術、最適化ノウハウ、運用上の要件といった側面は、現代の並列・ベクトル化アーキテクチャにも通じる重要な教訓を残しています。歴史的な価値だけでなく、アーキテクチャ設計や性能最適化の視点から学べる点は多く、HPCを学ぶ上で有益なケーススタディとなります。

参考文献

Wikipedia: Cray C90
Wikipedia: Cray Research
Computer History Museum