R32冷媒とは何か?建築・設備設計で知っておくべき技術・安全・規制のすべて
はじめに — なぜ今「R32」が注目されるのか
近年、空調・冷凍機器における冷媒の選定は、エネルギー効率の向上と地球温暖化抑制という二つの要請を満たすことが求められています。R32(化学名:difluoromethane、化学式 CH2F2)は、従来のR410Aなどに比べて低い地球温暖化係数(GWP)や高いエネルギー性能を持つことから、業界で急速に普及してきました。本稿では、建築・設備設計の視点でR32の物性、利点・欠点、安全対策、設計・施工上の実務、法規制や将来展望までを詳しく解説します。
R32の基本物性と環境特性
R32は単一成分冷媒で、代表的な物性は以下の通りです(代表値)。
- 化学式:CH2F2(ジフルオロメタン)
- 分子量:約52.02 g/mol
- 沸点(1気圧):約-51.7°C
- 臨界温度:約78.1°C、臨界圧力:約5.78 MPa
- オゾン層破壊係数(ODP):0(塩素を含まずオゾン破壊性はない)
- 地球温暖化係数(GWP、AR4値):約675(R410A等に比べて低い)
- 毒性:低い(ASHRAE分類ではA)
- 可燃性:低燃焼性(mildly flammable)として分類され、ASHRAE 34では「A2L」に位置付けられる
これらの特性により、R32は従来冷媒に比べて環境負荷を抑えつつ高い冷凍能力を発揮できる点が評価されています。
R32のメリット(建築・設備設計上の利点)
- エネルギー性能の向上:R32は等しい容量を達成するための体積当たり冷凍能力(容積効率)が高く、機器のCOP(性能係数)向上に寄与する。結果として運転エネルギーの削減が期待できる。
- 冷媒充填量の削減:同等能力の機器でR410A等に比べて冷媒質量が少なくて済むケースが多く、万一の漏洩時の影響低減にも繋がる。
- 単一成分:R32は混合冷媒ではなく単一成分のため、充填時の成分管理が容易で再生・回収の面でも利点がある。
- 環境特性:ODPがゼロであり、GWPが高GWP冷媒に比べて低いことから、規制対応の面でも有利。
R32の課題・注意点(安全・設計上のリスク)
利点がある一方で、R32には扱いに注意が必要な点もあります。
- 可燃性:A2L(低毒性・低可燃性)に分類されるため、まったく無害ではない。漏洩して可燃濃度に達すると引火の危険があるため、設計・施工・保守での安全対策が必須。
- 高圧・高温部の挙動:R32は単一成分としての熱物性がR410A等と異なるため、コンプレッサや熱交換器、圧力安全器具など機器設計をR32仕様で行う必要がある(単純な代替は禁止あるいは非推奨)。
- 冷媒油(潤滑油)との相性:R32では主にPOE(ポリエステル)系オイルが使用される。潤滑油やシール材の適合性確認が必要。
- 配管や機器の材料・溶接:銅・真鍮等の配管材料は一般的に使用可能だが、溶接(ろう付け)時の酸化防止(窒素パージ)や冷媒の干渉による影響を考慮する必要がある。
法規・規格と設計上の遵守事項
R32を採用する際は、国内外の法規・規格を踏まえた設計・施工が求められます。代表的な規格・基準には以下があります。
- ASHRAE 34(冷媒の安全分類)およびASHRAE 15(冷凍設備の安全基準)
- ISO 5149(冷凍・空調装置の安全および環境要件)
- IEC 60335-2-40(家庭用・類似用途の空調機器に関する安全規格)
- 各国・自治体の建築基準・消防法令:屋内設置、機械室・設備スペースでの充填量制限や換気・検知設備の要求がある場合がある
日本国内では、フロン対策や高GWP冷媒の段階的削減を進める国際的枠組み(モントリオール議定書のキガリ改正)への対応や、フロン排出抑制に関する法令の運用が設計要件に影響します。設計段階でメーカーの適合資料や国・自治体の最新ガイドラインを必ず確認してください。
設計・施工上の実務ポイント
建築設備としてR32を扱う際、現場で重要となる具体的なポイントを列挙します。
- 製品選定:R32対応として製造・試験された機器・コンポーネントを選ぶ。R410A等からの簡易転用は危険かつ非推奨。
- 充てん・回収:充填作業、回収作業はメーカー指示・法令に従い適切な装置を用いる。二次的な混入や大気放出を防止する。
- 溶接・配管作業:ろう付け時は結露や油分を避けるため窒素置換を行い、配管後は真空引き(ドライポンプ)で脱水・脱気を確実に行う。
- 漏えい検知と換気:機械室や室内ユニットでは冷媒漏洩時に濃度が上がらないよう適切な換気設計と固定式ガス検知器の設置を検討する。
- 配管・チャージ量の管理:配管長や高さ差に応じた冷媒量算定を行い、充填量は設計書どおりに管理。冷媒の質量・体積は機器性能や安全限度に影響する。
- 保守教育:作業者はR32の特性(可燃性、適合工具、個人保護具、緊急時対応)についての教育・資格を受けること。
- 表示・ラベリング:機器・配管には使用冷媒を明示(R32)し、緊急時の対応情報を分かりやすく表示する。
改修・レトロフィット(既設機器からの移行)について
既設でR410Aやその他冷媒を使用している設備をR32に変更(レトロフィット)する場合、注意が必要です。R32は単体冷媒で熱物性が異なるため、圧縮機や安全装置、熱交換器の性能・耐圧設計を含む総合的な適合性評価が必要です。多くの場合、コンポーネントの変更または新規機器導入が合理的であり、既存機器の単純置換は推奨されません。
建築計画上の配慮(屋外機・機械室配置)
建築設計としては以下の点に配慮する必要があります。
- 屋外機の設置場所:換気が容易で、人が長時間滞在する空間から距離をとる。可燃性冷媒の万一の漏洩を考慮して、密閉空間や出入口近傍は避ける。
- 機械室の換気・排気:封じ込められた空間での冷媒濃度上昇を防ぐため、強制換気や自然換気路の設計を行う。
- ガス検知器の選定・配置:設置場所、感度、アラーム連動(換気運転、警報、遮断)等を規定に合わせて計画する。
- 避難動線・消防対策:冷媒の可燃性を踏まえた火災時対応や消防法令との整合性を確認する。
実機性能・ランニングコストの観点
複数のメーカーの公表データ等から、R32機は同一カテゴリのR410A機に対して年間消費電力量で有意な低減が見られることが多いです。初期投資(R32専用機器の価格)は従来機と同等〜若干高めのケースもありますが、運転電力削減と冷媒使用量削減によりライフサイクルコストでのメリットが期待できます。設計段階で年間運転条件(負荷プロファイル)を想定したエネルギー解析を行うことが重要です。
将来展望 — R32は万能か? 代替冷媒との比較
R32は多くの用途で有望な選択肢ですが、すべての用途で最適というわけではありません。大型商業冷凍や産業プロセス冷凍では、さらに低GWP(あるいは無フロン)冷媒の検討や二段圧縮、自然冷媒(CO2、アンモニア)との比較検討が進んでいます。また、より低GWPの代替冷媒(例えばいくつかの新冷媒R454B等)も市場に登場しており、用途・規模・安全要件・エネルギー効率を総合的に判断して選択されるべきです。国際的な規制(キガリ改正による段階的なHFC削減)や技術革新により、今後も冷媒選定の最適解は変化していきます。
現場実務者に向けたチェックリスト(導入前・導入後)
- 導入前:メーカーのR32適合証明書、システム安全データシート(SDS)、性能データ、保守マニュアルを確認する。
- 設計段階:充填量、換気計画、検知器設置、配管ルートと二次漏洩対策、機器の耐圧確認を行う。
- 施工時:窒素パージ、ドライポンプ真空引き、適切な工具と個人防護具、漏れ試験(窒素・ヘリウム・電子式検知器)を実施する。
- 保守時:冷媒の回収・再利用・廃棄は法令に従い実施。異常時の可燃性対応手順を現場で周知する。
まとめ
R32は、低GWPで高効率という特徴から、建築設備分野で有力な冷媒選択肢の一つです。しかしA2Lの可燃性という特性は無視できず、設計・施工・保守の各段階で適切な安全対策と法規制の順守が不可欠です。機器メーカー、設備設計者、施工業者、建築側の連携によって、エネルギー効率と安全性を両立させた採用が求められます。将来の規制や新冷媒動向にも注意を払いながら、用途や規模に応じた最適な冷媒選定を行ってください。
参考文献
- ASHRAE(American Society of Heating, Refrigerating and Air-Conditioning Engineers)
- ISO(International Organization for Standardization) — ISO 5149など冷凍空調の安全規格
- UNEP(国連環境計画) — モントリオール議定書とキガリ改正関連資料
- 一般社団法人 日本冷凍空調工業会(JRAIA)
- 日本 環境省(フロン排出抑制法・気候変動対策関連資料)


