交響と童謡の架け橋――山田耕筰の軌跡
山田耕筰は、明治から昭和にかけて西洋音楽と日本的感性を融合させ、交響曲、童謡、オペラの領域で革新的な歩みを示した作曲家・指揮者です。彼の代表作である交響曲《Triumph and Peace》や歌曲「赤とんぼ」は、国内外で高く評価され続けています。生涯にわたる留学経験や国際的な指揮活動は、日本近代音楽の礎を築き、今日の音楽文化にも大きな遺産を残しました。
生い立ちと家族背景
山田耕筰は1886年6月9日、東京市本郷区(現・文京区)に生まれました。
生家は敬虔なクリスチャン一家で、父・謙造は伝道師となり、母・久や叔母のカネも熱心な信徒でした。
幼少期、姉の夫エドワード・ガントレット(イギリス人宣教師・英語教師・オルガニスト)から西洋音楽の手ほどきを受け、耕筰の音楽家としての道が開かれました。
本名「耕作」から「耕筰」へ改名したのは、同姓同名の混同を避けるためと、遊び心から自らの名前に「竹かんむり」を付け足したとも伝えられています。
音楽教育と留学
1904年、東京音楽学校(現・東京藝術大学)声楽科に入学し、オーケストラ奏法や西洋理論を学びました。
1910年には三菱財閥の岩崎小彌太の支援を受け、ベルリンのプロイセン王立高等芸術アカデミーでマックス・ブルッフらに師事し、作曲とピアノを深めました。
1918年から2年間はニューヨークに滞在し、ニューヨーク・フィルハーモニックやシンフォニーのメンバーで組織されたオーケストラを指揮するなど、国際的なキャリアを築きました。
日本初の交響曲とオーケストラ運動
1912年に発表された交響曲ヘ長調《Triumph and Peace》は、4楽章からなる日本人初の本格的交響曲として大きな話題となりました。
1913年帰国後まもなく、岩崎小彌太の支援で「東京フィルハーモニー会」管弦楽部が創設され、1915年から帝国劇場で定期演奏を行いましたが、1916年に財政難で一度解散を余儀なくされました。
1921年のシンフォニア《Inno Meiji》では篳篥(ひちりき)など和楽器を取り入れ、西洋オーケストラの枠を超えた多彩な音響世界を描きました。
童謡と歌曲の創作
生涯で約1,600曲を作曲し、そのうち約700曲がアート・ソング(リート)にあたります。
詩人北原白秋との共作による「この道」「からたちの花」をはじめ、三木露風の詩に作曲した「赤とんぼ」などは、日本の童謡史に不朽の名を刻みました。
特に「赤とんぼ」はNHKの世論調査で好みの童謡ベスト1に選ばれ、人々の心に深く根付いています。
指揮者としての革新
国内ではドビュッシー《牧神の午後への前奏曲》、ドヴォルザーク《交響曲第9番》、ガーシュウィン《パリのアメリカ人》等、西洋名曲の日本初演を次々に手がけ、西洋音楽受容の先駆となりました。
また1936年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章を受章し、さらに1956年には文化勲章を授与されました。
オペラと舞台音楽
代表作のオペラ《黒船》(初演1940年)は、日本オペラ史に残る傑作とされ、1936年ベルリン・オリンピックの芸術競技にも出品されました。
1931年のバレエ《アヤメ》(Iris)など、舞台音楽でも新たな可能性を追求し続けました。
晩年と遺産
1945年には東京都音楽団を結成して再び指揮活動を再開し、1950年には日本指揮者協会会長に就任、NHK放送文化賞を受賞しました。
1965年12月29日、心筋梗塞のため東京・世田谷の自宅で逝去。享年79歳でした。
彼の多岐にわたる作品群と異文化融合の試みは、今日の音楽家や聴衆にも大きな示唆を与え続けています。
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