テンソル場とは何か? 定義・演算・応用からIT実装まで詳解
テンソル場とは — 概要
「テンソル場(tensor field)」は、微分幾何学や物理学で頻繁に登場する概念で、空間(あるいは多様体)の各点にテンソルを割り当てる滑らかな写像を意味します。テンソル自体は多重線形写像や座標変換則によって特徴付けられる数学的対象ですが、テンソル場はそれを点ごとに持ち運ぶことで、力、応力、曲率、電磁場などの局所的な物理量や、画像・メッシュ上の局所構造を表現します。
定義(数学的な厳密さ)
位相的あるいは微分可能な多様体 M 上で、各点 p に対して接ベクトル空間 T_pM(および双対空間 T_p^*M)が定義されます。r 個の接ベクトルと s 個の共変ベクトル(一次形式)に対して多重線形に値を与えるテンソルは、型 (r, s) のテンソルと呼ばれます。テンソル場は、各点 p にそのようなテンソル T(p) を割り当て、それが座標の変換に関して滑らか(通常は C^∞)に変化するもの、すなわちテンソル束(tensor bundle)の連続的・滑らかな切断(section)と捉えられます。
座標表示では、型 (r,s) のテンソル場の成分は
T^{i1...ir}_{j1...js}(x)
のように書かれ、座標変換 x → x' に対して次のような変換則を満たします(添字の上げ下げは慣例)。
T'^{i1...ir}_{j1...js}(x') = (∂x'^{i1}/∂x^{k1}) ... (∂x^{l1}/∂x'^{j1}) ... T^{k1...kr}_{l1...ls}(x)
この座標変換則がテンソルの本質的特徴であり、これにより物理法則や幾何量が座標系に依存しない形で記述できます。
基本的な例
- スカラー場(0-テンソル場):各点にスカラー(数値)を割り当てる。温度分布、ポテンシャル場など。
- ベクトル場(1-テンソル場):各点にベクトルを割り当てる。速度場や電流密度など。
- 共変テンソル・反変テンソル:行列に相当する 2-テンソル(例えば応力テンソル、計量テンソル g_{ij})は物体内部の応力や距離の測定に用いられる。
- 電磁場テンソル:特殊相対論で用いられる反対称2階テンソル F_{μν}。電場・磁場を統一して表す。
- 構造テンソル(structure tensor):画像処理で局所的な勾配分布や方向性を表す対称正定値行列(テンソル)で、コーナー検出や方向性解析に使われる。
テンソル場の演算
テンソル場には代数的・微分的な操作が定義されます。主要なものを挙げます。
- テンソル積(tensor product):2つのテンソル場からより高階のテンソル場を作る。点ごとにテンソル積を取る。
- 縮約(contraction):上付き添字と下付き添字を結合して階数を下げる操作。トレースも縮約の一種。
- 対称化/反対称化:添字の交換に関する対称部分や外積的な反対称部分を取る。
- 共変微分(covariant derivative):テンソル場の微分は単純な偏微分ではテンソルとして保たれません。接続(コネクション)を用いて共変微分 ∇_X T を定義することで、曲がった空間でもテンソルの変化を意味づけできます。計量が与えられると、計量に対応するルヴィ・チヴィタ(Levi-Civita)接続により、指標の昇降や並進保存が扱えます。
- リー微分(Lie derivative):流れに沿ったテンソル場の変化を示し、接続を必要としない微分の方法です(リーマン的な意味合いではなく、張られた流れに対しての変化)。
物理学での応用(場の記述)
テンソル場は物理法則の座標不変性を保証するための自然な言語です。例として:
- 一般相対性理論:時空の曲率はリーマン曲率テンソル R^i_{ jkl} で表され、アインシュタイン方程式は計量テンソル g_{μν}(テンソル場)とエネルギー・運動量テンソル T_{μν} を用いて記述されます。
- 連続体力学:応力テンソルは材料内部の力の分布を表し、場として空間上に定義されます。
- 電磁気学:電場・磁場はテンソル形式にまとめられ、マクスウェル方程式はテンソル方程式として簡潔に書けます。
IT・データ処理での「テンソル」とテンソル場の違い
機械学習や数値計算の文脈で「テンソル」は多次元配列(N 次元配列)を意味することが多く、NumPy/PyTorch/TensorFlow の「Tensor」はこの意味です。これは数学的テンソルの成分表示と一致しますが、必ずしも座標変換則や多様体上の滑らかさを前提とするものではありません。従って「テンソル場」は、空間やドメイン(画像格子やボクセル、メッシュ)の各点にテンソル(しばしば対称行列など)を割り当てたものとして、IT の分野でも出現します。
例:
- 医用画像の拡散テンソルイメージング(DTI)は、脳内の各ボクセルに 3×3 の拡散テンソルを割り当てるテンソル場の一種です。
- コンピュータグラフィックスやジオメトリ処理では、三角メッシュ上の各点にテンソルを置いて曲率や方向場を表現する(vector/tensor field on meshes)。
- 機械学習の畳み込みニューラルネットワークでは入力や重みが「テンソル」だが、空間上の連続なテンソル場とみなす議論(連続畳み込み等)も存在します。
数値表現と実装上の注意点
実際にテンソル場を扱うときの実装面でのポイント:
- 離散化:連続多様体上のテンソル場を数値的に扱うために、グリッド、メッシュ、有限要素法(FEM)などで離散化する。離散化方式によって保存則や対称性の扱いが変わる。
- ストレージ:各点に行列(例:3×3)のテンソルを置くとメモリが嵩む。対称性や低ランク近似で圧縮する手法がある。
- 数値安定性:正定値テンソル(例:拡散テンソル)は対称で固有値が正であることを保持する必要がある。数値誤差で正定性が崩れないような再投影や対数表現(Log-Euclidean)などを使うことがある。
- ライブラリ:PyTorch/TensorFlow/NumPy は多次元配列演算を効率的に行えるが、幾何学的な接続や共変微分の概念は別途実装するか、ジオメトリ向けライブラリ(Geomstats, PyManopt, libigl など)を使うと良い。
よくある誤解と注意点
- 「テンソル=単なる配列」ではありません。配列はテンソル成分の表現ですが、テンソルの本質は座標変換則や多重線形性にあります。
- テンソル場の微分は接続に依存します。偏微分だけ使うとテンソルとしての変換性を失う場合があるため、物理・幾何的問題では共変微分やリー微分を適切に選ぶ必要があります。
- 数値実装では、対称性や正定性など理論的性質を保つ工夫(射影や適切な表現変換)が重要です。
まとめ
テンソル場は、数学的には多様体上の各点にテンソルを割り当てる滑らかな切断であり、物理学では場の理論や一般相対性などの根幹をなす表現です。IT 分野では「テンソル」が多次元配列を意味することが多く混同されがちですが、画像処理や医用画像解析、ジオメトリ処理、数値シミュレーションの分野ではテンソル場という概念がそのまま応用されます。実装では離散化・保存性・数値安定性に注意し、理論的性質を損なわない表現を選ぶことが重要です。
参考文献
- テンソル — Wikipedia(日本語)
- Tensor field — Wikipedia(English)
- Covariant derivative — Wikipedia(English)
- Metric tensor — Wikipedia(English)
- Electromagnetic tensor — Wikipedia(English)
- Structure tensor — Wikipedia(English)(画像処理における例)
- 比較相対性論/一般相対性理論 — Wikipedia(日本語)
- What is a tensor? — TensorFlow Guide(英語、機械学習におけるテンソルの説明)
- Tensors — PyTorch Documentation(英語)
- Diffusion tensor imaging — Wikipedia(English、DTI の解説)


