テンソル分解の完全ガイド:CP・Tucker・TTで実現する高次データの次元削減と実務応用

はじめに — テンソル分解とは何か

テンソル分解(tensor decomposition)は、多次元配列(テンソル)をより小さな成分に分解してデータの構造や潜在因子を抽出する手法群の総称です。行列の特異値分解(SVD)が二次元データの低次元表現を与えるのに対し、テンソル分解は三次元以上のデータ(例:ユーザー×アイテム×時間、地点×周波数×時刻)を直接扱い、相互関係や多変量構造を保持したまま次元圧縮・特徴抽出を行えます。

テンソルとは

テンソルはスカラー(0次元)、ベクトル(1次元)、行列(2次元)を一般化した多次元配列です。順序(order)や階数(mode)の数で次元を表し、要素はインデックスの集合でアクセスされます。例えば三次テンソルは A[i,j,k] のように表記され、データの複合的な関係を自然に表せます。

代表的なテンソル分解の手法

  • CP分解(CANDECOMP / PARAFAC)

    テンソルを複数のランク1テンソル(外積)の和で表現する手法です。三次テンソル X は R 個の成分の和として X ≈ Σ_{r=1}^R a_r ∘ b_r ∘ c_r と表されます。CPは解が一意(識別可能)になりやすく、解釈性が高い点が特徴です。ランクの推定や最適化が難しい点に留意が必要です。

  • Tucker分解(多重線形主成分分析)

    中心となるコアテンソルと各モードの因子行列でテンソルを表す手法です。行列のSVDに相当する考え方で、X ≈ G ×_1 A ×_2 B ×_3 C の形になります。コアテンソルによりモード間の相互作用を表現でき、次元削減の柔軟性が高い一方で一意性は一般に保証されません。HOSVD(高次SVD)はTuckerの実践的な実装法の一つです。

  • テンソルトレイン(Tensor Train, TT)

    高次元テンソルを連鎖的な三次テンソル(コア)の列に分解することでパラメータ数を線形で抑える方法です。大きなモード数のテンソルに対してメモリ効率が高く、数値計算や物理シミュレーションの分野で注目されています。

  • その他の派生

    非負テンソル分解(NTF)、スパース正則化付き分解、確率的テンソル分解、ブロック対角的分解など、目的や制約に応じたバリエーションがあります。

数学的な要点

テンソル分解では以下のような数学的課題や性質が重要です。

  • ランクの定義:テンソルランク(最小のランク1テンソル和の個数)は行列のランクと異なり、計算がNP困難であることが知られています。
  • 一意性(識別):CP分解は特定条件(Kruskalの条件など)を満たすと一意解を持ちます。一方でTuckerは通常一意でなく、回転やスケーリングの不定性が生じます。
  • 最良近似の存在性:3次以上のテンソルでは、固定ランク近似の最良解が存在しない場合がある(De Silva & Lim 2008)。アルゴリズムの発散や境界解に注意が必要です。

計算アルゴリズム

代表的な計算手法は次のとおりです。

  • ALS(交互最小二乗法):各モードの因子を交互に更新するシンプルで広く使われる手法。収束は速い場合もありますが、局所解や発散の問題、スケール・同一性問題に対処する必要があります。
  • 勾配ベース法・確率的最適化:大規模データや制約付き問題で利用されます。ミニバッチや正則化を導入しやすい利点があります。
  • HOSVD / HOOI:Tucker分解のためのSVDベース手法。HOSVDで初期化し、HOOI(高次直交反復)で改善します。
  • ランダム化アルゴリズムや近似手法:大規模テンソルに対し、サンプリングやランダム射影を用いて計算コストを削減します。

ランク選択とモデル評価

テンソル分解で最も難しい点の一つがランク(成分数)の決定です。過少設定は表現力不足、過剰設定は過学習や解釈不能につながります。よく使われる手法は次の通りです。

  • クロスバリデーション:欠損値を人工的に作って再構成誤差を評価する
  • 情報量規準(AIC/BIC相当)の適用(ただし正当化は難しい)
  • コア整合性診断(core consistency, CORCONDIA):PARAFACの適合度合いを診断する手法
  • 解釈可能性・安定性の評価:複数初期値での再現性や因子の物理的妥当性を確認する

応用分野

テンソル分解は幅広い分野で活用されています。

  • レコメンデーション:ユーザー×アイテム×時間などの高次相互作用をモデル化して推薦精度を改善
  • 信号処理・通信:マルチセンサ観測の分離や方向余弦推定など
  • 脳科学:fMRIやEEGの空間・時間・被験者の構造解析
  • 化学計測(ケモメトリクス):スペクトルデータの成分分離
  • 異常検知:時空間トラフィックやログデータの構造異常検出

実務上の注意点とベストプラクティス

  • 前処理:中心化・スケーリングや欠損値処理(ウェイト付きALS)を適切に行う。
  • 初期化:ランダム初期化に加え、SVDベースや複数回実行による安定化が有効。
  • 正則化・制約:非負制約やスパース正則化で解釈性を向上させ、過学習を抑制する。
  • スケーラビリティ:大規模データはスパース表現や分散アルゴリズム、ランダム化手法を検討する。
  • 評価:再構成誤差だけでなく、因子の物理的意味や外部指標での妥当性を確認する。

実装ライブラリ・ツール

  • TensorLy(Python):多様なテンソル分解を提供するライブラリで、NumPyやPyTorchなどにバックエンドを切替可能です。
  • MATLAB Tensor Toolbox:研究で広く使われるツールボックスで、CP/Tucker等の実装がある。
  • scikit-tensor や独自実装:用途に応じて選択

まとめ

テンソル分解は多次元データの複雑な構造を直接扱える強力な手法群です。CPやTucker、TTなどの分解法があり、それぞれ解釈性・計算効率・表現力にトレードオフがあります。実務では前処理、ランク選択、初期化、正則化、アルゴリズムの選択が成功の鍵になります。特に高次テンソルでは計算量や識別性の問題に注意し、適切な評価指標で結果の妥当性を検証することが重要です。

参考文献