ケンプフの叙情と自然体ピアノ—ベートーヴェン〜シューベルト〜モーツァルトまで聴きどころと名盤ガイド
エバープレイ編集部ヴィルヘルム・ケンプ — 叙情と自然体のピアニズム
ヴィルヘルム・ケンプ（Wilhelm Kempff, 1895–1991）は、20世紀を代表するドイツのピアニストの一人です。特にベートーヴェンやシューベルト、モーツァルトのレパートリーにおいて、歌うような旋律感（カンタービレ）と自然なフレージング、過度に誇張しないテンポ感覚で高く評価されてきました。技巧の見せ場で華美に走るタイプではなく、音楽の呼吸や詩的な側面を前に出す演奏が彼の特色です。
ケンプフの演奏スタイルを理解するために
ケンプフに接するときに意識して聴くと良いポイントを挙げます。
- カンタービレ（歌うこと）：旋律線の流れが何よりも大事にされます。歌うようなアーティキュレーションを注意して聴いてください。
- テンポと自由な呼吸：決して気まぐれではなく、楽曲の構造に基づく柔らかなテンポの揺れ（rubato）が多用されます。フレーズごとの呼吸を感じ取ると理解が深まります。
- 音色とタッチの微妙な変化：フォルテシモの迫力よりも、弱音域での色彩の多様さに注目するとケンプフの個性が分かります。
- 楽譜重視の自然体：過剰なロマンティシズムを避け、作曲家の意図を自然に引き出す演奏姿勢が一貫しています。
おすすめレコード（概説と聴きどころ）
1) ベートーヴェン：ピアノ・ソナタ全集（ケンプフの2つの全集）
ケンプフはベートーヴェンのピアノ・ソナタを2度にわたって全集録音しています。戦後のモノラル録音による全集と、その後のステレオ録音による全集の2セットがあり、どちらも異なる魅力を持っています。
- 聴きどころ：モノラル全集は直感的で自然な若々しさ、ステレオ全集はより円熟した音楽作りと細部への配慮が感じられます。第14番「月光」や第23番「熱情」、第29番「ハンマークラヴィーア」などで比較してみると、演奏の変化が分かりやすいです。
- なぜおすすめか：ケンプフのベートーヴェンはロマンティック過ぎず、歌うような語り口で楽曲の内的ドラマを描きます。全集で通して聴くことでベートーヴェン観の一貫性が実感できます。
2) シューベルト：インプロンプチュ／即興曲集（D.899, D.935）・楽興の時
シューベルトにおいてケンプフは特に「即興曲」や「楽興の時（Moments Musicaux）」で高い評価を受けています。彼のシューベルトは、内省的な叙情と透明感のある音色で、詩情を浮かび上がらせます。
- 聴きどころ：旋律の呼吸、和声の色合いの変化、余韻の扱い。特にゆったりとした楽章での余韻処理に注目してください。
- なぜおすすめか：シューベルトの「語り」を聴きたい人にとって、ケンプフは最良の案内役です。派手さはないが、楽曲の詩的コアを的確に示します。
3) シューベルト：ピアノ・ソナタ（特に晩年の作品 D.960）
D.960（B-flat大調）などの晩年ソナタでは、ケンプフの深い内省が際立ちます。長大な音楽の流れを自然に組み立てる力が試されるレパートリーで、ケンプフの演奏はゆったりとした時間感覚と叙情の厚みが魅力です。
- 聴きどころ：第2楽章や第4楽章の余韻、和声進行の一つ一つの音色変化に耳を向けてください。テンポ感の微妙な揺れが楽曲全体の「語り」を形づくります。
4) モーツァルト：ピアノ・ソナタ集
ケンプフのモーツァルトは、過度な装飾を避けつつも歌心を失わないバランスが特徴です。透明で優雅なタッチは、モーツァルトの古典性と詩的性格を両立させます。
- 聴きどころ：余白（間）のとり方、アーティキュレーションの明瞭さ。装飾音や弱音部の息づかいに注目すると、ケンプフのモーツァルト観が明瞭になります。
5) シューマン／ブラームス 演奏集（小品集・間奏曲等）
シューマンとブラームスでは、小品群（インテルメッツォ、間奏曲、ダヴィッド同盟舞曲など）での詩情が魅力です。ケンプフの視点はしばしば「歌」を中心に据え、情緒を過度に膨らませずに核心を示します。
- 聴きどころ：短い作品でも一つの物語として演奏される点。小品に潜む色彩感と緊張の解き方に注目してください。
6) 音源の選び方（リマスター／全集盤／ライヴ）
ケンプフの音源は多数の再発・ボックスセットになっています。ポイントは以下の通りです。
- 全集を最初に：ベートーヴェンやシューベルトの全集ボックスは、演奏観のまとまりを掴むのに有効です。モノラル全集とステレオ全集を聴き比べると、解釈の変化が楽しめます。
- ライヴ録音：ライヴはより自由で即興的な一面が出るため、スタジオ録音と聴き比べるとケンプフの別の側面が見えます。音質はまちまちですが演奏の「熱」が伝わります。
- リマスター盤の選択：歴史的録音はリマスターにより音質が大きく改善されていることが多いので、評判の良いリマスター盤を選ぶとよいでしょう。
ケンプフの聴きどころを深掘りするための比較リスニング案内
ただ聴くだけでなく、比較によってケンプフの魅力がより明瞭になります。いくつかの聴き比べ案を紹介します。
- 同一曲の別録音比較：例えば「月光」や「即興曲」など、ケンプフの異なる時期の録音を並べ、テンポ、リリシズム、余韻の扱いを比較する。
- 他の名演と比較：クライバーやバックハウス、ルービンシュタインなど同時代あるいは近い世代のピアニストと比べると、ケンプフの「詩的自然主義」が際立ちます。
- 同一アルバム内での細部注目：弱音のニュアンス、ペダルの使い方（聴感で判断）、内声の扱いなど、細部に耳を傾けるとケンプフ流の表現理論が見えてきます。
最初に買うならこれ（入門用推薦）
- ケンプフのベートーヴェン・ソナタ（全集ボックス） — まず彼の「宗教」のような歌い方、構築感をまとめて味わうのに最適。
- シューベルト・インプロンプチュ集 — ケンプフの詩的面を短時間で堪能できます。
- モーツァルト・ソナタ集（選集） — 古典派の端正さと歌を同時に楽しめます。
最後に：ケンプフと向き合う楽しみ方
ケンプフの演奏は、瞬発的な驚きや派手な技巧を追うものではなく、「聴き手の内側に語りかける」音楽です。全集を通読するように聴くことで、彼の音楽観や成長がより鮮明になります。短い曲も長大なソナタも同一の芸術観で貫かれていることに気づくはずです。
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参考文献
- ウィルヘルム・ケンプ — Wikipedia（日本語）
- Wilhelm Kempff — Deutsche Grammophon（アーティストページ）
- Wilhelm Kempff — AllMusic（英語）
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