スカルラッティ入門:生涯・作品・鍵盤技巧と影響を深掘り(555ソナタの秘密)

はじめに

ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti, 1685–1757)は、バロック後期から初期古典派へと移行する時代に独自の鍵盤音楽を確立した作曲家として知られています。生涯は主にイタリア・ポルトガル・スペインを舞台に展開し、特に鍵盤ソナタ群(通称『スカルラッティのソナタ』)は、短く鮮烈な音楽語法と技術的な挑戦を兼ね備え、今日まで演奏・研究の対象となり続けています。本稿では生涯、作品と番号法、様式的特徴、演奏上の留意点、後世への影響といった観点からスカルラッティを詳しく掘り下げます。

生涯の概観

スカルラッティは1685年(同年はバッハやヘンデルの生年でもあります)にナポリで生まれ、ナポリ楽派に代表される音楽環境の中で育ちました。父は著名なオペラ作曲家アレッサンドロ・スカルラッティであり、音楽的教養を受けつつ成長しました。若年期にはイタリア各地で活動し、その後1719年頃にポルトガル宮廷に招かれ、後にマドリードのスペイン宮廷に仕えます。特に王女(のちのスペイン王妃)マリア・バルバラに仕えて調律・教育・作曲を行ったことが、スペイン滞在中の大規模な鍵盤作品群の創作につながりました。

スカルラッティは1757年にマドリードで没します。生涯を通じて舞台音楽や宗教曲も手がけましたが、後世に残った最大の遺産は鍵盤ソナタ群です。

作品とカタログ(555という数の由来)

スカルラッティの鍵盤ソナタは一般に555曲が知られており、これはラルフ・カークパトリック(Ralph Kirkpatrick, 1953)が整理した通し番号(K.1–K.555)が広く用いられているためです。以前にはアレッサンドロ・ロンゴ(Alessandro Longo)が作成した番号(L.)が用いられてきましたが、カークパトリックの系統的な分類が現在では標準となっています。ソナタは多くが一楽章構成で、通常二部形式(繰り返しのあるA–B)をとり、演奏時間は2〜6分程度の短い曲が多いのが特徴です。

なお、すべてのソナタの作者や帰属が完全に確定しているわけではなく、伝承写本や楽譜の伝播過程に起因する異写・異伝が存在するため、研究・版の更新が続いています。

様式的特徴と分析

  • 二部(A–B)反復形式:多くのソナタはA・Bの2つの部分に分かれ、各部分が反復される二部形式で書かれています。簡潔さと明瞭な構成が特色です。
  • モーダル/調性の扱い:短い曲の中で大胆な転調や遠隔調への一時的な移行を用いることがあり、これが聴覚的な鮮やかさを生みます。
  • スペイン的要素:ポルトガル・スペイン滞在の影響で、ギター風の分散和音、ファンダンゴやサパテアードに類するリズム、装飾的な拍節分割がしばしば登場します。これらは『イベリア的な色彩』としてしばしば指摘されます。
  • 鍵盤技巧の拡張:手の交差、片手で交互に速い連打を行うパッセージ、大きな跳躍音形、反復音(トレモロに近い効果)など、当時の鍵盤奏法の可能性を押し広げる技巧が多用されます。
  • ハーモニーと和声効果:装飾的な不協和や予期せぬ和声の並置など、短いフレーズで強い効果を生む和声進行を用いることがあり、これがスカルラッティ独自の語法となっています。

鍵盤楽器と演奏習慣

スカルラッティのソナタは当初ハープシコード(チェンバロ)を念頭に書かれたと考えられています。ただし、彼の作品にはダイナミクス指示がほとんどなく、スタッカートやレガート、装飾などの表現は当時の奏法慣習に委ねられていました。19世紀以降のピアノ技術の発展に伴い、ピアノでも演奏されるようになり、特に20世紀にはピアノでの録音や演奏が普及しました。

歴史的演奏実践の観点からは、写本や初版に見られる指示、当時の鍵盤奏法論から装飾やアゴーギクの取り扱いを読み解くことが重要です。現在はハープシコード奏者と現代ピアニストの両方が活発にレパートリーとして取り上げ、解釈の幅が広がっています。

代表的な技法とその効果(具体例)

スカルラッティのソナタには、短く示されるが印象的な技法が繰り返し現れます。たとえば:

  • 手の交差(mano incrociata):メロディを右手が低音域で、左手が高音域で弾く配置。視覚的にも聴覚的にも強い印象を与えます。
  • 分散和音とアルペッジョ:ギターの伴奏を模したようなリズムとテクスチュアで、スペインの舞踊的な色彩を生み出します。
  • 反復音とトレモロ風表現:短い反復音を利用して推進力を作る手法が頻出します。
  • 端的なシンコペーションとリズムの崩し:静的でない、常に先を予感させるリズム処理が特徴です。

主要ソナタの短いガイド

ここでは代表的なソナタをいくつか挙げ、聴きどころを示します(Kはカークパトリック番号)。

  • K.87(L.33):「軽やかで踊るようなA部と技巧的なB部の対照が魅力。」
  • K.380:「分散和音と跳躍を駆使したドラマティックな短篇。」
  • K.208:スペイン的リズムとギターモチーフが顕著で、舞踊的な要素が強い。」

(個々のソナタについては版やカタログにより番号表記が異なる場合があるため、演奏・参照の際は版注記に注意してください。)

研究史と番号法(Longo と Kirkpatrick)

20世紀初頭まではロンゴ版が広く流布していましたが、ラルフ・カークパトリックの研究(1953)により体系的な分類・校訂が行われ、現在はK番号が標準的に使われています。カークパトリックは作風や写本系統を比較して編纂を行い、研究と演奏の両面で大きな影響を与えました。ただし、版や写本の差異によって解釈が分かれる曲も多く、現代のスコア編集でも新資料の発見や読み替えが行われています。

演奏上の実践的留意点

  • 楽器選択:ハープシコードでの歴史的音色を尊重するか、ピアノの豊かなダイナミクスを生かすかで解釈は異なります。曲によってはどちらも魅力を発揮します。
  • 装飾の扱い:装飾音(トリルやモルデント等)は写本や当時の慣習に基づいて慎重に選定することが望ましいです。過度なロマン派的誇張は避けるのが無難です。
  • テンポと比率:短い曲ゆえ、テンポ決定が曲全体の印象を大きく左右します。部分ごとの呼吸とフレージングを意識して、A部・B部の対比を明確にすると効果的です。

後世への影響と評価の変遷

スカルラッティは18世紀当時から鍵盤教育に資する作曲家として評価されていましたが、19世紀の浪漫主義の潮流の中ではやや忘れられる時期もありました。20世紀に入り、ハープシコード復興や歴史的奏法研究の進展により再評価が進み、特にラルフ・カークパトリックの研究と録音、ワンダ・ランドフスカらの提唱でスカルラッティの重要性が再確認されました。ピアニストやチェンバロ奏者により全曲録音が試みられ(例:スコット・ロスなど)、ソナタ群は鍵盤レパートリーの重要な一角を占めています。

モーツァルトやハイドンと同時代性を共有しつつも、スカルラッティの語法は独特で、後の作曲家たちに直接的影響を与えただけではなく、鍵盤音楽の可能性そのものを拡張した点で高く評価されています。

スカルラッティ研究の現在と今後の課題

現代の研究課題としては、写本の出自や異伝譜の整理、作曲年代のより厳密な再構築、各ソナタの真正性に関する検証が挙げられます。また歴史的奏法の再現を通じて当時の音響環境を再解釈する試みや、スペイン・ポルトガルの民俗音楽との関係を多角的に検討する研究も進んでいます。音楽学的検証と演奏表現の両面からのアプローチが、今後もスカルラッティ理解を深める鍵となるでしょう。

まとめ

ドメニコ・スカルラッティは、短く凝縮された鍵盤ソナタ群を通じて独自の音楽世界を築き、鍵盤技巧や形式感覚を大幅に拡張しました。555曲という膨大な遺産は、演奏者・研究者双方にとって尽きることのない題材を提供しています。ハープシコードとピアノ双方で味わえる多様な音色、スペイン・ポルトガルで育まれた舞踊性、そして形式の緻密な設計──これらがスカルラッティ音楽の魅力であり、現代においても新鮮な発見を促します。

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参考文献