クロマティシズムとは — 和声と表現の深化を読み解く
クロマティシズムとは
クロマティシズム(chromaticism/クロマティックな要素)は、西洋音楽において、主に「半音(セミトーン)」を積極的に用いることによって生まれる音響的・和声的効果を指します。狭義には、主要音階(ダイアトニック)外の音(属調や副次的な変化音)を導入することを意味し、広義には半音進行、半音階的なメロディック・ライン、半音を含む和音(増三度・減五度や和声的変化を伴うもの)すべてを含みます。
基礎概念:半音・ダイアトニックとの違い
ダイアトニック(長音階・短音階)では全音と半音の配列が規定されていますが、クロマティシズムではその規定を越えて、音階外の音を導入します。音楽理論上は「ダイアトニック半音」と「クロマティック半音(chromatic semitone)」という区別があり、前者はスケール内の半音、後者は変化記号で導入される半音です。また、等音律(イコールテンパーメント)の普及は、多くの調を自由に使うクロマティックな和声進行を技術的に可能にしました。
歴史的展開
クロマティシズムの歴史は中世・ルネサンスの「ムジカ・フィクタ(musica ficta)」に遡ります。演奏者が譜にない黒鍵(変化音)を実演的に加える習慣は、和声の柔軟性を生み出しました。バロック期には通時的に拡張され、ヨハン・セバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集》や《シャコンヌ》等に見られる豊富な転調と半音的処理が典型です。
古典派ではハイドンやモーツァルトが調性的な明快さの中で装飾的・機能的にクロマティック音を用いましたが、ベートーヴェンはより劇的・機能的にクロマティック進行を和声構造に組み込み、緊張の生成と放出を強調しました。
ロマン派はクロマティシズムを感情表現や調性崩壊の手段として極限まで押し進めました。ショパンやリスト、ワーグナーは、半音の連続、クロマティック・メロディ、拡張された和音(例:増六の和音や遠隔調への転調)を用いて、調の境界を曖昧にしました。特にワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の“トリスタン和音”は、解決されない不安定な和音として調性を解体する象徴的事例です。
20世紀になると、ドイツ・オーストリアを中心に無調(アトナリティ)、十二音技法といった体系が発生し、クロマティシズムは和声体系そのものを再定義しました。一方でドビュッシーなどは全音階や五音音階の採用、平行和音(プラーニング)とクロマティックな色彩を組み合わせて、調性の外側で新たな色彩を追求しました。
クロマティシズムの類型
- 旋律的クロマティシズム:メロディ内での半音連続や二度間の半音的埋め(chromatic passing tones / neighbor tones)。
- 和声的クロマティシズム:和音自体に含まれるクロマティックな構成音(ネアポリタン、増六和音、クロマティック・メディアントなど)。
- 線的クロマティシズム:声部対位法的に半音で移動する線(例:下降するクロマティック・フォース=ラメント・ベース)。
- 装飾的クロマティシズム:歌唱や器楽の装飾としてのすばやい半音進行(クラシックからジャズまで共通)。
代表的な和声的装置と用例
- ネアポリタン(♭II、特に第1転回形):主に短調の前に用いられ、半音的下属的効果をもたらす(例:ハイドン以降の古典派、ロマン派でも頻出)。
- 増六和音(イタリア式・フランス式・ドイツ式):♭VIや♯IVといった変化音を含み、Vに向かって激しいクロマティックな解決を起こす。形によっては和声音の解釈が分かれる(例:C大調でのドイツ増六:A♭–C–E♭–F♯)。
- クロマティック・メディアント:同質の三和音が3度で移動するが、ダイアトニック外の音を含む(例:C→A♭など)。ロマン派で色彩的に用いられる。
- エンハーモニック転調:同一音を異名同音的に扱い、遠隔調へ滑らかに移る技法。リストやワーグナーに多い。
分析の視点:何を見ればよいか
クロマティシズムの分析では、次の点を意識します。まず「機能的か装飾的か」を見分け、和声的機能(Vへの導入、代理和音、モジュレーションか)を決定します。次に「声部連結(voice leading)」を追い、半音移動がどの声部で起こっているかを把握します。最後に調性的影響(長調/短調の曖昧化、遠隔調への転調)と、楽曲上の表現的役割(悲哀、緊張、官能性、曖昧さの演出)を読むことが重要です。
具体例と聴きどころ
- J.S.バッハ — Chromatic Fantasia and Fugue, BWV 903:メロディのクロマティックな下降・上昇が冒頭で印象的に用いられ、調の往復と半音の装飾が自由に行き交う。
- L. v. ベートーヴェン — 後期弦楽四重奏:和声の不安定化や半音的断片を用いて、形式や調の伝統的機能を揺さぶる。
- F. ショパン — 夜想曲や練習曲:旋律の細かなクロマティック装飾で内面的抒情を表す。半音上行・下行のニュアンスに注目。
- R. ワーグナー — Tristan und Isolde:トリスタン和音は解決を先送りにすることで調性を溶解し、欲望や臨界状態を表現する象徴となった。
- クロード・ドビュッシー:全音・五音を背景にクロマティックな色彩を重ね、和声的重心を曖昧にする。
- アーノルト・シェーンベルク/十二音技法:クロマティックな音列を体系化し、従来の機能和声を代替する新しい語法を提示。
作曲・演奏上の実践的留意点
作曲家はクロマティック音を用いることで感情や色彩を効果的にコントロールできますが、過度の使用は調性感の喪失や聴感上の不安定さを招きます。演奏者は、クロマティック進行の音価差やテンポ、レガート/アーティキュレーションの微妙な変化で表情を作ります。ピアノではペダリングが色彩を左右し、声楽ではポルタメント的な半音移行が感情表現の鍵になります。
調律・歴史的音律との関連
等音律の普及はクロマティシズムの拡張を技術的に支えました。中世・ルネサンス期の平均律でない体系(ミーントーン等)はクロマティック音を用いるときに不協和や音程の偏りが生じやすく、それが作曲上の制約となっていました。平均律は各調の相対的差異を平準化し、自由な転調や複雑なクロマティック書法を可能にしました。
現代における利用と応用
映画音楽やポピュラー音楽でもクロマティシズムは感情を操作する手段として広く用いられます。ジャズではクロマティックなアプローチノートやアウトサイド・ラインがソロ表現の重要な要素です。現代作曲では、電子音響と組み合わせた微分音的なクロマティック操作など新たな展開も見られます。
簡潔な分析事例(楽典的説明)
・ネアポリタン(Cメジャーを例に):ネアポリタンは♭II(D♭)の和音で、第1転回形(♭II6)がよく用いられる。C大調でのネアポリタンはD♭–F–A♭(第1転回形でFが低音)となり、Vへの接近を強める。
・増六和音(C大調の例):イタリア増六(A♭–C–F♯)、フランス増六(A♭–C–D–F♯)、ドイツ増六(A♭–C–E♭–F♯)などがあり、F♯(実際はG♭と見なされることもある)がVへ向かうための強い導音的効果を生む。
・クロマティック・メディアント:C→A♭(長三度下/短三度上)など、和声の“色”を変える転調であり、直接的な機能関係を持たないが鮮烈な響きを生む。
結論:クロマティシズムの魅力
クロマティシズムは、和声と旋律に対する「色彩」と「緊張」を生む重要な道具です。歴史的には徐々に拡張され、調律の技術革新や作曲技法の発展とともに多様化してきました。聴く側にとっては“和声の裏側”や“半音の動き”を追うことで、作曲家の心理や時代背景、作品が目指した表現意図を深く理解する手がかりになります。演奏者・作曲者にとっては、意図を明確にした上での細心の処理が求められる領域でもあります。
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参考文献
- Encyclopaedia Britannica — Chromaticism
- Wikipedia — Chromaticism
- Wikipedia — Tristan chord
- Wikipedia — Augmented sixth chord
- Wikipedia — Neapolitan chord
- Wikipedia — The Well-Tempered Clavier
- Wikipedia — Twelve-tone technique
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