バッハ BWV140「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」— 深層解読と鑑賞の手引き
バッハとBWV140の概説
ヨハン・ゼバスティアン・バッハのカンタータBWV140「Wachet auf, ruft uns die Stimme(目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声)」は、バッハ晩年の宗教作品の中でも最も親しまれる作品の一つです。作曲は1731年頃、ライプツィヒでの教会カンタータ活動の成熟期に当たり、聴衆に深い信仰的情感と音楽的満足を同時にもたらす構成がなされています。本作はフィリップ・ニコライ(Philipp Nicolai, 1556–1608)の同名讃美歌のテキストと旋律を基盤とするコラール・カンタータの典型であり、歌曲的な親しみやすさとバッハ独特の対位法的技巧が同居する点が魅力です。
信仰的・文献的背景
元となった讃美歌「Wachet auf, ruft uns die Stimme」は1599年にフィリップ・ニコライが作ったもので、マタイによる福音書25章にある「愚かな乙女と賢い乙女の譬え(灯火の譬え)」を主題にしています。ここでの「目覚めよ」「呼び声」「花婿(神・キリスト)」といった語は、復活祭や終末期待と結びつきやすく、バッハはその象徴性を音楽的に巧みに表現しました。讃美歌旋律はザーン(Zahn)の目録において番号で整理されており、ニコライ旋律はZahn 8405とされることが一般に引用されます。
成立と上演史(概略)
BWV140は1731年に作曲され、ライプツィヒで最初に上演されたと伝えられます。リーディング(典礼)としては、教会暦の「三十日曜後主日(いわゆる第27主日後の主日)」に対応するものとされますが、この主日は暦によって変動するため、現代の演奏会では復活祭やアドベント的な情感を想起させる文脈でしばしば採りあげられます。以降、同作は教会音楽としてだけでなく、独立した宗教音楽作品としてコンサート・レパートリーに定着しました。
編成と楽器法
BWV140の編成は典型的なバッハの教会カンタータ編成で、ソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱声部と混声合唱、弦楽器群(第1・第2ヴァイオリン、ビオラ)、2本のオーボエ、通奏低音(チェロ、コントラバス、チェンバロ等)で構成されることが一般的です。バッハはオーケストレーションを通してテクスチュアルな対比を作り、独唱部や合唱、器楽の役割を明確に分担させながら統合します。特に第1曲の合唱幻想曲的な序論部や、第5曲の二重唱における器楽付随の役割は注目に値します。
全体構成(形式的特徴)
BWV140は7つの楽章(movements)からなり、典型的なコラール・カンタータの骨格を保ちつつ、各楽章が劇的・叙情的に連関しています。おおまかな構成は以下の通りです。
- 第1曲:合唱(コラール幻想曲) — 讃美歌の主題を用いた壮麗な合唱形式
- 第2曲・第4曲・第6曲:レチタティーヴォ(語り・説教的部分) — 聖書的な語りや内省を担う
- 第3曲・第5曲:アリア(独唱・二重唱) — 個人的な祈りや婚礼的なイメージを描写
- 第7曲:四声コラール(終曲) — 讃美歌の旋律を四声に配して締めくくる
このように、序論の合唱幻想曲と終曲の四声コラールという対称性が、作品に円環的な完結感を与えています。
第1曲:コラール幻想曲の解析
冒頭の合唱は、本作のハイライトであり、バッハのコラール幻想曲の成熟した手法を示します。上声(一般にソプラノ)が讃美歌の旋律(通奏低音的コラール主題)を比較的平易に歌い、合唱の他声部は対位法的に入り交じりながら合唱全体のテクスチャを形成します。器楽はリトルネル(繰り返し主題)を提示し、そこに合唱が応答する形で曲が進みます。この楽章では"待つ"という主題が音形やリズムに反映され、停滞と期待が音楽的に描かれます。たとえば、反復動機や上昇跳躍は「呼びかけ」や「目覚め」の象徴として機能します。
中間部のレチタティーヴォとアリア:個の祈りと共同体の応答
合唱に続くレチタティーヴォは、聴衆への説教的メッセージを音楽化した部分であり、テキストの意味が即時的に伝わるよう節回しが工夫されています。アリアはより内面的で個人的な感情を表現する場であり、テノールや二重唱において、花婿を待つ乙女の期待感、愛の交歓、希望の確信などが音楽的に描写されます。第5曲の二重唱は特に有名で、しばしば独立して演奏・録音されます。この二重唱では、ソプラノとアルトが互いに呼応し、器楽的対話が婚礼的な連帯や霊的な祝祭感を象徴します。
終曲の四声コラールと神学的総括
締めくくりは教会的伝統に則った四声コラールで、讃美歌旋律が合唱により均質に提示されます。ここは信仰共同体の応答の場であり、個人の内的な祈りが共同体礼拝の讃歌へと統合されます。バッハは終曲で複雑な対位法を控えめにし、旋律の明晰さと和声の安定を優先することで、礼拝の平安と結論を音で表現します。
演奏上のポイントと解釈の分岐
BWV140を演奏する際の論点は多岐にわたります。音域や声部バランス、器楽の規模、テンポ設定、アーティキュレーションなどが解釈を大きく左右します。歴史的演奏法に基づく小編成・ピリオド楽器による演奏と、現代大型オーケストラと合唱による演奏とでは色彩感やダイナミクスの印象が異なります。一般に、コラールの明晰さと語感を重視するならば、声部の輪郭を明確にし、レチタティーヴォの言葉の切れ目を重んじる解釈が有効です。一方で宗教的な壮麗さや行進するような力強さを追求する解釈では、より広いテンポと豊かな弦の響きを用いることがあります。
著名な録音・演奏と編曲
BWV140は古典的名盤が数多く存在します。史的奏法を志向するものから20世紀的な合唱オーケストラ型の演奏まで幅広く録音され、演奏史を通じて解釈の多様性を示してきました。また、第1曲や第5曲の抜粋は合唱入門用や器楽編曲としても人気があり、オルガンやピアノの前奏曲、管弦楽編曲としても多数の版があります。これらの改編は作品の普及に貢献すると同時に、原曲のテクスチュアと意味を再解釈する余地を与えています。
聞きどころガイド
- 第1曲:合唱の冒頭リトルネルとコラール旋律の関係、合唱他声部の対位法に注目すること。
- 第3曲・第5曲:アリアや二重唱での声楽的表情、楽器の装飾的応答を比較しながら聴くこと。
- 終曲:四声コラールの和声進行と結びの安定感を味わうこと。
本作の意義と現代への遺産
BWV140は単なる礼拝用音楽の枠を超えて、文化的遺産として広く親しまれています。ニコライの讃美歌というルーツを持ちながら、バッハは個人的信仰と共同体信仰の緊張を音楽的に昇華しました。その結果、生まれた音楽は教会堂に留まらずコンサートホールでも力を保ち、多様な聴衆に宗教的な物語を伝え続けています。
まとめ:聴き方の提案
初めて聴く人には、まず第1曲の冒頭だけに集中してリトルネルとコラール旋律の関係を追いかけることを勧めます。次に第5曲の二重唱で人間的な温度を感じ取り、最後に終曲で全体の輪郭を確認すると、作品の構造と神学的メッセージが立体的に理解できます。これらを繰り返し聴くことで、バッハが讃美歌に込めた信仰の言語と音楽的技法の両方が深く味わえるはずです。
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参考文献
- Bach‑Digital: Cantata BWV 140(作品資料と原典情報)
- Bach‑Cantatas.com: BWV 140(解説・歴史・録音リスト)
- IMSLP: BWV 140 スコア(楽譜資料)
- Wikipedia: Wachet auf, ruft uns die Stimme(讃美歌と旋律の背景)
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