バッハ『BWV 175 Er rufet seinen Schafen mit Namen』徹底解説:『彼はおのれの羊らの名を呼びて』の音楽と信仰

序文 — 作品が語るもの

ヨハン・ゼバスティアン・バッハの教会カンタータ BWV 175「Er rufet seinen Schafen mit Namen(彼はおのれの羊らの名を呼びて)」は、福音書にある「良き羊飼い」のイメージを中心に据えた深い宗教作品です。タイトルの言葉はヨハネによる福音書(特にヨハネ10章の主題)と直接結びつき、キリストの個人的な呼びかけと信徒の帰属意識を音楽で描き出します。本稿では、成立背景、テキストと聖書的文脈、編成と構造、各楽章の聴きどころ、演奏と解釈上のポイント、現代への受容という観点からBWV 175を詳しく掘り下げます。

背景と成立

BWV 175はバッハがライプツィヒで教会音楽を担当していた時期の作品群に含まれ、福音書の「良き羊飼い」イメージを扱う典礼日に用いられたと考えられます。具体的な初演日や作詞者は必ずしも確定しておらず、一部資料では1720年代半ばの制作とされることがありますが、作曲の正確な年は学界で慎重に扱われています。いずれにせよ、作品はバッハの宗教観と教会音楽の実践を反映する典型的な教会カンタータとして位置づけられます。

テキストと聖書的背景

作品の核心はヨハネ10章の「自分の羊の名を呼んで出す」イメージです。ここでの『名を呼ぶ』という表現は、キリストと信徒との個人的な結びつき、群れから個を呼び出す親密さ、そして救いの確信を示唆します。カンタータのテキストは福音書の引用、伝統的な詩句、補助的な詩的瞑想(匿名の詩人による補筆であることが多い)を組み合わせ、説教的かつ内省的な流れを作ります。終結に伝統的なコラール(賛歌)を置くことで、教会共同体の信仰告白としての機能も果たします。

編成と楽曲構成(概観)

BWV 175は典型的なバッハの教会カンタータ編成の枠組みを踏襲します。通常、独唱(ソプラノ、アルト、テノール、バス)と四声合唱、弦楽器群、木管(オーボエ等)と通奏低音という編成要素が見られ、楽章はコラールを含む合唱曲と叙唱的なレシタティーヴォ、抒情的なアリアを交互に配する構成になります。多くの場合、開幕のコーラス(あるいはシンフォニア)で主題を提示し、中間部でドラマを展開、終曲にコラールで集約する伝統が踏襲されています。

楽曲分析 — 各部の聴きどころ

  • 冒頭合唱(開幕コーラス)

    冒頭では「呼ぶ」という行為を音楽的に象徴化するため、しばしば「呼び声」を思わせる動機や模倣が用いられます。リズム面では牧歌的な6/8やシチリアーナ風の揺らぎが用いられることがあり、これは『羊飼い』という牧歌的イメージを想起させます。対位法的な書法をとりつつ、テキストの重要語に対してオーケストラが染み渡るように和声で支える構成をとる場合が多く、合唱が「名を呼ぶ」情景を劇的に表現します。

  • レチタティーヴォ(叙唱)

    レチタティーヴォは福音的な語りを担い、言葉の意味を直接的に伝える役割を持ちます。通奏低音のうえに流れる叙唱は、聴き手の注意をテキストに集中させる設計で、聖書の語りを受けて信者の応答や内省へと導きます。

  • アリア(独唱)

    アリアでは個人的体験や信仰の確信が音楽化されます。BWV 175におけるアリアは、しばしば優雅な歌唱線と精緻な装飾、独奏楽器との対話によって、呼びかけに応える者の安らぎや喜びを描き出します。ここではバロック時代の装飾的技巧やヴィルトゥオーゾ的な受容も聴きどころです。

  • 終曲コラール

    伝統的に多くのバッハのカンタータは最後にコラールで閉じ、会衆的な信仰告白で作品を締めくくります。コラールの和声処理はしばしば深い平穏と確信を伝え、全曲の神学的・感情的なまとめとなります。

音楽的特徴と表現技法

BWV 175では、バッハ特有の語句音楽(テキストの意味を音楽的に描写する手法)が随所に見られます。たとえば「呼ぶ(rufen)」という語には短い跳躍や反復を用いた呼びかけの動機が対応し、「名(Namen)」に関しては個別性を示すために独唱声部が際立つ配置になることがあります。また、和声進行や転調を通じて不安から確信へと心理的移行を示すなど、調性計画がテキスト解釈に直結する設計がなされています。

演奏と解釈のポイント

  • テンポと発語のバランス

    語りかけるイメージを損なわないためには、テンポ設定が重要です。速すぎれば呼びかけが表情豊かに聞こえず、遅すぎれば説教的になりすぎます。合唱と独唱の発語(アタック)、発音を明晰にすることが、テキストを伝える上で不可欠です。

  • 楽器配置と音色の選択

    オーボエや弦楽器の音色は牧歌的・叙情的な側面を強調するために重要です。古楽器編成での演奏では、ヴィオラ・ダ・ガンバやバロックオーボエの色彩が際立ち、より当時の響きに近い印象を与えます。

  • ソロの扱い

    『名を呼ぶ』場面では、ソリストの語りかける表現力が成功の鍵となります。抑揚あるフレージング、テキストの語感を反映した装飾の使い方が、聴き手の共感を呼び起こします。

神学的・感情的な読み解き

このカンタータは単に聖書のイメージを再現するだけでなく、個人とキリストとの関係性を深く掘り下げます。「名を呼ぶ」ことは、個人の存在が神に認識されているという慰めを意味し、特に困難や不安の中にある信者にとって強い励ましになります。音楽はこの慰めと確信を、合唱の共同性と独唱の個別性という対比で表現します。

録音と演奏史的受容

BWV 175は、20世紀後半から現代にかけて多くの指揮者や古楽アンサンブルによって録音されてきました。代表的な演奏解釈としては、ジョン・エリオット・ガーディナー、トン・コープマン、鈴木雅明(Masaaki Suzuki)などの録音がしばしば参照されます。各演奏はテンポ感やバランス、装飾の扱いにおいて異なり、歴史的演奏実践(HIP)に基づく軽やかな解釈から、よりロマン派的な厚みによる表現まで幅があります。聴き比べることで、作品に潜む多義性が浮かび上がります。

現代における意義

BWV 175は宗教的レパートリーとしてだけでなく、普遍的な『呼びかけと応答』のテーマをもつため、非宗教的な文脈でも共鳴します。個人の存在確認、共同体への帰属、癒しと再生といった普遍的な感情を呼び起こす点で、現代のリスナーにも強く訴えかける作品です。

聴きどころのまとめ(ガイド)

  • 冒頭合唱:呼びかけのモチーフと牧歌的リズムに注目する。
  • アリア:独奏楽器と声部の対話、装飾的技巧を味わう。
  • レチタティーヴォ:テキストの意味を音楽がどう支えるかに耳を澄ます。
  • 終曲コラール:共同体的な信仰の確信としての和声処理を確認する。

演奏を楽しむための実践的アドバイス

  • 複数の録音を比較し、テンポやアーティキュレーションの違いを意識する。
  • 歌詞(原語と訳)を手元に置き、テキストと音楽の関係を追いながら聴く。
  • 可能ならライヴ演奏での身体的な空気感(声と合唱の距離感)を体験する。

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参考文献