バッハ BWV232『ミサ曲ロ短調』:生涯の総括としての大作(解説・分析・聴きどころ)

はじめに — BWV 232 の位置付け

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685–1750)が遺した『ミサ曲 ロ短調』 BWV 232 は、バッハ音楽の集大成とみなされる大規模宗教曲です。ラテン語のミサ曲全曲(Kyrie, Gloria, Credo, Sanctus, Benedictus, Agnus Dei)を扱う長大な作品で、対位法と劇的な合奏表現、宗教的深淵が高度に統合されています。作風の多様性、既存素材の再構成(パラフレーズや転用)と新作部分の混在により、「バッハの総括(summa)」とも称されます。

成立と歴史的背景

BWV 232 は一連の時期にわたって素材が作られ、最終的に生前の晩年(おおむね1740年代後半、特に1748–1749年頃と考えられる)に全体像がまとめられたとされています。曲の一部、特に Kyrie と Gloria は1733年頃の作品に基づき(当時ドレスデンの選帝侯に提出するための短いラテン・ミサとして作られたとする説が有力)、他の楽章はそれ以前からのカンタータや独立したアリア、コラールを転用・改編して組み込まれています。

重要なのは、バッハがこの作品を典礼上の常時使用を念頭に置いて作ったのではなく、音楽的・神学的総括としての独立作品として編纂した点です。生前に全曲が演奏された確かな記録は乏しく、作品が広く知られるようになったのは19世紀のバッハ再評価(メンデルスゾーンらによる復興運動)の過程です。

編成と構成(概観)

ミサは基本的に五声の独唱(ソプラノⅠ・Ⅱ、アルト、テノール、バス)と混声合唱、オーケストラ(弦楽器、バロック・オーボエ(オーボエ・ダモーレ等)、フルート、トランペット、ティンパニ、低音群)が用いられます。楽章はラテン典礼に沿って配されますが、各部分は複数の小楽節に分かれ、コラール的、アリア的、フーガ的な多彩な形式が混在します。

  • Kyrie(Kyrie eleison – Christe eleison – Kyrie eleison)
  • Gloria(いくつかの対比的な合唱と独唱)
  • Credo(信仰告白、長大な連続楽節群)
  • Sanctus / Osanna / Benedictus
  • Agnus Dei(ロ短調での結語と平和の祈り)

音楽的特徴 — 対位法と表現の二重性

この作品の魅力は、バッハが用いる複数の語法(stile antico と当時流行のコンサート様式)を自在に往還する点にあります。古風な対位法(教会旋法やフーガ)による荘厳な節と、独唱アリアにおける複雑な伴奏やオーケストラ効果が並立し、宗教的なテキストの意味を音楽的に多層化します。

例として、Credo における信仰告白の場面では力強いフーガやオーケストラの押し出しが用いられ、対して「Et incarnatus est(受肉)」の部分では極めて抑制された表情や室内的な伴奏が選ばれるなど、テキストの神学的対比が音楽言語の対比に直結しています。

調性とキー選択の意味

中心となる調はロ短調ですが、作品全体は多彩な調への転調を含みます。ロ短調はバッハにとって苦悩や深い宗教的内省と結びつけられることが多く(同時代の器楽曲でもロ短調を用いる作例がある)、最終的にAgnus Dei や終了部で提示される救済・平和の主題へと収束していきます。各楽章のキー配置や転調は、作品のドラマ性と論理的な結束を同時に支えています。

代表的な聴きどころと分析ポイント

  • Kyrie(冒頭合唱): オーケストラと合唱が織りなす壮麗な書法。導入のシンコペーションや対位進行に注目。
  • Gloria(Laudamus te 等): トランペットやティンパニを用いた祝祭的な場面と、華やかな独唱アリアのコントラスト。
  • Et incarnatus est: 受肉の神秘を示す静的で親密な音楽語法。伴奏楽器の色彩と独唱の語り口を比較して聴くと理解が深まる。
  • Agnus Dei: ロ短調の厳粛さと最後に示される“Dona nobis pacem(平和を与えたまえ)”の解決感。終結部の和声と対旋律が示す救済観に注目。

演奏と解釈の問題点(演奏史的視点)

20世紀中葉までは大型合唱団・モダン楽器による演奏が一般的でしたが、歴史的演奏法の普及に伴い、原典に基づく小編成・バロック楽器による演奏も増えました。どちらが優れているかは一概に決められず、作品の多面性が様々な解釈を許容します。速度設定、ピッチ(A=415Hz 等)、アーティキュレーション、合唱の人数配分、ソリストの扱いなどが演奏の印象を大きく左右します。

受容と影響

『ミサ ロ短調』は19世紀のバッハ復興以降、作曲技術の極致として音楽家・学者の注目を集め続けています。合唱音楽や宗教音楽の到達点として、後世の作曲家や理論家に影響を与え、今日では宗教音楽のみならず西洋音楽全体の重要レパートリーの一つと見なされています。

おすすめ録音(入門〜比較鑑賞)

  • 伝統的・大型編成の名盤:Karl Richter(1960年代の録音)など。重厚で宗教的荘厳さを重視。
  • 歴史的演奏法:Nikolaus Harnoncourt、John Eliot Gardiner、Philippe Herreweghe、Masaaki Suzuki(Bach Collegium Japan)等。器楽の色彩やテキスト表現に重点を置く。
  • 現代的解釈:Helmuth Rilling 等、明晰さとバランスを重視する録音も参考になります。

研究・版問題

楽譜は多くの版が存在し、原典版(Neue Bach-Ausgabe)や原典資料に基づく校訂版の併用が推奨されます。転用された素材の起源を探る文献学的研究や、バッハの筆写譜・写本の検討が続いており、解釈に関する新しい知見が定期的に更新されています。

まとめ

BWV 232『ミサ ロ短調』は、技術的完成度と宗教的深さを兼ね備えたバッハの最高傑作の一つです。対位法とコンサート様式が統合され、既存素材の再配置を通して一つの哲学的・音楽的命題が提示されます。演奏史や版の違いによって聞こえ方が大きく変わる点も魅力であり、何度も聴き返すことで新たな発見が得られる作品です。

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参考文献