バッハ BWV538「トッカータとフーガ ニ短調(ドリア調)」徹底解説 — 構造・演奏・歴史的背景
概要:BWV538「トッカータとフーガ(ドリア調)ニ短調」とは
ヨハン・セバスティアン・バッハのオルガン曲の中でも、BWV538 トッカータとフーガ ニ短調は、その堅固な対位法と独特の音色感で知られています。通称「ドリア調(Dorian)」と呼ばれるのは、楽譜に調号(♭)が付いておらず古い教会旋法を想起させるためですが、実際の曲は近代的な長短調の調性語法を多用しており、モード的な色彩とバロック的な和声語法が共存しています。
成立と写本史に関する注意
BWV538の正確な作曲年代は確定していません。バッハのオルガン作品全般と同様に、ヴァイマル時代(1708–1717)やライプツィヒ期のいずれか、あるいは前後の時期に作られた可能性が指摘されています。現存する楽譜は写本によるものが中心で、自筆譜(オートグラフ)は知られていないため、写本の伝承や校訂による異同に注意が必要です。詳細な写本情報や校訂譜はデータベースで確認することをおすすめします。
曲の構成と主要素材の概観
伝統的な「トッカータとフーガ」の形式に従い、本作も自由な導入部(トッカータ)と対位法的に厳格なフーガから成っています。以下は各部のポイントです。
- トッカータ部:自由で連続的な音形、手指とペダルの独立した動き、即興的に見えるパッセージが続きます。全体として流麗な16分音符やトレモロ的な動きが特徴で、即興的な「技術の見せ場」として機能しますが、内部には緊密な動機の反復や断片的な対位法も含まれています。
- フーガ部:主題(テーマ)は明確で力強く、対位法的展開が中心です。主題は各声部に呈示され、応答、転調、展開部、時にはストレッティ(主題の追いかけ)や拡大・縮小(augmentation/diminution)といった伝統的なフーガ技法が用いられます。全体の構成は均衡が取れており、トッカータの自由さとフーガの厳格さとの対比が聴きどころです。
「ドリア調」と呼ばれる理由と調性感の読み解き
この曲が「ドリア調」と呼ばれる由来は、調号が付されていない表記にあります。バロック期には旋法的表記が残る場合があり、調号がないことで古い教会旋法(ドリア)の表情を連想させるのです。しかし実際の和声進行や導音の扱いをみると、バロック的な短調(ニ短調)の調性感が支配的で、B♭やC♯などの臨時記号は曲中で効果的に使われます。つまり表記上は“ドリア”的な仄かな色合いがある一方で、機能和声に基づく現代的(バロック期の意味での)短調が作品の基盤です。
和声と対位法の特徴
BWV538では、バッハらしい高度な対位法と和声の処理が随所に見られます。具体的には:
- 主題の扱い:フーガ主題は明確で覚えやすく、その提示と変形が楽曲全体の推進力になっています。
- 和声的転換:モード的色彩を保持しつつ、完全終止・半終止・副和音などの機能進行を用いて明確な調性中心を保っています。
- 対位法的技法:拡大・縮小、逆行や模倣、ストレッティなどを駆使して、フーガ部の緊張感を高めています。
演奏・登録(レジストレーション)に関する実践的アドバイス
オルガンの種類や調律・調性が演奏の印象に大きく影響します。以下は演奏側が考慮すべき点です。
- 楽器選び:バロック様式のパイプオルガン(主に北ドイツ風)や、歴史的復元楽器は本曲の対位法的透明感を引き出しやすいです。一方、近代的なコンサートオルガンではダイナミクスや重厚感を生かした演奏も可能です。
- レジストレーション:トッカータ部ではフル・プログレッションを避け、スピード感と明瞭さを重視して主音列と一部リードをアクセントに使うと良いでしょう。フーガでは主題の明確な提示のためにフット主導(ペダル主体)のカラーパートを整え、クライマックスでリードを加えるのが一般的です。
- 調律とテンポ:平均律や中世調律(キルンベルガー等)で演奏する場合、モード的な響きが際立ちます。テンポはフーガの明瞭さを損なわない範囲で、形式の均衡を保つことが重要です。
- ペダリングと指使い:バッハ作品ではペダルの独立性と明瞭な指使いが求められます。トッカータ部の高速パッセージでは、滑らかな指運びと明確なペダルの刻みを両立させることがポイントです。
聴きどころと分析の視点
聴衆・演奏者ともに注目すべきポイントを挙げます。
- トッカータの即興性と内在する動機の反復を読み解くこと。自由に見えるパッセージにも小さなモチーフの循環があり、それが後のフーガで再現される場合があります。
- フーガ主題の構造と各声部の応答の仕方。主題の提示位置、転調の仕方、ストレッティや対位的重ね合わせのタイミングに注意すると、作曲技法の妙を感じ取れます。
- 音色の対比。手の部分・ペダル・ストップを巧みに用いることで、同一の対位線でも異なるキャラクターを持たせることができます。
演奏史と代表的録音
BWV538はBWV565ほど大衆的知名度は高くないものの、オルガン愛好家や研究者の間で広く演奏・録音されています。代表的な録音にはヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha)、マリー=クレール・アラン(Marie-Claire Alain)、トン・クープマン(Ton Koopman)、E. パワー・ビッグス(E. Power Biggs)などがあり、それぞれ歴史的楽器や近代的オルガンで異なる音色と解釈を提示しています。複数の録音を比較することで、レジストレーション・テンポ・解釈の幅を知ることができます。
楽曲の位置づけと今日的な評価
BWV538は、バッハの対位法的技法が成熟していることを示す一作であり、教育的側面と演奏的挑戦の両面を持ちます。学術的にはモードと調性の交錯、フーガ技法の使い方、写本伝承の研究対象として興味深く、多くの版や校訂が存在します。演奏者にとっては、バッハの語法を体現するための格好のレパートリーです。
実践的なスコア入手と校訂譜の選び方
スコアは公共ドメインの楽譜サイトや学術的校訂で入手できます。演奏目的であれば、信頼できる校訂(批判校訂や権威ある版)を選ぶことを勧めます。歴史的写本と校訂譜を照合すると、装飾音やリズム表記の差異、指示の有無など演奏解釈に影響する点が見えてきます。
まとめ:なぜBWV538を聴くべきか
BWV538は、バッハの対位法の精緻さとバロック的即興性が融合した作品です。表記上の「ドリア調」による古風な色彩と、実際に進行する調性的語法との微妙な緊張関係が魅力であり、聴くたびに新たな発見を与えてくれます。演奏者はレジストレーション、調律、テンポという要素を通じて自分なりの解釈を表現できるため、研究から実演まで幅広いアプローチが可能です。
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参考文献
- Wikipedia: Toccata and Fugue in D minor, BWV 538
- IMSLP: Scores for BWV 538
- Bach Digital(写本・版情報の参照先)
- Encyclopaedia Britannica: Johann Sebastian Bach — Organ works
- Peter Williams, The Organ Music of J. S. Bach(演奏・分析の参考文献)
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