バッハ:BWV 924–932 — 9つの小前奏曲の深層解剖と演奏ガイド

イントロダクション — 小さな作品に宿る大きな世界

BWV 924–932として番号付けされた「9つの小前奏曲」は、その短さと簡潔さから一見学習用の小品に見えます。しかし構造、和声進行、鍵盤的な書法にはバロック期の鍵盤音楽の要諦が凝縮されており、演奏・分析の対象として非常に興味深い作品群です。これらは18世紀に流布した教本や写譜に現れ、現在ではJ.S.バッハに帰されるものもあれば、作曲者不詳や弟子の作と考えられるものも混在していることから、研究上の注目点も多く存在します。

歴史的背景と来歴

これらの小前奏曲は18世紀の鍵盤教材や手写楽譜の中に散見され、数曲は『ヴィルヘルム・フリーデマンのためのクラヴィーア小冊子(Klavierbüchlein für Wilhelm Friedemann)』の系譜に関連する資料にも見つかります。写譜の伝承過程で複数の作者の作品が混在していたこと、そして近現代のカタログ化(BWV番号の付与)を経て、一括してBWV 924–932と番号づけられた経緯があります。

現代の音楽学では、これら全曲を無条件にヨハン・ゼバスティアン・バッハの自筆作とみなすことには慎重です。一部はバッハの弟子や同時代の鍵盤作曲家(たとえばクレープス親子やその他の所謂学習者向けレパートリー)による可能性が指摘されています。いずれにせよ18世紀の鍵盤教育と演奏実践を反映した教材的価値が高い点は共通しています。

作品の構成と共通する音楽的特徴

9つの小前奏曲はいずれも短い独立楽想で、基本的には単一の楽段(A-Bなどの簡潔な二部形式や反復を伴う単一部分)で構成されています。一般的な特徴を挙げると:

  • 明快な和声進行と短いフレーズ構成による学習向きの設計
  • 片手ずつの独立した動きや均整の取れた対位法的提示—声部ごとの分離がよく見られる
  • シーケンス(順次上行・下行の反復)が技巧的かつ教育的効果を持って配置される
  • 装飾音(オルナメント)の指示は限定的で、当時の演奏慣習に依拠して補われることが多い
  • 鍵盤の特性を活かしたアルペッジョやスケール的パッセージが頻出

これらの要素は、初心者に対する基礎技術の涵養(指使い、フレージング、バロック的発音)を意図していると同時に、短い楽想の中で表現的な完成度を狙う作曲的工夫も感じさせます。

作曲者問題 — 誰が書いたのか

学術的検討のポイントは「帰属(authorship)」です。一部の写本や資料ではバッハの作品群に混入していたため、歴史的にバッハ作品と考えられてきましたが、現代の音楽学は次のような結論へ向かっています:

  • 確実にバッハ自筆と断定できるものは限られる。
  • いくつかはバッハの弟子・周辺の作曲家(例:クレープス家など)が作曲した可能性が高いと指摘されている。
  • しかし作品そのものの教学的価値や音楽的魅力は、帰属の問題とは独立して評価されるべきである。

したがってプログラム上や教育現場では「バッハ風」あるいは「バッハ周辺の鍵盤作品」として扱われることが多く、演奏・解釈はバッハの鍵盤作品群の慣習(テンポの感覚、装飾の付与、手の配置分配など)に照らして行うのが自然です。

演奏と解釈に関する実践的ガイド

短い小品だからといって解釈を怠ると表現が平板になりがちです。以下は演奏時に留意したい点です:

  • テンポ設定:学習曲として記されているため速すぎず遅すぎない、メカニックにならないテンポを選ぶ。メロディーの呼吸を大切に。
  • 発音とタッチ:チェンバロやフォルテピアノ想定での軽やかなタッチ、現代ピアノならば軽妙さとともに音量のバランスを細かく管理する。
  • 装飾の扱い:写譜に明示のない装飾は当時の慣習(短い上行/下行のモルデント、トリルの扱い)に基づき最小限に加える。過度のロマンティック・ルバートは避ける。
  • フレージング:短い句ごとに呼吸を与え、和声進行の頂点でわずかなテンポの引き締め/緩めを用いると音楽に起伏が生まれる。
  • 声部間の均衡:内声の独立性を保ちつつ、旋律線をはっきり聞かせる。特に対位的箇所で声部間のダイナミクス配分を工夫する。

教育的価値とレパートリーへの組み込み方

これらの小前奏曲は指の独立性、簡潔な対位法、和声感覚を育てる点で理想的です。レッスンでは次のように使えます:

  • 初中級者のためのウォームアップや短期目標曲として最適
  • 和声分析の教材:短い進行で典型的なバロック和声を学べる
  • 装飾と演奏慣習の導入:手本付きでモルデントやアッポジャトゥーラの処理を教えるのに適している
  • 通奏低音や通奏表現の基礎トレーニングとしても有用(片手で伴奏する場面の制御)

楽曲別の聴きどころ(総合的指摘)

各曲は短いながら個性的です。共通して言えるのは「一見簡潔だが内部に小さな対位法的工夫や印象的なモチーフが隠されている」という点です。微小なモチーフの反復やシーケンスの変形を見落とさず、短い時間での表情変化をつけると曲の輪郭が際立ちます。

版・録音・参考となる資料

学術的・実用的におすすめの版は、信頼できるUrtext編集(Bärenreiter、Henleなど)です。これらの版は写譜の流布系譜や写本差異を注記しているため、作曲帰属や読譜上の判断に役立ちます。録音はチェンバロ録音とピアノ録音の両面を聴き比べると、様々な奏法・テンポ感を学べます。

  • 推奨版:Bärenreiter(Urtext)、Henle(Urtext)
  • 参考録音:チェンバロによる歴史的奏法の演奏と、現代ピアノによる解釈を複数聴き比べることを推奨

まとめ — 学びと演奏のための小宇宙

BWV 924–932の9つの小前奏曲は、教育的側面と音楽的完成度を併せ持つ作品群です。帰属の問題は完全に解決されていないものの、それを越えてこれらはバロック鍵盤奏法と作曲技法を学ぶうえで貴重なレパートリーとなります。演奏者は各曲の短い時間内に如何に表情を凝縮するかを念頭に、発音、装飾、声部分離に注意して取り組むとよいでしょう。

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参考文献