バッハ:BWV 980 協奏曲第9番 ト長調 — 来歴・構造・演奏解釈を徹底解説
序論 — BWV 980とは何か
BWV 980 は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのクラヴィーア(鍵盤楽器)用協奏曲編曲群(通称BWV 972–987)の一曲にあたります。一般にこれらはチェンバロやクラヴィコード(後にピアノでも演奏)向けに編曲された協奏曲で、イタリアのヴェネツィア派、特にアントニオ・ヴィヴァルディらの弦楽器協奏曲を手本にしたものが多く含まれています。BWV 980 はト長調に位置づけられ、標準的なバロック協奏曲の三楽章形式(速—遅—速)を踏襲する作品として理解されています。
歴史的背景と編曲の目的
バッハが作成したこれらの協奏曲編曲は、およそヴィーマル滞在期(1713年頃から1714年頃)およびケーテン期にかけての活動と関連づけられています。若き日のバッハはイタリア協奏曲の形式や技法に学ぶため、当時流布していた弦楽器用の協奏曲を鍵盤用に移し替える作業を行いました。こうした編曲は単なる写譜に留まらず、鍵盤の特性に即した再編や増補が加えられ、バッハ自身の作曲技法を学ぶ教材かつ演奏レパートリーの拡充を目的としていました。
楽曲の位置づけと原曲についての問題
BWV 972–987 の各番号は元来の弦楽器協奏曲を鍵盤用に編曲した一連ですが、すべての原曲の出所(作曲者や楽曲本体)が明確に同定されているわけではありません。多くはヴィヴァルディや当時のイタリア人作曲家の作品がモデルとされていますが、BWV 980 に関しては原曲の確定が必ずしも一致していない場合があります。したがって本稿では、編曲作品としての音楽的特徴とそこから読み取れるバッハの意図に焦点を当てます。
楽曲構造の概説
BWV 980 はバロック協奏曲の典型に倣い、三楽章(速・遅・速)の形式を取ります。各楽章に共通する特徴は以下の通りです。
- 第1楽章(速い楽章): リトルネルロ形式(ritornello)に基づく構成が中心。オーケストラ(編曲では伴奏の想定)による主題(リトルネルロ)と独奏鍵盤のカデンツァ的な応答が交互に現れ、調性回帰と対比が効果的に用いられます。
- 第2楽章(遅い楽章): 短調・長調いずれの表現もあり得ますが、一般に歌うような旋律線と簡潔な伴奏によって、内省的で叙情的な場面を作ります。鍵盤の装飾や和声の細やかな動きが聴きどころです。
- 第3楽章(速い楽章): フィナーレは舞曲的、あるいはプレストに近いテンポで書かれ、対位法的な処理やスケール・アルペッジョによる技巧的パッセージで締めくくられます。
和声と対位法、リズムの特徴
BWV 980 ではバッハらしい厳密な和声進行と、対位法的な書法が鍵盤上で見事に機能します。特にリトルネルロ形式の反復部分では、リズミカルな動機が様々な転調・模倣を通じて展開され、独奏パートは装飾的でありながらも構成的な役割を果たします。リズム面では付点リズムやシンコペーションが用いられ、ダイナミクスの明確な対比を生み出します(バロック期のダイナミクスは主に音色と密度の増減で表現されることに注意)。
演奏上のポイント(歴史的奏法と現代奏法)
演奏上の注意点は以下のようになります。
- 楽器選択: 原則的にはチェンバロ(もしくはフォルテピアノでも可)が想定されますが、モダン・ピアノでの演奏も広く行われています。チェンバロでは軽やかなタッチと明瞭なアーティキュレーションが重要です。
- 装飾音とイントネーション: バロック装飾(トリル、モルデント、ターンなど)の用法は楽器と時代様式に合わせて適切に選ぶこと。過度な装飾は主題の明瞭性を損なうため注意が必要です。
- リトルネルロの扱い: 繰り返される合奏主題(リトルネルロ)と独奏部の対比を明確にし、合奏部分では重心をやや後ろに置いた重厚さ、独奏部ではフレーズの透明さを出すと効果的です。
- テンポ設定: 第1楽章と第3楽章は躍動感を持たせつつも、バロックの舞曲性を尊重したテンポ感が求められます。第2楽章では呼吸を意識した長いフレーズ作りが重要です。
楽曲が持つ表情と聴きどころ
BWV 980 の魅力は、技巧的な鍵盤書法と歌うような旋律のバランスにあります。第1楽章では明快な主題提示とそれに続く多彩な展開が聴きどころ。第2楽章は内的な静けさと暖かさが感じられ、バッハの歌心(cantabile)が印象的です。第3楽章ではエネルギーと対位法的活気が作品を締めくくります。鍵盤奏者がオーケストラ的な色彩をいかに再現するかが、演奏の評価を左右します。
版と録音の選び方
楽譜は複数の版が流通しており、校訂版を選ぶことが重要です。原典に忠実なクリティカル・エディション(例えば Neue Bach-Ausgabe に基づく版や近年の校訂版)を基本に、奏者の解釈を加えるのが勧められます。録音については、チェンバロ独奏での歴史的演奏(ハンス=J. フライシャー、グスタフ・レオンハルト等)や、モダン・ピアノでの解釈(グレン・グールド等は主に他の鍵盤曲で知られますが、参考になる思想がある)など多様です。聴き比べることで、楽器と演奏様式が作品の表情に与える影響を感じ取ることができます。
学術的な注目点と未解決の問題
BWV 980 に関しては、原曲の特定や編曲の成立年、さらにはどの程度の改変がバッハ自身によるものかといった点が音楽学上の議論対象になります。現存する写本や校訂資料を照合することで、バッハの編曲プロセスや当時の楽曲流通の実態が徐々に明らかになってきていますが、完全な結論は出ていない箇所もあります。音楽学的な研究は、演奏史的な観点と合わせて聴取経験を豊かにしてくれます。
聴き方の提案(初めて聴く人へ)
BWV 980 を聴く際は、以下を意識してみてください。
- 第1楽章ではテーマの提示と独奏部の応答の構造に注意し、どの部分がリトルネルロに対応するかを意識する。
- 第2楽章では旋律の歌いまわしと和声の微細な変化を味わう。呼吸のあるフレージングを追うと、歌心が見えてくる。
- 第3楽章ではリズムの躍動と対位法的な模倣の快感を楽しむ。
結び — BWV 980 の位置する意味
BWV 980 は、バッハがイタリア協奏曲の技法を鍵盤楽器へと移植した一例であり、技術と抒情のバランスが魅力の作品です。原曲の出所に関する不確定性は残るものの、鍵盤上に展開される音楽的思考は明晰で、演奏する者・聴く者双方に多くの示唆を与えます。歴史的な様式と現代的解釈のあいだで作品を再発見する楽しみが、この曲にはあります。
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参考文献
- Keyboard concertos by Johann Sebastian Bach — Wikipedia
- Concerto, BWV 980 (Bach, Johann Sebastian) — IMSLP
- BWV 980 — Bach Cantatas Website
- Bach Digital — Digital resource for Bach works
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