バッハ:BWV981 協奏曲第10番 ハ短調 — 鍵盤への鮮やかな転写とその背景

序論:BWV981とは何か

BWV981は、J.S.バッハが他の作曲家の協奏曲を鍵盤のために編曲した一連の作品(通称『ヴァイオリン・コンチェルトの転写集』、BWV972–987群)の一つで、ハ短調の協奏曲として現存します。楽譜上は『Concerto in C minor, BWV981』と表記されることが多く、三楽章構成(速—緩—速)の典型的なイタリア協奏曲様式を踏襲しています。原曲モデルは現在必ずしも確定しておらず、バッハが当時学んでいたイタリア楽派の様式を自らの鍵盤語法に落とし込んだ例として興味深い作品です。

歴史的背景:ワイマール時代の転写活動

BWV972–987の一連の転写は、バッハがワイマールで宮廷楽長として活動していた時期(およそ1713–1714年)に作成されたと考えられています。この時期、バッハはイタリアの協奏曲、とりわけアントニオ・ヴィヴァルディの《調和の霊感(L'estro armonico)》やその周辺作品に深い関心を寄せ、それらを鍵盤楽器用に編曲することで新技法や和声、リズム表現を学び取り、自身の作曲語法へ取り込んでいきました。

こうした転写作業は単なる模写にとどまらず、原曲に対する解釈的再構成を含んでいます。バッハはヴァイオリンや管楽器のためのオリジナル・ソロやリトルネル(合奏主題)を鍵盤上で合理的に再現し、時に装飾や両手の対位法的処理を施しました。BWV981もその実践の産物であり、鍵盤独奏楽器がオーケストラ的テクスチャを担う興味深い試みとなっています。

楽譜と成立情報

BWV981を含む転写群はバッハ自身の筆写譜で伝わるものもあれば、写譜家による写本として残るものもあります。これらの写本・筆写は当時の演奏実践や編曲意図を知る手がかりを提供します。特にバッハがヴィヴァルディ作品を素材にした転写群は、バッハ研究において原典探求と様式理解の重要な資料とされています。

なお、BWV981の原曲モデル(もし存在するならば作曲者や楽器編成)は、現在でも確証を得ていない部分があります。ある楽曲はヴィヴァルディや当時のイタリア作曲家の作品に由来すると考えられる一方、いくつかは失われたオリジナル、あるいは不明な出所に結びつく可能性が提示されています。

楽曲の構成と特徴(楽章ごとの分析)

一般的にBWV981は三楽章構成であり、以下のような性格分けがなされています。ここでは楽曲全体の典型的な流れとバッハによる鍵盤化の特徴を解説します。

  • 第1楽章(速い)

    イタリア協奏曲の開幕にふさわしい活気と切れのあるリトルネル主題が現れます。原曲の合奏部分(オーケストラ・リトルネル)は、鍵盤の両手を用いたリズミカルな打鍵や反復音型で表現され、各エピソードでは対位法的な展開や短い装飾が加えられます。バッハはソロ楽器的な技巧を鍵盤上に巧みに移しており、トレモロや速いスケール、分散和音を随所に用いて原曲の独奏的側面を強調します。

  • 第2楽章(緩やか)

    緩抒楽章では深い表情と内省的な感情が要求されます。ハ短調という調性がもつ悲愴感や緊張感が前面に出る瞬間で、バッハは旋律線を明瞭に保ちながら、和声の動きを丁寧に裏付ける左手伴奏を配置します。鍵盤上での歌いまわし(cantabile)や装飾的な分散和音は、原曲の独奏旋律を豊かに描写します。ここでのテンポ設定や装飾の選択は奏者の解釈に大きく左右されます。

  • 第3楽章(速い)

    終楽章は再び活発なリトルネル形式やスケルツォ的な要素を帯び、楽曲全体を締めくくります。バッハは躍動するリズムと鮮やかなパッセージワークを駆使し、鍵盤をリズムと色彩の源として使います。重音や和音の連打、左右の対話を通じて合奏効果を再現し、聴衆にカタルシスを与える構成です。

編曲上の工夫と作曲技法

BWV981で注目すべきは、オリジナルの管弦楽的素材をいかに鍵盤で再現するかという問題に対するバッハの解答です。以下に主要な技法を挙げます。

  • リトルネル主題の鍵盤化:合奏のユニゾンや和声進行を、左右の手で分担させながら明瞭に提示。
  • 独奏線の装飾化:バロックの装飾やトリル、短いトレモロを用いて独奏楽器的な表情を付加。
  • 両手による対位法的処理:旋律と伴奏を独立的に扱い、オーケストラの多声性を再構築。
  • 低音の補強:チェロやコントラバスの役割を左手や通奏低音の記譜で補い、和声の基盤を固める。

演奏と解釈のポイント

BWV981を演奏する際には、以下の点が解釈上の主要な焦点になります。

  • 楽器選択:原則はハープシコードやチェンバロでの演奏が歴史的ですが、モダン・ピアノやフォルテピアノ、さらには室内オーケストラ+チェンバロのルネサンス的アプローチも一般的です。それぞれ音色と持続力が異なるため、フレージングやテンポ感の取り方が変わります。
  • テンポとアゴーギク:リトルネルの切れ味を保ちつつ、緩徐楽章では旋律の歌い口と和声の進行を尊重したテンポ設定が求められます。
  • 装飾と即興性:バロック演奏の文脈では、適切な装飾(トリルやターン、通奏低音上の簡潔な即興)を施すことが期待されますが、過度な装飾は楽曲のバランスを崩すことがあるため注意が必要です。

BWV981の位置づけと意義

BWV981は、バッハの鍵盤協奏曲群全体、さらには彼の作曲技法の発展を理解するうえで重要な資料です。これらの転写作業を通じてバッハはイタリア協奏曲のリズム感、和声進行、独奏—合奏の対比といった要素を吸収し、後のオリジナルな鍵盤協奏曲(例:BWV1052など)や管弦楽作品に応用していきました。したがってBWV981は、バッハが外来様式をいかに取り込み、独自の語法へと転化したかを示す一例として価値があります。

録音と楽譜の入手

BWV981は専門的なバッハ録音集や鍵盤協奏曲集の一部として多数録音されています。歴史的演奏法に基づくチェンバロ+現代弦楽アンサンブルの演奏、フォルテピアノやモダン・ピアノでの演奏、さらにはソロ・チェンバロによる鍵盤独奏版など、多様なアプローチが存在します。楽譜は公共ドメインのスコアや新しい校訂版が入手可能で、研究用の解説付き版や実演用の指示がある版もあります。

参考となる研究観点

研究者や演奏家がBWV981を扱う際、以下の観点がしばしば議論されます。

  • 原曲の正確な出所と作者の特定:転写元がヴィヴァルディ作品なのか、あるいは他の作曲家や失われた原曲なのかという問い。
  • バッハの編曲意図:学習目的のための分析的転写なのか、実際の演奏用に意図された実践的編曲なのか。
  • 演奏慣行の再構築:バロック期の装飾やテンポ感、通奏低音の扱いをどのように現代の舞台で再現するか。

結論:BWV981が残すもの

BWV981は、バッハの『学び』と『創造』が交差する場面を生き生きと伝える作品です。明確に確定した原曲モデルがないという点も、逆にバッハの編曲技術と創意がどれほど自由に機能したかを示しています。演奏者は鍵盤上でオーケストラ的色彩を再現しつつ、自らの音楽的判断で装飾やフレージングを選ぶ余地を与えられています。聴衆にとっては、イタリア協奏曲の華やかさとバッハ特有の構築力が融合した独特の響きを味わうことができるでしょう。

エバープレイの中古レコード通販ショップ

エバープレイでは中古レコードのオンライン販売を行っております。
是非一度ご覧ください。

エバープレイオンラインショップのバナー

また、レコードの宅配買取も行っております。
ダンボールにレコードを詰めて宅配業者を待つだけで簡単にレコードが売れちゃいます。
是非ご利用ください。
https://everplay.jp/delivery

参考文献