カデンツァの歴史と技巧──即興と編曲が生んだ協奏曲の華(完全ガイド)
カデンツァとは何か──概念と基本的役割
カデンツァ(cadenza)は、主に協奏曲やアリア、器楽独奏楽曲の中で現れる、独奏者が自由に技巧や表現を示すための独立した独奏部分を指します。通常は楽曲のクライマックス近く、オーケストラが終止形の和音やフェルマータで停止した直後に置かれ、独奏者が和声的・主題的要素を展開してから管弦楽に戻るという役割を担います。歴史的には即興演奏として発展しましたが、時代や作曲家、演奏慣習によっては作曲家あるいは演奏家があらかじめ書き下ろしたカデンツァが用いられることも多くあります。
歴史的展開:バロックから現代まで
カデンツァの源流はバロック期の即興的装飾に遡ります。バロックのダ・カーポ唱(da capo aria)や器楽合奏における独奏者の即興的装飾は、自由な技巧展開という点で現代のカデンツァと連続しています。古典派に入ると協奏曲というジャンルが確立され、独奏者の「見せ場」としてカデンツァは定着しました。
18世紀末から19世紀にかけては、モーツァルトやベートーヴェンらが即興的技量に重きを置いたため、演奏者自らがカデンツァを即興することが一般的でした。モーツァルトは自作の協奏曲で即興演奏を得意とし、自筆で残されたカデンツァも存在します。19世紀ロマン派に入ると、作曲家自身や著名演奏家が個性的なカデンツァを書き残すことが増え、カデンツァは録音時代以降、演奏者の個性を示す既成のレパートリーとして定着していきます。
20世紀・現代では、歴史的考証に基づく即興再現(HIP:Historically Informed Performance)志向が見直され、古典派の協奏曲における即興カデンツァを復元・再考する動きが活発化しています。一方で、現代作曲家は意図的にカデンツァ風の自由部分を楽譜に細かく記すことも多く、カデンツァのあり方は多様化しました。
機能と音楽的効果
カデンツァの主要な機能は以下の通りです。
- 技巧の披露:独奏者のテクニック、音色、表現力を聴衆に示す場。
- 主題の再解釈:楽曲の主題素材を自由に変奏・展開し、構造的にクライマックスを作る。
- 形式的転換:オーケストラとの対話を一時的に中断し、ソロの独立した語りへ移行することで、楽曲の最終的な収束(コーダ)への橋渡しを行う。
音楽的には、カデンツァは和声的に自由に振る舞えるため、調性の冒険、クロマチックな進行、遠隔調への一時的な移動、派手なアルペッジョやオクターブ走句などが登場します。最後は通常、属和音(V)あるいは属の長三和音に導かれ、オーケストラが再び入りコーダへと戻ります。
構造と作法:即興と書かれたカデンツァ
カデンツァは即興であった時代の名残から、いくつかの慣習があります。まず、オーケストラのフェルマータがカデンツァの開始を示し、独奏者はそこから自己の材(主題動機)を基に展開を組み立てます。即興では以下の点が重視されます。
- 主題素材の引用と変形:楽曲の第何主題、動機の断片などを取り出して展開する。
- 和声感覚の保持:自由であっても最終的に戻るべき調を意識し、オーケストラ復帰点に向けて和音を整える。
- 技巧的配置:聴衆が驚嘆する技法(トリル、トレモロ、跳躍、両手の分離奏など)を効果的に配する。
一方、作曲家や後世の演奏家による「書かれたカデンツァ」は、楽曲の構造により強く組み込まれ、しばしば楽譜に明確に記されます。楽譜化されたカデンツァは再現性が高く、録音・出版を通じてスタイルを固定化する役割も果たします。
代表的な例と慣用カデンツァの流布
歴史上、特に有名なカデンツァには次のようなものがあります。
- モーツァルト:自身の協奏曲では即興の伝統が強く、彼の自筆カデンツァや弟子筋によるカデンツァが残る。
- ベートーヴェン:ピアノ協奏曲のために自らカデンツァを書いた例があり、ピアノ協奏曲の演奏慣習に影響を与えた。ただし、彼のヴァイオリン協奏曲では作曲家自筆のカデンツァが伝わっておらず、ヨアヒムやクライスラーらによるカデンツァが標準となっている。
- ロマン派以降:リストやブラームス、ラフマニノフなどは自身や後続の演奏者のために大規模かつ作曲的なカデンツァを残し、カデンツァが単なる即興の見せ場から作曲的完成度を伴う楽曲部に変化していった。
これらの慣用カデンツァはしばしば録音や楽譜版により広まり、作曲家以外の著名演奏家のカデンツァが広く演奏されるようになりました。たとえばヴァイオリン協奏曲のヨアヒムやクライスラー版、ピアノ協奏曲における特定の名カデンツァはレパートリー化しています。
作曲家と演奏者の視点:誰がカデンツァを書くか
作曲家が明示的にカデンツァを書き込む場合、カデンツァは作曲作品の一部としての位置づけになります。逆に作曲家が指示を与えず空白を残した場合、演奏者の創意工夫に委ねられます。演奏家側の選択肢は大きく分けて三つです。
- 即興カデンツァ:歴史的な演奏慣習を再現する試み。HIPのアプローチでは、当時の装飾法や和声進行を学んだ上で即興する。
- 既存のカデンツァを採用:著名演奏家や作曲家が残したカデンツァを選ぶ。安定した表現を求める場合に多い。
- 新作カデンツァを作成:現代の演奏家が独自にカデンツァを作曲し、録音や演奏で普及させるケース。
選択は芸術的判断と聴衆・場の期待に依存します。古典派の曲で過度にロマン派的なカデンツァを付けると史実性を損なう一方、聴衆には馴染みのあるドラマ性を与えることもあります。
作法的な注意点:演奏上の実践ガイド
実際にカデンツァを即興または創作する際の実践的なポイントは以下です。
- 主題の識別:原曲から引用すべき動機やテーマを明確にする。完全に新しい素材だけで進めると楽曲との連続性が失われる。
- 構造感の保持:展開の頂点と終結に向けた段取りを考え、オーケストラ復帰時に属和音を用意する。
- ドラムマップ的な緊張管理:技巧の羅列だけでなく、弱起→盛り上がり→頂点→解決という劇的弧を設計する。
- 時代スタイルへの配慮:古典派は清明さと動機的発展を重視、ロマン派は情緒と拡張和声を重視するなど、スタイル適合性を考える。
現代におけるカデンツァの多様性
現在の演奏界では、カデンツァは単なる技巧披露を超え、作曲的・表現的価値を持つ場として再評価されています。現代作曲家が協奏曲作品の中に「カデンツァ風の自由な部分」を組み込むこともあり、逆に古典派作品を演奏する際に当時の即興的慣習を復元する試みも並行しています。
録音文化の発達により、ある演奏家のカデンツァが一つの"定番"となることも珍しくありません。だが同時に、若い演奏家の即興的試みや新作カデンツァによってレパートリーが更新され続けているのも現代の特徴です。
まとめ:カデンツァは即興と規定の交差点
カデンツァは協奏曲やアリアに生命力を与える重要な要素です。その本質は即興性にありますが、時代とともに作曲的完成度も付加され、現代では多様な形で受け継がれています。演奏者にとっては即興の腕前と音楽的判断力が問われる場であり、聴衆にとっては独奏者の個性とその時限りの瞬間芸術を堪能する醍醐味でもあります。
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参考文献
- Britannica - Cadenza
- Wikipedia - Cadenza
- IMSLP / Petrucci Music Library(自筆譜・版の参照資料)
- Oxford Music Online / Grove Music Online(要契約)
- Classic FM - What is a cadenza?
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