装飾音のすべて:歴史・記譜・演奏実践を踏まえた完全ガイド
装飾音(オルナメント)とは
装飾音(オルナメント、ornament)とは、主音に対して付加される短い音型や奏法で、旋律や和声の表情を豊かにするために用いられます。西洋音楽における装飾音は、単なる「飾り」以上の働きを持ち、様式や時代、楽器、作曲家の意図により意味合いや実行方法が大きく変わります。本稿では、定義から歴史的背景、主要な種類の解説、実演上の諸注意、楽譜上の表記と編集学的問題点、現代音楽・他ジャンルへの影響までを詳しく掘り下げます。
歴史的な発展:時代と地域による装飾音の変遷
装飾音の概念は中世やルネサンスにも見られますが、特にバロック期(1600–1750)において体系化され、通奏低音や通例的な歌い回しの中で重要な役割を担いました。フランスやイタリア、ドイツといった地域ごとに独自の慣習が発達しました。例えば、フランスでは“agréments”(アグレマン)という細かな装飾が発達し、Couperin(クープラン)らの鍵盤奏法書に具体的な記譜と発想が残されています。
古典派(18世紀後半)になると、装飾の記譜はより明確になる一方で、奏者の即時的な判断に委ねられる部分も残りました。C.P.E.バッハやQuantz(フルート奏者・理論家)は、装飾音の長さや開始音(例えばトリルは上の音から始めるかどうか)について実践的な指針を示しています。ロマン派以降は個人の表現が強調され、装飾音の用法もますます多様化します。
主な装飾音の種類とその実行法
- アッチェント(アクセント的装飾):強調目的の短い強音。歌唱表現や管弦楽で用いられます。
- グレースノート(附点・倚音系):通常、主音の前に入る短い音。古典派では2種類に分けられ、短く素早い「acciaccatura(アクセアカトゥーラ)」と、より長く主音を侵食する「appoggiatura(アポッジョアトゥーラ)」があります。実演ではテンポや拍子、楽器特性に応じて長さが変わります(例:アポッジョアトゥーラは主音の半分または2/3を取ることが多いという指示が古典派の文献にあります)。
- トリル(trill, mordent, inverted mordent):主音と隣接音を急速に行き来する反復音。バロック〜古典期の資料はトリルの開始音(上の音から始めるか、主音から始めるか)に差異があることを示しています。総じてバロック・古典の多くの伝統では上の音から始める例が多いと伝えられますが、地域的・時代的変化、作曲家の習慣に注意が必要です。
- ターン(turn):4音からなる上下反復のパターンで、記譜上のシンボルにより表されます。ターンは装飾の位置(主音上、主音下、上行・下行旋律の中)によって変化します。
- スライド・ポルタメント:隣接する音へつながる滑らかな装飾。声楽や弦楽器で用いられ、表情や連続性を作ります。
- ターンオーバーやトリラーのバリエーション:二重トリル、拡張トリルなど。19世紀以降のピアノ音楽では指使いやペダリングを伴う装飾的技巧へと発展します。
演奏実践上の指針:教本と史料に基づく注意点
装飾音の実行は単純に記号を「音にする」だけでは済みません。以下に、史料に基づいた実践上の重要点を挙げます。
- 史料を参照する:Couperin「L'art de toucher le clavecin」やC.P.E.バッハ「Essay on the True Art of Playing Keyboard Instruments」、Quantz「On Playing the Flute」などの原典は、それぞれの時代・地域の慣習を理解する上で不可欠です。これらは装飾の長さ、開始位置、または特定記号の意味について具体的な指示を与えます。
- テンポ依存性:多くの場合、装飾の長さはテンポに依存します。速いテンポでは装飾は短く削られ、遅いテンポではより長めに発展させることができます。
- 和声的役割の認識:装飾音は和声進行やフレージングに影響を与えるため、和声構造に応じて長さや着地位置を調整します。特に終止形や重要な和音の上では控えめにすることが多いです。
- 楽器特性:チェンバロ、ピアノ、弦楽器、管楽器、声楽では装飾の表現可能性が異なります。チェンバロのような減衰の早い楽器では素早く明確に、ピアノではレガートやペダルを用いた滑らかな装飾が可能です。
- 譜面にない装飾の挿入:バロック期にはしばしば装飾が明記されず、演奏者の判断で追加されました。現代の演奏では作曲家の意図や楽曲様式を考慮して慎重に行う必要があります。
記譜上の表記と編集学的問題
18〜19世紀の楽譜には装飾記号が多様に存在し、同じ記号が異なる意味で使われる場合もあります。編集者は、原典譜、作曲家の自筆譜、初版楽譜、当時の奏法書などを照合して合理的な解釈を提示しますが、場合によっては複数の解釈が成立します。
現代楽譜では標準化を図るために装飾の演奏方法を脚注で示すことが一般的ですが、史実的実践を重視する演奏家や指導者は原典に忠実な解釈を優先します。つまり、楽譜上の装飾は「設計図」ではありますが、時代背景と楽器事情を踏まえた「生きた」解釈が求められるのです。
ジャンル別・作曲家別の特徴例
・バロック器楽(リュート、チェンバロ、ヴァイオリン): アグレマンやインヴェンション的な装飾が自然なフレーズ形成に寄与。例えばフランス組曲や鍵盤曲ではCouperinの指示が基準とされることが多い。
・古典派(モーツァルト、ハイドン): 明確な装飾記譜が増える。モーツァルトのピアノ・ソナタや協奏曲に見られるグレースノートの扱いは、テンポ感やフレージングを重視して演奏される。
・ロマン派(ショパン、リスト): 装飾が個人的な表現として拡張され、作曲家による具体的な指示や難度の高い技巧が譜面に含まれる。ショパンの装飾は歌のようなフレーズ作りに直結する。
現代音楽・他ジャンルへの影響
ジャズやポピュラー音楽における「装飾的フレーズ」(ターン、ベンド、グリッサンドなど)は、古典的な装飾音の精神を受け継ぎつつ、即興的・リズミカルな変容を遂げています。クロスジャンルな研究や実践によって、装飾音は新たな音楽表現の可能性を広げています。
実践的な練習法
- 具体的な装飾をメトロノームで遅いテンポから練習し、均等・等速の動きを体得する。
- 史料に基づいた例(CouperinやC.P.E.バッハの実例)を模倣し、時代様式の違いを比較する。
- 録音を聴き比べて、同一フレーズの多様な解釈を学ぶ。
- 和声的な背景を理解し、装飾によって和声進行がどのように強調されるかを意識する。
まとめ:装飾音をどう扱うか
装飾音は単なる技術的な飾りではなく、音楽の構造や感情表現に深く関わる要素です。史料に基づく知識と実践的な耳、各楽器の特性への理解、そして作曲家や時代の慣習を総合して判断することが求められます。現代の演奏家にとっては、歴史的な正確さと現代的解釈のバランスを取りながら、自身の音楽観に沿った装飾の選択が重要です。
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参考文献
- François Couperin, L'art de toucher le clavecin (IMSLP)
- C.P.E. Bach, Essay on the True Art of Playing Keyboard Instruments (IMSLP)
- Ornament (music) — Wikipedia
- Appoggiatura — Wikipedia
- Trill — Wikipedia
- Johann Joachim Quantz, On Playing the Flute — Wikipedia


