1920年代スター列伝:サイレント映画が作り上げた不朽のアイコンとその遺産
序章:1920年代という時代と「スター」の誕生
第一次世界大戦後の1920年代は、映画が大衆文化の中心に躍り出た時代です。映画館が都市から地方へと広がり、興行システムや配給ネットワークが整備される中で、“スター”は単なる俳優ではなく、商品であり文化的アイコンになりました。サイレント映画期の演技様式、撮影技術、宣伝戦略が組み合わさり、チャールズ・チャップリンやルドルフ・ヴァレンティノ、クララ・ボウといった個々の顔と物語が世界中に広まっていきます。
ハリウッドの大衆的ヒーローとヒロインたち
1920年代のハリウッドでは数多くの大スターが誕生しました。代表的な人物とその特徴を挙げると以下の通りです。
- チャールズ・チャップリン:喜劇俳優であり監督・製作者。感情に訴えるスラップスティックと社会風刺を両立させ、『The Kid(1921)』『The Gold Rush(1925)』などで世界的な人気を獲得しました。1919年にはメアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクスと共にユナイテッド・アーティスツ(UA)設立に関わっています(ユナイテッド・アーティスツ参照)。
- ダグラス・フェアバンクス:スワッシュバックラー(剣戟ヒーロー)役で知られ、『Robin Hood(1922)』『The Thief of Bagdad(1924)』などの大作は、20年代のスペクタクル映画を代表します。UAの共同創設者でもあります。
- メアリー・ピックフォード:"America's Sweetheart"と称された人気女優。製作や経営にも関わり、スターが自らのブランドを管理する先駆けとなりました。1929年には『Coquette』でアカデミー主演女優賞を受賞しています。
- ルドルフ・ヴァレンティノ:"ラテンの恋人"と称されるロマンティックなスタイルで女性ファンを熱狂させました。『The Sheik(1921)』『The Son of the Sheik(1926)』などが代表作で、1926年に急逝すると世界的な追悼熱を引き起こしました。
- クララ・ボウ:フラッパー像を体現した"It Girl"。1927年の『It』で不動の地位を築き、モダンな女性像と若者文化の象徴となりました。
サイレント喜劇の巨匠たち
喜劇分野では、俳優自身がスタントや視覚的ギャグを追求し、映画語法そのものを築きました。
- バスター・キートン:無表情の"ストーン・フェイス"と精緻なスタントで知られ、『The General(1926)』『Steamboat Bill, Jr.(1928)』などで高度な物理ギャグと叙情性を融合させました。
- ハロルド・ロイド:都市を舞台にしたスリリングなコメディで人気を博し、『Safety Last!(1923)』の時計のシーンは映画史に残る名場面です。
- ロン・チェイニー:"千の顔を持つ男"として変装や特殊メイクを駆使し、『The Hunchback of Notre Dame(1923)』『The Phantom of the Opera(1925)』でダークなキャラクター表現を極めました。
ヨーロッパと国際的スター
1920年代はアメリカだけでなくヨーロッパでも映画文化が成熟し、国境を越えるスターが生まれました。
- グレタ・ガルボ(スウェーデン出身):1920年代後半にハリウッドでブレイクし、サイレント期の官能的な魅力で注目されました。1926年の『Flesh and the Devil』などが代表作で、トーキーへの移行後も成功を収めています。
- エミール・ヤンニングス(ドイツ):表現主義時代の演技派で、ヴュルフやミュールナウなどの監督と組んだ作品で高い評価を受け、1929年の第1回アカデミー賞で主演男優賞を受賞しました。
- ルイーズ・ブルックス(アメリカだがヨーロッパ映画で活躍):独自のボブカットと反抗的な雰囲気でモダンガールの象徴となり、G.W.パブスト監督の『Pandora's Box(1929)』で不滅の評価を得ました。
アジアと日本の動き:国内スターの台頭と国際派俳優
同時期、日本映画界でも興行規模が拡大し、独自のスター文化が形成されました。時代劇(時代劇:じだいげき)や新興の都市ドラマが人気を博し、以下のような動きが見られます。
- セツオ・ハヤカワ(早川雪洲/Sessue Hayakawa):日系俳優としてハリウッドで早くから成功を収めた存在で、1910年代から1920年代にかけて国際的な人気を誇りました。自身で製作会社を設立して作品制作にも関与しています。
- 坂東(班藤)つまさぶろう、岡田(大河内)伝次郎などの日本の時代劇スター:1920年代には東映の前身や個別の製作スタジオで時代劇を主体に活躍する俳優が登場し、映画館の人気スターとなりました。特に坂東つまさぶろう(Bandō Tsumasaburō)や大河内伝次郎(Okōchi Denjirō)は後の日本映画史でも重要な位置を占めます。
スター・システムと宣伝:顔がブランドになる
1920年代に確立された"スター・システム"は、俳優を企業が管理し、イメージを作っていく仕組みです。スタジオはポスター、雑誌、新聞記事、ツアー上映などを通じてスターの人格や私生活を商品化しました。ユナイテッド・アーティスツのようにスター自身が制作と配給に関与する動きも同時に現れ、俳優の権利や報酬に対する意識が高まりました。
映画技術と表現の進化:視覚表現の極致としての1920年代
この時代は編集術、カメラワーク、セットデザイン、メイク技術が飛躍的に発展した時期でもあります。ロン・チェイニーの変身メイク、キートンの精密なスタント、ミュアナウやヴィターらの表現主義的照明などは、俳優の表現と結びついて独特の映画美学を作りました。サイレント映画は台詞に頼らない視覚表現の極致を示し、スターは表情や身体表現で観客を惹きつけました。
トーキーの到来とスターの運命
1927年の『The Jazz Singer』の成功はトーキー(音声付き映画)時代の幕開けを告げ、1920年代末から30年代初頭にかけて映画界は急速な変革を迎えました。トーキーへの適応に成功した者もいれば、音声の問題(声質、アクセント、語学力)、演技様式や人間関係の問題で人気を失った者も多くいました。ジョン・ギルバートのように声に起因する諸説でキャリアが下降したとされる例もあります(実際にはスタジオとの確執やマーケティングの問題も複合的に影響しました)。逆にグレタ・ガルボはトーキー移行期にもうまく順応し、継続して成功を収めました。
1920年代スターの社会的影響とファッション
スターは映画の外でも消費文化やファッションを牽引しました。フラッパー・スタイルの流行、ボブカット、化粧法、男性のジェントルマン像など、スクリーンのイメージが雑誌や広告を通じて日常生活に浸透していきました。女性の社会進出や若者文化の台頭とスター像は相互に作用し、1920年代の文化を象徴しました。
遺産:現代に残る1920年代スターの意味
1920年代のスターたちは、映画表現の基礎を形成し、映画産業の制度と商慣習を確立しました。彼らの作品は今日でも研究・上映され続け、映画学校や批評において重要な教材です。ビジュアルアイコンとしての彼らのイメージは、現代のスターシステムやポップカルチャーの源流を示しています。
まとめ:多様な顔を持った1920年代スター
1920年代のスターは単なる過去の有名人ではありません。技術革新、興行構造、社会的変化と結びついて映画史上で独自の役割を果たしました。チャップリンやキートンの喜劇的革新、ヴァレンティノやボウのスター性、チェイニーの変身術、ガルボやピックフォードのイメージ戦略──これらは映画が大衆文化へと拡張する過程で生まれた多様な遺産です。現代の観客がこれらを再評価することで、映画表現と社会の関係性を改めて理解する手がかりになります。
参考文献
Charlie Chaplin — Britannica
Buster Keaton — Britannica
Rudolph Valentino — Britannica
Clara Bow — Britannica
Greta Garbo — Britannica
Douglas Fairbanks — Britannica
Mary Pickford — Britannica
Emil Jannings — Britannica
Harold Lloyd — Britannica
Lon Chaney — Britannica
Louise Brooks — Britannica
Sessue Hayakawa — Britannica
The Jazz Singer (1927) — Britannica
United Artists — Britannica
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