音楽における「雑音」の意味と活用法:歴史・サウンド設計・ミックスの実践ガイド

はじめに:雑音をめぐる誤解と可能性

「雑音(ノイズ)」という言葉は日常的に否定的に使われがちですが、音楽の文脈では単なる不要音以上の意味を持ちます。本コラムでは雑音の定義から歴史的背景、音楽制作・演奏での具体的な利用、音響・心理学的な作用、現代のノイズ関連技術までを幅広く解説します。プロデューサー、エンジニア、作曲家、音楽リスナーのいずれにも有益な実践的知見を届けます。

雑音とは何か:定義と“色”の違い

物理的には雑音は望まれない、または信号に含まれる非周期的・ランダム成分を指します。音響や音楽制作ではより広く、「信号(音楽的情報)に対して付加される非調和的・非定常的な要素」として扱われます。音色的にはいくつかの代表的な“色”があります。

  • ホワイトノイズ:全ての可聴周波数で同じエネルギー密度を持つ。シンセサウンドの基本素材。
  • ピンクノイズ:周波数ごとにエネルギーが減衰し、低域が相対的に強い。モニターや部屋のキャリブレーションに用いられる。
  • ブラウン(赤)ノイズ:さらに低域寄りで、重めの質感。

こうしたノイズは音響測定や合成、サウンドデザインで非常に重要です(詳細は後述)。

歴史的背景:ノイズとモダン音楽の接点

20世紀初頭以降、ノイズは芸術的実験のテーマになりました。イタリアの未来派の作家ルイージ・ルッソロは1913年に『騒音の芸術(The Art of Noises)』を発表し、工業音や雑踏音を音楽素材として肯定しました。戦後、ピエール・シェフェールによるミュジーク・コントクレート(1940年代)やジョン・ケージの偶然性/実験的な視点は、伝統的な「音楽=調性感」の枠を越えるきっかけとなりました。

1970〜80年代には、産業ノイズや電子機器の歪みを積極的に取り入れるノイズ・ミュージック、ノイズ・ロックが登場。代表的アーティストとしてはマースボロー(Merzbow、秋田昌美)やソニック・ユース、スロッビング・グリッスル、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンなどが挙げられます。

雑音の音響・心理学的効果

ノイズが音楽で与える効果は多面的です。以下に主な作用を示します。

  • テクスチャの付与:持続音やシンセパッドにノイズを混ぜると、音の輪郭や空気感が増します。
  • マスキング効果:ノイズは特定周波数帯の他の音を覆い隠す(マスクする)ことがあります。これを利用して不要な音を隠したり、逆に重要な成分を浮き立たせることが可能です(関連概念:聴覚マスキング、クリティカルバンド)。
  • 心理的緊張/解放:断続的なノイズやフィードバックの増大は不安感や緊張を引き起こし、逆にホワイトノイズや低域ノイズは没入感やリラックスを促す場合があります。
  • 空間情報の強化:リバーブやディレイと組み合わせたノイズは空間感や距離感を演出します。

プロダクションにおける雑音の実践的利用

ここでは制作やミックスで活用できる具体的なテクニックを紹介します。

  • シンセの層にノイズを加える:パッドやリードに薄くホワイト・ピンクノイズを混ぜるとトランジェントが強調され、アタックが明瞭になります。
  • ドラムのサウンドメイク:スネアやハイハットのシンセレイヤーに短いノイズを重ねると、アタックの存在感が増します。
  • ノイズでトランジションを作る:フィルやビルドアップにノイズスイープやホワイトノイズのオートメーションを使えば、場面のつなぎが滑らかになり、ドラマ性が向上します。
  • リスニング/モニターの校正:ピンクノイズはモニタースピーカーやルーム補正において基準信号として広く使われます。
  • ローファイ演出:LPクラッターやテープヒスを意図的に入れ、懐かしさや温かみを演出するジャンルが定着しています。

デジタル音声処理と雑音:量子化ノイズとディザリング

デジタル録音では量子化誤差から生じる量子化ノイズが問題になります。特にビット深度を下げる際に顕著です。そこで用いられるのがディザリングです。ディザリングは低レベルのランダムノイズを意図的に加えて量子化の非線形歪み(周期的なスペクトル歪み)をマスキングし、聴感上の品質を向上させます。さらにノイズシェーピングは、そのノイズ成分を人間の聴覚に敏感でない周波数帯に移動させる技術です(これらはDAWやマスタリングツールに実装されています)。

ノイズ低減の技術と留意点

望ましくないノイズを取り除くために、スペクトルサブトラクションやWienerフィルタ、最近の機械学習ベースのデノイジング(例:深層学習モデル)などが使われます。代表的な商用ツールにiZotope RXシリーズなどがあります。ただし過度なノイズ除去は音楽信号に「人工的な残響」や周期的なアーティファクト(いわゆる“ミュージカルノイズ”)を生み、音楽性を損なう可能性があるため注意が必要です。

制作上の判断基準:残すか除くか

ノイズを残すべきか除去すべきかは楽曲の文脈次第です。以下の観点で判断するとよいでしょう。

  • 意図性:ノイズが意図的に雰囲気やリズムを作っている場合は残す。
  • 可聴的干渉:重要な楽器の情報を妨げる場合は除去やイコライジングで対処。
  • ダイナミクスと距離感:ノイズは距離感を生むことがある。一律除去は空間表現を損なうこともある。

ノイズをデザインする:サウンドデザインと演奏への応用

電子音楽やゲームサウンドではノイズを素材として加工し、ノイズ自体を楽器化します。代表的手法:

  • フィルタリング:ノイズをバンドパスやローパスで成形してパーカッシブな音を作る。
  • グラニュラー処理:ノイズを短い粒(グレイン)に分解して再配置することで新たなテクスチャを生成。
  • コンボリューション:環境インパルスをノイズに掛け合わせ、独特の響きを作る。
  • フィードバック/歪み:アンプやエフェクトのフィードバックを利用して物理的で攻撃的なノイズを得る。

ジャンルにおけるノイズ表現の違い

ノイズの使い方はジャンルによって大きく異なります。ノイズ・ミュージックではノイズが主役になりうる一方、ポップスやジャズでは微細なノイズが「生演奏らしさ」「暖かさ」を演出します。テクノやIDMではノイズがリズム形成や効果音として重要な役割を果たします。

実践的なチェックリスト:ミックス時のノイズ処理フロー

  • 録音時に可能な限り良好な信号を取得(ゲイン構成、シールド、グラウンドループ対策)。
  • トラックレベルで不要なフロアノイズをハイパスやゲートで除去。
  • サウンドに「空気感」を足したい場合はピンクノイズやサチュレーションを薄く重ねる。
  • マスタリング前にディザリング/ノイズシェーピングを適切に適用(ビット深度変換時)。
  • ノイズ除去は最小限にし、必要ならスペクトラル編集で局所的に対処。

倫理と著作権的注意点

環境ノイズや録音されたフィールドレコーディングを素材として使う場合、収録場所や人物の権利(プライバシーや肖像権に該当する場面)を確認してください。商用作品で明確な権利が必要な場合はライセンスを取得することが重要です。

まとめ:雑音は敵か味方か

結論として、雑音は音楽的に「敵」でも「味方」でもあります。ノイズを理解し、意図的に使いこなすことで作品の表現領域は広がります。技術的な知識(マスキング、ディザー、ノイズ低減)と美的判断を組み合わせ、場面に応じて残すか取り除くかを決めましょう。

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参考文献