オスバルド・プグリエーセとは:タンゴ革新の軌跡と永遠のメッセージ
オスバルド・ペドロ・プグリエーセ(Osvaldo Pedro Pugliese, 1905–1995)は、アルゼンチン・タンゴの歴史の中でも、とりわけ「リズム」と「ダイナミズム」を刷新した存在として知られるピアニスト/作曲家/編曲家です。
彼の音楽は、単にダンスのための伴奏にとどまらず、社会の緊張や希望、個人の感情の揺らぎをも映し出す「生きたドラマ」です。ブエノスアイレスの下町から始まったその歩みは、やがて世界の劇場やミロンガに届き、今なお多くのダンサーとリスナーの心を揺さぶり続けています。
1. 生涯と時代背景 ― ヴィジャ・クレスポの少年から巨匠へ
プグリエーセは1905年12月2日、ブエノスアイレス市内のヴィジャ・クレスポ地区に生まれました。父アドルフォはイタリア系移民の靴職人であり、同時にアマチュア音楽家でもありました。最初に息子に教えた楽器はバイオリンでしたが、オスバルドは次第にピアノに強く惹かれていきます。
家庭は決して裕福ではなく、若い頃のプグリエーセは印刷工として働きながら音楽を学びました。オデオン音楽院などで基礎を身につける一方、夜はカフェやサロンでタンゴを演奏し、実践的な経験を重ねていきます。
10代の終わり頃には、すでに作曲家としての頭角も現れ始めます。19歳のときに書いた「Recuerdo(レクエルド)」は、後にフリオ・デ・カロ楽団によって録音され、一気にスタンダード曲の仲間入りを果たしました。この作品は、若書きとは思えないほど構成が緻密で、タンゴの叙情性と前衛的な和声感覚が共存しており、「将来の巨匠」を予感させるものでした。
1930年代には、さまざまな一流楽団でピアニストとして活躍しながら、自身の音楽観を模索する時期が続きます。アニバル・トロイロやフリオ・デ・カロ、ペドロ・マフィアといった名手たちと共演し、彼らのスタイルを吸収しつつも、「自分なりのタンゴ」を探し続けました。
2. オルケスタ・ティピカ・プグリエーセの誕生 ― 協同組合としてのバンド
決定的な転機となったのは1939年です。この年、プグリエーセはついに自身の楽団「オルケスタ・ティピカ・プグリエーセ」を結成し、タンゴの伝統に挑む長い旅路に踏み出します。デビューの舞台となったのは、タンゴの聖地カフェ・ナシオナルでした。
ここで特筆すべきは、楽団の運営形態です。プグリエーセは、自らのオルケスタを「協同組合(コオペラティブ)」として組織しました。リーダーがすべての権限と利益を独占するのではなく、メンバーが一人ひとり平等なパートナーとして責任と収益を分かち合う仕組みを採用したのです。
この背景には、彼が若い頃から関わっていた音楽家組合運動や左派思想の影響があります。プグリエーセはアルゼンチン共産党に所属しており、「音楽家も労働者であり、搾取されるべきではない」という信念のもとでバンドを運営しました。この姿勢は多くのミュージシャンから尊敬を集める一方、政治的弾圧の対象ともなっていきます。
1940年代から50年代にかけて、彼は何度も投獄や活動制限を受けました。ラジオ放送禁止令が出されたり、ツアーが中止に追い込まれたりすることもありました。それでもプグリエーセは音楽活動をやめず、オルケスタの仲間たちとともにステージに立ち続けます。
ここで生まれた有名なエピソードが、「赤いカーネーション」です。リーダーであるプグリエーセが投獄されてステージに立てないとき、彼のピアノの上には一輪の赤いカーネーションが置かれました。それは「マエストロは精神的にはここにいる」という象徴であり、観客もメンバーもその花を通じて彼の存在を感じ取ったといいます。
3. 音楽スタイル ― リズムと「間」で踊り手を支配する
3-1. 歩くビートと強烈なアクセント
プグリエーセ楽団の音楽は、一度耳にすればすぐにそれとわかるほど強烈な個性を持っています。
もっとも特徴的なのは、ベースとピアノの左手が刻む「歩くビート」です。重く沈み込むような四拍子が、まるで地面をしっかり踏みしめる足音のように続きます。このビートこそが、ダンサーが安心して身体を預けられる「床」の役割を果たしています。
そこに、バンドネオンとヴァイオリンが複雑なシンコペーションや装飾フレーズを絡めていきます。拍の表と裏を行き来するリズムの遊び、あえて少し「遅れて」入ってくるフレーズ。こうした細かなずらしが積み重なり、音楽全体に独特の緊張感とスイング感を生み出しています。
3-2. ダイナミクスと「間」がつくるドラマ
プグリエーセの演奏は、ダイナミクス(強弱)の幅がとても大きいことでも有名です。ささやくようなピアニッシモから、オーケストラが咆哮するようなフォルテッシモまで、一曲の中で何度も山と谷が訪れます。
そして何より象徴的なのが、「間(パウサ)」の使い方です。楽団全体が一斉に音を止め、完全な沈黙が数瞬続いた後、渾身の一音が戻ってくる。その瞬間、フロアにいる全員が息を呑み、次の一歩へと集中します。
この「沈黙の時間」もまた、音楽の一部です。プグリエーセのタンゴを踊るとき、多くのダンサーはこの間をどう扱うかに頭を悩ませますが、うまくハマったときの快感は格別です。
3-3. ダンスミュージックとコンサートミュージックの橋渡し
彼のアレンジは、ダンサーがきちんとステップを踏めるようにビートを保ちつつも、ショパンやラフマニノフを思わせるようなピアノ的な和声と構成を持っており、「ダンス音楽」と「コンサート音楽」の間を自在に往復していると言えます。
そのため、ミロンガでプグリエーセが流れると、フロアの雰囲気は一気に変わります。軽快なサロン・スタイルの後にかかると、「さあ、ここからが本気の時間だ」とばかりに、踊り手たちの集中が一段階深まるのです。
4. 代表曲 ― 名演と名編曲で辿るプグリエーセ像
4-1. La Yumba(ラ・ジュンバ)
プグリエーセと言えば、真っ先に名前が挙がるのが「La Yumba(ラ・ジュンバ)」でしょう。1946年に作曲・録音されたこの曲は、彼のスタイルを象徴する作品です。
タイトルの「Yumba」という語は、バンドネオンの深い息遣いや金属加工工場の打撃音を思わせるオノマトペから来ているとされ、その名のとおり、うねるようなリズムが全曲を貫いています。鋭く刻まれるアクセントと、重いビート。そしてクライマックスに向けて何度も積み上がるクレッシェンド。
ミロンガでは、一晩の中でも特に「ここぞ」という場面でかけられることが多く、最後のタンダ(3〜4曲セット)の締めとして流れると、フロア全体が一体となって燃え上がります。
4-2. Recuerdo(レクエルド)
19歳のプグリエーセが書いた「Recuerdo(想い出)」は、彼の初期作品でありながら、タンゴ史に残る傑作として広く知られています。複数の楽団が録音している楽曲ですが、自身のオルケスタによる演奏では、若さと同時に成熟した叙情が同居し、後年の重厚なスタイルへの萌芽もはっきりと感じ取れます。
長いフレーズと短いモチーフが交錯し、和声の流れも単純な循環にとどまりません。にもかかわらず、聴き手には自然で感傷的なメロディとして届くところに、プグリエーセの作曲家としての力量が表れています。
4-3. Gallo Ciego(ガジョ・シエゴ)
アグスティン・バルディによる名タンゴ「Gallo Ciego」は、多くの名演が残されていますが、プグリエーセ版はその中でも特にドラマティックなアレンジとして名高い一曲です。
原曲のメロディーを崩し過ぎることなく、リズムとダイナミクスで大胆に再構成することで、楽曲の物語性が一段と際立ちます。バンドネオンと弦の掛け合い、ピアノの鋭い一撃、そしてクライマックス手前の「溜め」。どの瞬間にもプグリエーセならではの感性が滲み出ています。
4-4. Desde el alma(心の底から)
ウルグアイの作曲家ロシータ・メロが少女時代に書いたワルツ「Desde el alma」は、数多くのタンゴ楽団に愛されてきた名曲ですが、プグリエーセのアレンジによって新たな魅力を獲得しました。
彼の「Desde el alma」は、3拍子の優雅な揺れの中に、切なさと高揚感が複雑に織り込まれています。甘く流麗なワルツでありながら、どこか影を帯びたニュアンスがあり、踊るときも単なるロマンティックを超えた情感を引き出してくれます。
4-5. その他の重要レパートリー
プグリエーセのレパートリーは膨大ですが、ミロンガやコンサートで特に頻繁に耳にする作品として、次のような曲が挙げられます。
- Negracha
- Malandraca
- A Evaristo Carriego
- Emancipación
- Don Agustín Bardi
- Nostálgico
いずれも、彼のスタイルを理解するうえで欠かせない楽曲であり、音源を聴き比べることで、時代ごとの変化やアレンジの発展も垣間見えてきます。
5. 世界と日本への影響 ― ツアーと教育活動
プグリエーセ楽団は、アルゼンチン国内だけでなく、ヨーロッパ、ソ連圏、北米、アジアなど、各地でツアーを行いました。その過程で、タンゴは「アルゼンチンの民族舞踊」から「世界の舞台芸術」へと認識を変えていきます。
日本との関わりも深く、1960年代以降、複数回の来日公演を行っています。民音(ミンオン)による「タンゴ・シリーズ」では、ダリエンソ、トロイロ、サルガンらと並び、プグリエーセ楽団が紹介され、日本のタンゴファンに大きな衝撃を与えました。
さらに、彼は教育者としても重要な役割を果たしました。ヨーロッパの音楽院でタンゴ科の監修を務めるなど、アルゼンチン国外でのタンゴ教育の基盤づくりにも携わっています。今日、世界各地でタンゴが正規の音楽教育として学ばれている背景には、こうした先駆的な取り組みがあります。
6. 舞台裏のエピソード ― 信念と人間味
プグリエーセの魅力は、ステージの上の華やかさだけではありません。舞台裏のエピソードにも、彼の人間性がよく表れています。
前述したように、楽団を協同組合として運営し、メンバーを「仲間」として扱った姿勢は、多くの音楽家にとって理想のリーダー像となりました。リハーサルでは厳しくも的確な指示を出しつつ、終われば冗談も飛ばし、食事の席では若手ともざっくばらんに語り合ったと言われています。
政治的弾圧を受けた時代にも、彼は音楽そのものを手放しませんでした。ラジオ放送が禁じられていた時期でも、サロンやクラブでの演奏を続け、人々にとっての「逃げ場」としてタンゴを提供し続けたのです。
晩年には、かつて対立していた政治家との和解の握手を受け入れたエピソードも伝わっています。そこには、信念を曲げずに闘ってきた人間が、それでも最後は「人と人」として向き合おうとする大きな懐の深さが感じられます。
7. プグリエーセを踊る・聴く ― 現代ミロンガでの楽しみ方
現在のミロンガでは、プグリエーセの楽曲はしばしば「特別な時間」を演出するために使われます。もしあなたがダンサーとしてプグリエーセに挑むなら、次のようなポイントを意識すると楽しみやすくなります。
- ステップを増やしすぎない
音楽自体がとても濃密なので、複雑なフィギュアを追いかけるより、ウォークやオーチョ、簡単なヒロなどを丁寧に行うほうが、音楽との一体感を得やすくなります。 - 間(沈黙)を恐れない
音が止まった瞬間に身体も止めてしまって構いません。静止している時間もまた、表現でありコミュニケーションです。相手の呼吸と自分の鼓動を感じながら、次の一音を待つその時間こそ、プグリエーセらしさを味わえる瞬間です。 - アブラッソに意識を向ける
大きなムーブメントよりも、抱擁の中でのバランスと呼吸が大事になります。身体と身体がぴったりとつながっていれば、急なダイナミクスの変化やリズムのずらしにも対応しやすくなります。
リスナーとして音源を楽しむ場合は、同じ曲の別テイクや別時期の録音を聴き比べてみると、アレンジの変化やテンポの違いが見えてきて面白いでしょう。若い頃の鋭くやや速めの演奏と、晩年のゆったりとしたテンポでの演奏を比べると、同じ曲でもまったく違う表情を見せてくれます。
8. 未来へ受け継がれる「情熱の鼓動」
1995年にプグリエーセがこの世を去ってから、すでに数十年が経ちました。しかし、彼の音楽は今も世界中のミロンガ、コンサートホール、そしてレコードや配信音源を通じて鳴り響き続けています。
彼が築いたスタイルは、ピアソラ以降のヌエボ・タンゴや、現代の実験的なタンゴ・バンドにも少なからず影響を与えています。重厚なリズムと大胆なダイナミクス、そして「沈黙」をも音楽として扱う感覚は、ジャンルを超えて多くの音楽家にインスピレーションを与え続けています。
オスバルド・プグリエーセは、単に「名曲をいくつか残した作曲家」ではありません。
彼は、
- 労働者としての音楽家の尊厳を守ろうとしたリーダーであり、
- 政治的弾圧にも屈しなかった信念の人であり、
- ダンスとコンサートの垣根を越えた音楽を生み出した芸術家です。
その情熱の鼓動は、レコードの針が落ちるたび、あるいはDJが次のタンダに彼の名前を告げるたびに、今も新たな命を吹き込まれています。
まだプグリエーセをじっくり聴いたことがないなら、「La Yumba」や「Recuerdo」から始めてみてください。そこから「Gallo Ciego」「Desde el alma」、さらに他の作品へと広げていけば、きっとあなたなりの「プグリエーセ像」が立ち上がってくるはずです。
参考文献
- Tangology101 “Osvaldo Pugliese”
- Osvaldo Pugliese – Wikipedia(英語)
- Osvaldo Pugliese – Wikipedia(スペイン語)
- La yumba – Osvaldo Pugliese y su Orquesta Típica(Escuela de Tango de Buenos Aires)
- Brisbane House of Tango “Tango Composer, Osvaldo Pugliese – The Beginning of Concert Style Tango”
- El Recodo Tango Music – Osvaldo Pugliese の録音データベース
- Min-On Concert Association – Latin & Tango / Tango Series 関連ページ
- 日本アルゼンチンタンゴ連盟(FJTA)公式サイト
- TangoAcademy.jp – タンゴ史・黄金時代関連コラム
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