The Driftersの系譜:R&Bからソウルへ残した革新と名曲
The Driftersとは何か — 短いイントロダクション
The Driftersは1950年代から1960年代にかけてアメリカのポピュラー音楽に大きな影響を与えた男性ボーカル・グループである。R&B/ドゥーワップからスタートし、やがて文字通りソウルやポップの境界を越えるサウンドを確立した。代表曲には「Money Honey」「There Goes My Baby」「Save the Last Dance for Me」「Up on the Roof」「Under the Boardwalk」などがあり、そのアレンジやプロダクションは当時のポピュラー音楽に新たな潮流を作り出した。
結成と初期 — クライド・マクファター(Clyde McPhatter)時代
グループは1953年に元ドミノーズのリード・シンガー、クライド・マクファターが中心となって結成された。初期のDriftersは典型的なドゥーワップ/リズム・アンド・ブルースのスタイルで、リードの張りのある高音(ファルセット)にコーラスが寄り添う構成が特徴だった。1953年のヒット「Money Honey」は当時のR&Bチャートで大成功を収め、グループの名を広めた。
ただし結成直後から興味深い運営上の事情があった。マネージャーのジョージ・トレッドウェル(George Treadwell)がグループ名の権利を所有したため、メンバーの流動性が高く、トレッドウェルが異なるメンバーでグループを組み替えることが可能になった。このことが後年まで“The Drifters”の名義に関わる混乱や多様なラインナップの連続を生む要因となった。
ベン・E・キング(Ben E. King)時代とサウンドの革新
1950年代終盤から1960年代初頭になると、第二期の主要メンバーとしてベン・E・キング(Ben E. King)がリードを務める時代がやってくる。1959年の「There Goes My Baby」はジェリー・リーバー&マイク・ストーラー(Jerry Leiber & Mike Stoller)などのプロデュースによるもので、ストリングスやポップ的なアレンジを大胆に導入したことが特に重要だ。
この楽曲は従来のドゥーワップの枠を越え、オーケストレーションを取り入れたR&B/初期ソウルの先駆となった。続く「Save the Last Dance for Me」(1960年)や「This Magic Moment」などもベン・E・キングが在籍した時期の代表作で、メロディアスなリードとコーラスの融合、そしてブライトなプロダクションが際立つ。
ベン・E・キングは1960年にソロに転向し、その後「Stand by Me」で不朽の名声を得るが、キング期に作られた作品群はDriftersの音楽的評価を一段と高め、後続のソウル・シンガーやプロデューサー達に多大な影響を与えた。
主要楽曲とその背景
- Money Honey(1953) — 初期ヒット。R&Bチャートでの成功によりグループの名を確立した。
- There Goes My Baby(1959) — ストリングスや洗練されたプロダクションを取り入れ、ソウルへの橋渡しとなった重要曲。
- Save the Last Dance for Me(1960) — 哀愁とポップ感覚が同居するナンバーで広くカバーされた。
- Up on the Roof(1962) — ゴフィン&キング(Goffin & King)による作詞作曲で、日常の逃避を歌う美しいポップ・バラード。
- Under the Boardwalk(1964) — 夏を象徴する名曲。リードの急遽交代があったエピソードとも結びつく一曲。
メンバー交替と「名前の所有」による問題
ジョージ・トレッドウェルがグループ名を管理していたため、メンバーは頻繁に入れ替わった。結果として「オリジナル・ドラフターズ(Clyde McPhatter期)」と「後期のDrifters(Ben E. King期以降)」では音楽性も顔ぶれも異なり、音楽史ではしばしば区別して語られることがある。
この体制は商業的には成功を収めたものの、メンバー個々のキャリアや著作権・名称の取り扱いに関して複雑な問題を残した。1970年代以降、複数の『The Drifters』が並行して興行を行う事態が続き、消費者側でもどのラインナップが“本物”かを巡る混乱が生じた。こうした状況は多くのシニアR&Bグループに共通する課題でもある。
音楽的特徴と後続への影響
The Driftersのサウンドは、初期のドゥーワップ的なコーラスワークと、1960年前後に見られる複雑なスタジオ・アレンジの融合が特徴だ。特にリーバー&ストーラーらの関与によるプロダクション面での実験(弦楽器の導入やポップなリズムの採用)は、後のソウル/モータウン的サウンドに少なからず影響を与えた。
さらに、個々のリード・シンガーの表現力(クライド・マクファターの力強いファルセット、ベン・E・キングの抒情性、ジョニー・ムーアなどの安定感)は、後続の男性ボーカル・グループにとって一つの模範となった。彼らのレパートリーは数多くカバーされ、ポップカルチャーにも定着している。
ライブとレコーディングの関係性
1960年代のポピュラー音楽シーンでは、スタジオでのプロダクションが重要性を増していったが、The Driftersはライブでの魅力も失わなかった。コーラスワークやハーモニーを重視したパフォーマンスは、当時のショーやテレビ出演でも高い評価を受けた。だが、頻繁なメンバー交替はライブの個性を一定に保つ上で障害となることもあった。
悲劇と転機 — 1964年の出来事
1960年代中盤、グループは輝かしいヒットを続ける一方で悲劇にも見舞われる。リード・シンガーの一人、ルディ・ルイス(Rudy Lewis)が1964年に急逝したのはその一例である。ルディの死により、直前までリードを務めていた人物が不在となる中、ジョニー・ムーア(Johnny Moore)がリードを引き継ぎ、「Under the Boardwalk」などの録音・パフォーマンスで活躍した。
その後の評価と遺産
The Driftersの楽曲は時代を超えて再評価され、映画やCM、カバーを通じて現代にも残響を与えている。多くの音楽史的解説では、彼らがR&Bからソウルへと至る過程における重要な接点であったと位置付けられている。グループ自体は原型を保ちながらも複数の系譜に分岐しており、音楽史の教科書的な“単一の存在”ではなく、むしろ変容し続ける集合体として語られることが多い。
また、The Driftersの楽曲群は多くの現代アーティストにカバーされ、サンプリングやリメイクを通じて新しい文脈で用いられている。こうした普遍性こそが、彼らの音楽が時間を越えて支持される理由のひとつである。
まとめ — なぜThe Driftersは重要か
- 初期R&B/ドゥーワップを代表する存在としての地位を確立した。
- ストリングスや洗練されたスタジオ・アレンジを取り入れ、ソウル/ポップの方向性を示した。
- メンバーを巡る複雑な歴史が示すように、グループ名と実体が必ずしも一致しないポップ産業の側面を露呈した。
- 数々の代表曲は今なおカバーやメディアで使用され、普遍的な魅力を保っている。
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参考文献
- Britannica — The Drifters
- Rock & Roll Hall of Fame — The Drifters
- AllMusic — The Drifters Biography
- Wikipedia — The Drifters (参照用:各種資料への出発点)
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