旋法ジャズ入門:モード理論から実践テクニックまで徹底解説
はじめに — 旋法ジャズとは何か
旋法ジャズ(モード・ジャズ、modal jazz)は、従来の機能和声(ドミナントからトニックへ進行する西洋クラシック由来の和声進行)を相対的に軽視し、スケール(モード)や持続和音、オスティナート(繰り返しの伴奏)を基盤に即興と構築を行うジャズの潮流を指します。1950年代後半から1960年代初頭にかけてジョージ・ラッセルの理論やマイルス・デイヴィスのアプローチを契機に広まり、ジャズの表現と即興の自由度を大きく変革しました。
歴史的背景と起源
旋法ジャズの理論的源流は、ジョージ・ラッセルの『Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization』(1953)に遡ることができます。ラッセルは従来の機能和声に代わる音高の重心やスケールの組織化を提案し、これがモード志向の即興を促しました。実践としては、マイルス・デイヴィスが1959年に発表したアルバム『Kind of Blue』が象徴的で、特に「So What」「Flamenco Sketches」「Blue in Green」などはモードを基礎にした演奏を示しています。
ジョン・コルトレーンも並行してモーダルなアプローチを発展させ、「Impressions」「My Favorite Things」などで長いヴァンプや単一モード上の即興を用いました。ピアニストではビル・エヴァンス(Kind of Blueセッションにも参加)、ハービー・ハンコック、マッコイ・タイナーらがモードや四度和音(quartal harmony)を用いた豊かな和声感を提供しました。
旋法(モード)の基礎
モードとは、同一音集合(たとえばCメジャースケール)の中で、開始音を変えたときに生じる音階の種類です。西洋教会旋法(グレゴリオ聖歌由来)を起点に以下がよく用いられます。
- イオニアン(Ionian)=長音階(メジャー)
- ドリアン(Dorian)=短調だが6度がナチュラル(マイナー+ナチュラル6)
- フリジアン(Phrygian)=短調だが2度が半音下降(スペイン風味)
- リディアン(Lydian)=長調だが4度が半音上昇(#11色)
- ミクソリディアン(Mixolydian)=長調だが7度がフラット(dom7に対応)
- エオリアン(Aeolian)=自然短音階(ナチュラル・マイナー)
- ロクリアン(Locrian)=五度が減じられ不安定(ほとんど使われない)
旋法ジャズではドリアン、ミクソリディアン、リディアンが特に多用されます。たとえばDマイナーのヴァンプにはDドリアン(D,E,F,G,A,B,C)が自然に選ばれます。
モードの音色とハーモニーの選択
モードは和音に対して特定のテンション(9, 11, 13など)をもたらします。たとえば:
- ドリアン:マイナー・トライアド+ナチュラル6 → 明るい短調の色合い(例:Dドリアン)
- ミクソリディアン:ドミナント・サウンド(♭7) → V7的な色だが機能解決を求めない場面で使用
- リディアン:#11(増4度)を含む → 夢幻的・浮遊感を演出(例:CリディアンのF#)
モードを和音に当てはめる際、旋法の持つ特徴音(ナチュラル6や#11など)を強調することで独特の雰囲気が生まれます。モーダルな作品では、和音進行が単純または固定されたまま、ソロが異なるモードやテンションを探ることで筋書きが展開します。
実践的なアプローチ:リズム・セクションの役割
従来のジャズではベースが和声の根音を動かし、ピアノ/ギターがコード進行を補強していました。モード志向では、ベースはしばしばペダル的に同じ音を維持してオスティナートを作り、ドラムはテクスチャーとタイム感を強調します。ピアノやギターは四度積みやオープンボイシング、テンションの選択によって色彩を付けます。
即興の技術と練習法
モード即興の核心は、スケール単位での音選びと動機的発展です。主な練習法:
- ドローン(持続音)に合わせて特定モード上で長時間ソロを行う:耳をモードの特性に慣らす。
- 限定された音域でリズミックなモチーフを反復し発展させる:モードの中でメロディックなアイデアを深化させる。
- トライアド/セブンス・コード上で上構造トライアド(upper-structure triads)を試す:テンションの響きを体験する。
- 5音音階(ペンタトニック)やモードのサブセットを使ったシンプルなライン作りで即興へのハードルを下げる。
マッコイ・タイナーの四度積みのコンパクトなブロックや、ビル・エヴァンスの空間的なアプローチは、モーダル即興を学ぶうえで有益なモデルです。
代表的な曲と分析(短評)
- マイルス・デイヴィス「So What」:Dドリアンのヴァンプが主軸。16小節のモード→8小節の半音上モード(E♭ドリアン)→再びDドリアンという構成。
- ジョン・コルトレーン「Impressions」:Dorianベースのヴァンプを長尺で駆使し、リズムセクションとの対話で高揚する好例。
- ハービー・ハンコック「Maiden Voyage」:浮遊するテンション(sus, add9系)とモーダルな響きが交差する現代的作品。
- ビル・エヴァンス「Blue in Green」:和声的不確定性とモーダルな色彩が融合した名曲(楽曲の作曲帰属には異説があり、ビル・エヴァンスとマイルス双方の関与が指摘されている)。
モードとコード・スケールの対応(実用表現)
演奏の際の基本的な対応例:
- m7(マイナー7) → ドリアンまたはエオリアン(曲の色に応じて)
- maj7(メジャー7) → イオニアンまたはリディアン(#11を活かすならリディアン)
- 7(ドミナント) → ミクソリディアン(機能解決を避ける場合)、またはドミナント・スケール(オルタード等)を選択
重要なのは、選ぶスケールが和音の持つテンションと衝突しないこと、および楽曲の音色的要求(浮遊感・緊張感・エキゾチックさ)に合致していることです。
現代ジャズ/フュージョンにおける拡張
モード指向はポストバップ、フュージョン、現代ジャズにも深く浸透しています。ウェイン・ショーターの作曲やハービー・ハンコックの初期フュージョン作品、チック・コリアのモーダルなコンセプトなど、和声進行を限定してフレーズ/テクスチャーを重視する流れは現在でも多くのミュージシャンに採用されています。
よくある誤解と注意点
- 「モード=スケールだけ」ではない:モードは演奏形態(ヴァンプ、ペダル、テクスチャー)と一体になって効果を生む。
- 機能和声の完全廃止ではない:多くの作品はモード指向と機能和声を併用し、必要に応じて緊張と解決を用いる。
- 理論の押し付けは禁物:モードの選択は耳で判断する芸術的決定であり、理論は説明とガイドに過ぎない。
学習ロードマップ(実践的)
初心者から中級者へのステップ例:
- ドリアン、ミクソリディアン、リディアンの3つをドローン伴奏で弾き分け、耳を慣らす。
- 「So What」や「Impressions」のコード進行を学び、実際にヴァンプ上でソロを取る。
- モチーフ開発、リズムの変化、音域の工夫など即興テクニックを意識して練習する。
- 四度積みや上構造トライアドなどのボイシングを学び、コンピングの語彙を増やす。
- 幅広いレパートリーでモードの使い分けを体得する(モーダル・ワークショップやセッション参加を推奨)。
まとめ
旋法ジャズは単なるスケール選択の方法論を超え、和声・リズム・テクスチャーを再構築するアプローチです。モードを深く理解すると、即興の選択肢が飛躍的に増え、音楽の色彩表現が豊かになります。理論と実践をバランスよく取り入れ、名演奏の分析と反復練習を通じて自分なりのモーダル表現を築いてください。
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参考文献
- Modal jazz — Wikipedia
- George Russell — Wikipedia
- Kind of Blue — Wikipedia (Miles Davis)
- Mark Levine, The Jazz Theory Book (Google Books)
- "So What" — Wikipedia
- Ted Gioia — The History of Jazz
- Paul Berliner, Thinking in Jazz(概要)
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