中・サイド(MS)ステレオの完全ガイド:録音からミキシングまでの理論と実践
はじめに
MS(Mid-Side)ステレオは、モノ互換性を保ちながらステレオ幅をコントロールできる強力なマイク/プロセッシング技術です。録音現場からポストプロダクション、マスタリングまで幅広く用いられており、特に放送やフィールド録音、アコースティック楽器のステレオ収録で重宝されます。本稿では原理、実際のマイキング、デコード/処理方法、利点と注意点、応用テクニックを詳しく解説します。
MSステレオの基本原理
MS方式は「Mid(中心)」と「Side(側面)」という2つの信号を用いる点が特徴です。Midは被写体(演奏者や音源)の中央成分を捉えるマイクで、一般に指向性はカーディオイドやオムニが使われます。Sideは左右の差分成分を捉えるために双指向性(Figure-8)マイクを用います。デコード(再合成)は非常にシンプルで、左右チャンネルは次のように作られます。
L = M + S
R = M - S
ここで重要なのは、Side信号を片方のチャンネルで逆相にすることで左右の差分を生み、ステレオイメージが確立される点です。SideをゼロにすればLとRは同一になりモノラルとなるため、MSはモノ互換性が非常に高いという利点を持ちます。
歴史的背景と実用上の位置づけ
ステレオ録音技術は20世紀初頭から発展してきましたが、MSはその中でも特にポストプロダクションでの柔軟性を重視した方式です。従来のXYやORTF、ABなどのステレオ方式と比べ、MSは録音後にステレオ幅を調整できる点で優れています。そのため放送やフィールド収録、ライブ録音で広く採用されています。
機材とマイクの選び方
MS録音に必要な基本構成は次のとおりです。
- Midマイク:カーディオイドまたはオムニが一般的。ボーカルや楽器の中心成分を明瞭に捉える。
- Sideマイク:必ず双指向性(Figure-8)。左右の位相差を正しく検出するために必須。
- MSデコーダ:ハードウェアのMSトランスフォーマや、DAW内のMSエンコーダ/デコーダ、プラグインで実現可能。
商用のMS専用カプセルやMSコンビネーションマイクを使えば設置が簡単になります。SchoepsやNeumannなど主要メーカーからMS対応カプセルやキットが提供されています。
マイクの配置と実践的セットアップ
MSの配置は比較的単純ですが、正確さが音像に直結します。典型的な手順は次の通りです。
- Midマイクを音源正面の最適な位置に向けて設置する。
- SideマイクのFigure-8は左右が等しく拾えるようにMidの側面(同一垂直軸上)に配置する。多くの実践ではMidとSideのカプセル中心をできるだけ近接させることで位相問題を最小化する。
- 距離や角度は音源や環境に合わせて調整。室内全体を拾う場合はMidにオムニを使うこともある。
屋外やライブでは風防やショックマウントを併用し、S/N確保と不要振動対策を行います。
デコードとポストプロダクション(ミッド/サイド処理)
録音後、MS信号をステレオに変換(デコード)する工程はDAW上で容易に行えます。多くのプラグインはMSエンコード/デコード機能を備え、さらにMidとSideを個別にEQやコンプレッション処理する「ミッド/サイド処理(M/S処理)」が可能です。
典型的な活用例:
- Midにボーカルやキックの明瞭性を出すためのEQをかけ、Sideにはリバーブやハイシェルフで広がりを強調する。
- Side側をコンプで抑えて過度なサイド成分を潰し、センターを太くする。
- マスタリング段階でSideのレベルを下げてモノ互換性や低域の安定性を確保する。
このように、MとSを独立して処理できる点がMS方式の最大のメリットです。
利点
- 高いモノ互換性:Sideをゼロにするだけで問題なくモノ再生が可能。
- ポストでのステレオ幅調整:録音後に音場の広さを自在にコントロールできる。
- 個別処理の自由度:中央成分と側面成分を独立してEQ/コンプ処理できる。
- 少ないマイク数でステレオが得られる:2チャンネルでステレオ情報を確保できる。
注意点と落とし穴
MSには扱い上の注意点もあります。
- SideにFigure-8を用いるため、正しい極性(位相)管理が必須。逆相になっているとステレオイメージが崩壊する。
- 低域での位相干渉:特に低域ではミッドとサイドの合成で位相的な相殺が起こりやすい。必要に応じて低域をモノマージする処理を行う。
- 設置のずれや距離差で位相問題が生じることがあるため、カプセル中心の位置関係をできるだけ近づけることが望ましい。
- 極端なSideブーストはミックスの安定性を損ない、耳障りな広がりや定位の不確かさを招く。
具体的な応用例
MSは多くの場面で有用です。いくつかの代表的な応用を紹介します。
- アコースティックギター:近接のMidでボディの質感を、Sideでルームの広がりを捉え、ミックスでバランスを取る。
- ボーカルとアンビエンスの同時記録:Midでボーカルの存在感を確保し、Sideで空間感を後から調整。
- オーケストラやアンサンブル:少数のマイクで自然なステレオイメージを作り、録音後にステレオ幅を調節して放送用に最適化する。
- 放送・フィールド録音:モノラル受信環境でも自然に再生される点が重要。
実践的なチェックポイント
収録時およびミックス時に確認すべき点をまとめます。
- SideマイクがFigure-8であること、かつ左右の極性が正しいことを事前にチェックする。
- 録音中にモニターでMのみ、Sのみ、MSデコードのそれぞれを確認する。これにより問題の早期発見が可能。
- 低域の安定化のためにハイパスフィルタをSideに入れる運用を検討する(一般に40–120Hz付近)。
- ステレオ幅を極端に拡げる場合はリスナーの再生環境(ヘッドフォン/スピーカー)で必ず確認する。
まとめと今後の展望
MSステレオはシンプルながら柔軟性に富んだ手法で、収録からミックス、マスタリングまで多用途に使えます。モノ互換性を保ちながら後処理で空間感を調整できる点は、現代の多様な再生環境に非常に適しています。DAW上のプラグインや専用ハードウェアにより、かつてより導入のハードルは格段に下がりました。プロ・アマ問わず、ステレオ収録の引き出しとしてMSを習得しておく価値は高いでしょう。
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参考文献
- Mid-side recording — Wikipedia
- Mid/Side Recording — Sound On Sound
- Mid-Side Recording — Schoeps Knowledge Base
- Mid-Side Recording — Neumann
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