ENIACとは何か:初の汎用電子計算機が切り開いた現代コンピュータ史と影響

はじめに — ENIACとは何か

ENIAC(Electronic Numerical Integrator and Computer)は、1940年代半ばにアメリカ合衆国で開発された電子式汎用デジタル計算機です。ジョン・モークリー(John Mauchly)とJ. プレズパー・エッカート(J. Presper Eckert)がペンシルベニア大学ムーア工学部(Moore School)で設計・製作したもので、「真空管を用いた初の大規模な汎用電子計算機」として歴史的に大きな意味を持ちます。ENIAC は軍の弾道計算を目的に資金提供を受け1943年に開発が始まり、1945年に完成、1946年に公開されました。

開発の背景と目的

第二次世界大戦中、米軍は弾道表(砲弾の飛翔軌道を示す表)の作成に膨大な手計算を必要としていました。ENIAC の開発はアメリカ陸軍造兵局(U.S. Army Ordnance)による資金提供を受け、従来の機械式・電気機械式計算機より遥かに高速で大量の数値計算を行える電子式計算機を目指したものです。

設計者とチーム

  • 設計者:ジョン・モークリー(John Mauchly)、J. プレズパー・エッカート(J. Presper Eckert)
  • 開発機関:ペンシルベニア大学ムーア工学部(Moore School of Electrical Engineering)
  • 重要な協力者:数学者・理論面ではジョン・フォン・ノイマンらが関与(EDVAC 構想への影響を通じて)、また実装と運用では多数の技術者と「ENIAC プログラマ」として知られる女性群が重要な役割を果たしました。

ハードウェア構成と基本仕様

ENIAC は当時としては前例のない規模の電子機器でした。代表的なハードウェア仕様は以下の通りです。

  • 真空管数:17,468本(主要素子として大量の真空管を使用)
  • 抵抗器・コンデンサ等:数万個規模(典型的に約70,000本の抵抗や多数のコンデンサが使われたとされる)
  • 電力消費:約150キロワット(設置には専用の電力供給と空調が必要)
  • 占有面積:約1,800平方フィート(約167平方メートル)とされ、重量は数十トン(しばしば約30ショートトンと記される)
  • 数値表現:十進(デシマル)表現を採用。1桁を10進で表す「桁」構造を持つ
  • 主要構成ユニット:20個の加算器(Accumulators)、乗算器、除算器/平方根器、関数テーブル(Function Tables)、マスター・プログラマ(Master Programmer)、入出力装置(パンチ・リーダーなど)
  • 演算速度(代表値):加算は約5,000回/秒、乗算は約357回/秒、除算は数十回/秒(約38回/秒 として紹介されることが多い)

アーキテクチャの特徴

ENIAC の特徴は「完全電子式」「デジタル」「汎用」である点です。ただし現代の意味での「命令を記憶する記憶機構(ストアドプログラム)」を持つコンピュータではありませんでした。プログラム(計算の流れ)は主に配線、ジャンパ、スイッチ、関数テーブルの設定、そしてマスター・プログラマによるタイミング制御で定義されました。これにより物理的に配線を変更することで別の計算問題を実行するという方式でした。

ただし、1948年以降に行われた改良により、一部の機能を利用して「命令(ある種のコード)を関数テーブルに格納して実行する」手法が導入され、再配線の手間を減らし柔軟性を高める工夫がなされました。これらの経験は、フォン・ノイマンがまとめた EDVAC のアーキテクチャ(「First Draft of a Report on the EDVAC」)に強く影響を与え、後のストアドプログラム方式の普及につながっています。

プログラミングと「ENIAC プログラマ」たち

ENIAC のプログラミングは現在のプログラミング言語やコンパイラとは全く異なり、配線とスイッチ設定によってアルゴリズムを機械に物理的に組み込む作業を意味しました。機械のセットアップには数週間から数か月かかることがありました。

この作業を担った女性群(通称「ENIAC プログラマ」)の存在は近年脚光を浴びています。代表的なメンバーとしてケイ・マクナルティ(Kay McNulty)、ベティ・ホランド(Betty Holberton / Snyder)、フランシス・スペンス(Frances Spence)、ドロシーらが挙げられます。彼女たちは複雑な物理配線、タイミング制御、デバッグをこなし、ENIAC に現実的な計算問題を解かせるための知的労働を担いました。

代表的な用途と実運用

  • 弾道計算(初期の主要目的):砲弾の軌道や爆発の影響、軍需関連の数値解析
  • モンテカルロ法による数値シミュレーション:原子爆弾・熱核兵器の設計検討など、ロスアラモス等での研究に応用
  • 科学技術計算全般:微分方程式の数値解、構造解析など

ENIAC はペンシルベニア大学での公開デモの後、軍の研究拠点(たとえばアバディーン試験場:Aberdeen Proving Ground)へ移され、1950年代半ばまで運用されました。

ENIAC の功績と歴史的評価

ENIAC は「初の電子式汎用デジタルコンピュータ」として歴史に残りますが、その「初性」を巡る議論は存在します。例えば、ジョン・アタナソフとクリフォード・ベリーが開発した Atanasoff–Berry Computer(ABC)はENIACより前に電子的要素を用いており、またイギリスの Colossus は暗号解読のための電子式計算機でプログラム可能でした。つまり「世界最初のコンピュータ」という単純な称号は文脈依存であり、ENIAC は「汎用性」「大規模電子実装」「実運用」という点で極めて重要な里程標となった、というのがより正確な評価です。

さらに、ENIAC の開発で得られた経験と実装上の教訓は、EDVAC・EDSAC など後続のストアドプログラム方式のコンピュータに強く影響を与え、コンピュータアーキテクチャの発展に寄与しました。

技術的限界と課題

  • 真空管の大量使用に伴う故障頻度:真空管の寿命や発熱、信頼性問題への対処が必要だった
  • 大消費電力と空調・施設コスト:設置には相応の設備が必要
  • プログラムの書き換えが物理的に大変:柔軟性は低く、デバッグや変更に手間がかかった
  • メモリや格納機構が限られていた:現代の意味でのランダムアクセスメモリは未整備

遺産と保存

ENIAC の多くの部品は解体されましたが、重要なパネルやユニットは博物館に所蔵・展示されています。ペンシルベニア大学やスミソニアン国立アメリカ歴史博物館(Smithsonian National Museum of American History)、コンピュータヒストリーミュージアム(Computer History Museum)などが資料や解説を所蔵しており、ENIAC の実物や復元モデル、設計資料を通じてその歴史的価値が伝えられています。

現代へのインパクト

ENIAC の登場は「計算」という行為の速度とスケールを根本的に変え、科学・軍事・工学・経済などの分野で数値解析の可能性を一気に広げました。また、プログラミング概念の発展(手続き化、ルーチン化、後のコンパイラや高級言語の発想)やアーキテクチャ設計(ストアドプログラム方式への発展)の礎を築いた点で、現代のコンピュータサイエンスにとって不可欠な歴史的事件となっています。

結論

ENIAC は技術史上のマイルストーンであり、単に「巨大な機械」であっただけでなく、電子計算の実用化・普及とそれに伴う概念的変革を促した点で重要です。真空管時代の工学的挑戦、配線によるプログラミングとそれを可能にした才能ある技術者・プログラマたち、そしてその後のコンピュータアーキテクチャへの影響――これらが組み合わさって、ENIAC は今日に至るコンピュータ社会の起点のひとつとなりました。

参考文献