マスター音源とは何か:保存・権利・制作・配信までの完全ガイド
マスター音源とは—基本定義と重要性
マスター音源(マスター)は、楽曲や録音作品の“最終的な音の原盤”を指します。具体的には、レコーディングとミックス作業を経てマスタリングされたステレオ(またはサラウンド)ファイルや物理媒体で、CDプレス、配信、ストリーミング配信などの複製・配布の基礎となるものです。マスターは、作品の音質やタイムコード、メタデータなどを含む“正式な版”であり、その所有と管理が商業利用やライセンスに直結します。
マスターとセッション/ステムの違い
よく混同される用語に「セッション」や「ステム」があります。セッション(マルチトラック録音ファイル)は、各楽器やボーカルの個別トラックを含む作業用データであり、リミックスや修正が可能です。ステムはベース、ドラム、ボーカルなど複数トラックをまとめた中間的なグループバウンスです。対してマスターは最終的なトラック群を整え、トラック順・インデックス・ギャップ・フェード等を含めた“公開用”の完成版です。
技術的側面:フォーマットと品質管理
マスターは保存フォーマットやビット深度、サンプリング周波数によって品質や用途が変わります。アナログ時代はテープがマスターでしたが、現在は主にデジタルWAV/AIFF(非圧縮)で保管されます。一般的なマスター規格としては24bit/48kHzや24bit/96kHzが多く、アーカイブ用にはさらに高解像度(24bit/192kHz)が推奨されることがあります。
- マスター配信用ファイル:非圧縮PCM(WAV/AIFF)
- アーカイブ:高サンプリング(96–192kHz)、24bit以上
- SACDや一部ハイレゾで用いられるDSDなど特殊フォーマットも存在
- 製造用イメージ:DDP(Disc Description Protocol)といったディスクイメージがCDプレスで使用される
マスタリングとリマスタリングの違い
マスタリングはミックスされたステレオ音源を最終調整し、全体の音質や音量バランス、周波数帯域、ステレオイメージ、最終フォーマットの最適化(例:ストリーミング、CD、アナログプレス)を行う工程です。一方、リマスタリングは既存のマスターやアーカイブから再度処理を行って新たなマスターを作ることを指します。リマスタリングは音質改善、ノイズ除去、フォーマット変換、ラウドネス調整のために行われますが、楽曲構造そのものを変える点で「リミックス」とは区別されます。
保存とアーカイブ:物理媒体とデジタル保全の実務
オリジナルのテープやデジタルファイルは適切に保存する必要があります。テープ素材(アナログやDAT)には「スティッキー・シェッド症候群(Sticky-shed)」のような劣化が起きるため、再生前に“テープベイク”などの保存処置が必要になることがあります(Library of Congress等が保存処理手順を公開)。デジタルファイルは複数のバックアップ(オフサイト含む)を持ち、LTOなどの長期保管メディアやクラウドストレージでリダンダンシーを確保します。
メタデータと識別子(ISRCなど)
マスターにはトラック名、アーティスト、クレジット、著作権表示、ISRC(国際標準レコーディングコード)などのメタデータを埋め込むことが重要です。ISRCは個々の録音を一意に識別するコードで、ロイヤリティ収集や配信管理に不可欠です。配信時のメタデータ不備は収益の取りこぼしや著作権帰属の混乱を招くため、納品前にきちんと整備しましょう。
権利関係:マスター権と楽曲著作権の違い
重要な点として、マスター権(レコーディングの著作隣接権)は楽曲の作詞・作曲に対する著作権(著作権)とは別個の権利です。マスターの所有者は音源の複製・配布・サンプリングやマスター使用に関するライセンスを許諾できます。商業レコード契約では多くの場合レーベルがマスター権を保有する形が一般的ですが、アーティスト側がマスターを保持する契約(例:インディペンデント契約や特約)も増えています。マスター所有を巡る紛争や再録音(re-recording)による対応の事例も近年注目されています。
マスター所有をめぐる実例(概略)
近年、著名アーティストがマスターの所有権や販売に関して注目を集めるケースがありました。一部のアーティストは既存マスターの権利問題を理由に、マスターを自らの手で再録音し(re-record)、新たなマスターを作ることで楽曲のコントロールを取り戻す手段を選択しています。商業的および法的な事情が複雑に絡むため、契約締結時点での権利関係の確認と契約条項の精査が不可欠です。
配信時代のマスター:プラットフォーム基準とラウドネス
ストリーミングサービスはラウドネス正規化を行い、再生時に音量を均一化します。Spotifyなどはラウドネス正規化を導入しており、プラットフォームごとに最適なラウドネス目標やファイル要件(サンプルレート、ビット深度、フォーマット)が異なります。そのため、配信用マスターは各プラットフォーム向けの最終ファイル(例:配信用WAV、配信用マスターが別途必要)を用意するのが一般的です。配信での音質確保には、配信プロバイダの最新ガイドラインを参照して納品することを推奨します。
リストアと補正技術
古いマスターの復元にはデノイズ、クリック除去、スペクトル修復、イコライゼーション、ダイナミクス補正などのデジタル技術が用いられます。劣化したアナログソースは高品質なデジタル転送のあとに専門的な修復を行い、場合によっては原音のニュアンスを尊重して最小限の処理に留める判断が重要です。テープソースの物理的修復や最適な再生機材選定も結果を左右します。
マスターの提供・納品チェックリスト(実務的アドバイス)
- 原本保存:可能ならオリジナルテープやハイレゾファイルを安全に保管
- ファイルフォーマット:非圧縮WAV/AIFF、ビット深度とサンプリングを明記
- メタデータ:ISRC、楽曲・演者情報、作詞作曲クレジットを埋め込む
- ラウドネス:配信先の推奨LUFSを確認して必要なマスターを用意(プラットフォームにより基準が異なる)
- バックアップ:複数の物理コピーとクラウド保管、周期的なデータ整合性チェック(チェックサム等)
- 契約確認:マスター権の帰属、利用許諾の範囲を明確化
将来動向:ブロックチェーンやNFT、クラウド・アーカイブ
マスター権と収益分配の透明性を求める流れの中で、ブロックチェーンを用いた権利管理やNFTを通じたマスターの限定販売、クラウドベースのマスター管理プラットフォームといった技術的試みが進んでいます。ただし法的整備やインフラの成熟に時間を要し、実務上の採用はケースバイケースです。
制作側・アーティストへの提言
- 契約段階で「マスター権」の取り扱いを明確にする(所有かライセンスか)
- 制作時から高解像度での保存とメタデータ埋め込みを習慣化する
- リリース用とアーカイブ用のマスターを分けて管理する
- 配信プラットフォームごとの納品仕様とラウドネス基準を常に確認する
- 貴重なアーカイブ素材は保存処理(テープベイク等)と専門家によるデジタル化を検討する
まとめ
マスター音源は音楽作品の“公式な原盤”として、品質管理、権利管理、配信・製造において極めて重要です。適切な保存、明確な権利契約、メタデータ管理、配信基準への対応が揃って初めてマスターは作品の価値を守る資産となります。制作・管理の各段階で専門知識を持つエンジニアや弁護士と連携することを推奨します。
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参考文献
- Library of Congress — Care and handling of recorded sound materials
- U.S. Copyright Office — Copyright basics (sound recordings)
- IFPI / ISRC — International Standard Recording Code
- Spotify for Artists — What is normalization?
- EBU R128 — Loudness Recommendation
- Rolling Stone — Explainer: Re-recording masters (事例解説)
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