バセット・クラリネットの世界:歴史・構造・演奏実践とモーツァルト作品の真実に迫る

バセット・クラリネットとは

バセット・クラリネットは、通常のクラリネットの低音域を下へ拡張した楽器で、18世紀後半に発達しました。外見は一般的なB♭管やA管のクラリネットと類似しますが、管の下部を延長し、追加のキーを備えることで、通常のクラリネットよりさらに低い音域を演奏できます。しばしばモーツァルトが友人の演奏家アントン・シュタートラー(Anton Stadler)のために書いた作品と結び付けて語られることが多く、特にクラリネット協奏曲やクラリネット五重奏曲に関する議論で注目されます。

歴史的背景

バセット・クラリネットの起源は18世紀後半に遡ります。ウィーン周辺のクラリネット奏者たちが低音域の拡張を求めたことから生まれ、職人が既存のクラリネットに下部を延長する改良を施したのが始まりです。アントン・シュタートラーはこうした拡張型の楽器を使用した著名な奏者で、モーツァルトは彼のために作品を作曲しました。その結果、バセット・クラリネットは当時限られた演奏家とレパートリーのもとで用いられる特殊な楽器となりました。

19世紀以降、クラリネットの標準化(キーシステムの改良や製造の効率化)が進む中で、バセット・クラリネットは次第に使用頻度が低下しました。20世紀後半になって歴史的演奏の復興や学術的研究が進むと、モーツァルト作品の原型に近い版を復元する試みが行われ、バセット・クラリネットの復興が起こりました。以降、専門家によるレプリカ制作や改良型の製造により、現代の演奏家もバセット・クラリネットを用いて演奏・録音を行うようになりました。

構造と音域

バセット・クラリネットの最大の特徴は下部の延長と追加キーです。具体的には管体の下端を長くして追加の管棒(ボウ)とベルを設け、通常の最低音(一般的なクラリネットの最低音より数半音〜大きな三度分)よりさらに低い音まで出せるようにします。機種や調性(A管、B♭管)によって拡張される最低音の高さは異なり、低いC(written low C)まで伸びるもの、さらにC♯までの拡張を持つものなどがあります。

追加キーは親指や指にとって通常のクラリネットとは異なる操作感を生みます。低音域は音色が豊かになる一方で、機械的な複雑さや調整のシビアさが増すため、製作・調律・メンテナンスの高度な技術が必要です。音響的には低音がより充実し、特に室内楽や古典派の低音ラインにおいて独特の存在感を発揮します。

モーツァルトとバセット・クラリネット:作品と議論

モーツァルトがアントン・シュタートラーのために書いたとされるクラリネット五重奏曲(K.581)とクラリネット協奏曲(K.622)は、しばしばバセット・クラリネットのために書かれた、あるいはその楽器の能力を念頭に置いて作曲されたと説明されます。これらの作品には低音域を生かしたフレーズが含まれており、オリジナルの意図を考える際にバセット・クラリネットの存在は重要な手がかりになります。

ただし史料的には諸説あります。モーツァルトの筆写譜や写譜の状況、初演時の楽器の正確な仕様に関しては研究者の間で慎重な検討が行われてきました。20世紀以降、研究者や演奏家がバセット・クラリネット用の復元版を制作し、これに基づいた演奏や録音が増えたことで、モーツァルト作品の新たな解釈が提示されています。

重要な点として、現代の標準的なクラリネット編成(A管やB♭管のみ)でもこれらの作品は問題なく演奏されるように編曲やカットがなされてきたため、バセット・クラリネットが必須ではありません。一方で、バセット・クラリネットを用いることでモーツァルトが意図したであろう低音の持続やフレージングをより忠実に再現できる場合があります。

主なレパートリー(歴史的・現代)

  • モーツァルト:クラリネット五重奏曲 K.581、クラリネット協奏曲 K.622(バセット版の復元・演奏が行われている)
  • 18世紀末〜19世紀初頭の一部の室内楽作品:当時の奏者の要求によって特注された低音拡張が活かされることがあった
  • 現代作品:近現代以降の作曲家がバセット・クラリネットの音色や拡張された低域を活かして新作を書いた例もある(専用作品は多くはないが、作曲家の関心は高い)

演奏実践と版(エディション)の問題

バセット・クラリネットに関する演奏実践では、楽譜の版が重要な論点となります。モーツァルトの協奏曲・五重奏曲には、標準クラリネット向けに簡略化・移調された伝統的な版と、バセット・クラリネットの低域を復元あるいは忠実に反映した新版があります。どの版を用いるかは演奏意図によって決まりますが、歴史的な意図を重視する演奏家や団体はバセット版を選ぶ傾向があります。

バセット版を使用する場合、オーケストラや室内楽の他の奏者と音のバランスやタイミングを合わせるためのリハーサルが必要です。また、バセット固有の音色やパッセージの響きを生かすための呼吸やフレージングの工夫も求められます。楽器の機械的な特性(追加キーや延長管の反応)は奏者の指使いや運指に影響を及ぼすため、慣れが必要です。

楽器製作と現代のメーカー

現代では歴史的なレプリカを作る職人と、モダンな設計でバランスを取った製品を作るメーカーの双方が存在します。ドイツ系の工房ではリードやボア、キー配置など伝統的な設計を重視する傾向があり、フランス系メーカーは音色の明瞭さや均一性を重視します。いずれの流派でも、バセット・クラリネットは通常のクラリネットに比べて製作の手間が多く、価格も高くなることが一般的です。

国内外の楽器店や専門工房で受注生産されるケースが多く、レンタル楽器の流通は限られています。そのためコンサートや録音で使用する場合、事前に楽器手配や試奏の時間を十分に確保する必要があります。

録音とリスナーへの聴きどころ

バセット・クラリネットを用いた演奏を録音で聴く際は、低音域の「伸び」や和声中での低音の立ち上がりに注目してください。モーツァルト作品であれば、低音域に降りるフレーズが和声の完成感や終止感を強める効果があります。現代録音では、歴史的な楽器編成(古楽器オーケストラ)と現代オーケストラの両方でバセット・クラリネットの使用例があり、音色や響きの違いを比較することは非常に興味深いでしょう。

教育・普及と今後の展望

バセット・クラリネットは専門性が高いため、教育機関やオーケストラの標準カリキュラムには必ずしも組み込まれていません。しかし、歴史的演奏やモーツァルト研究の進展、専門の奏者による公開マスタークラスや録音の増加により、関心は高まっています。今後は作曲家による新作委嘱や既存作品の新たな解釈が進むことで、バセット・クラリネットの演奏機会が増える可能性があります。

実践的なアドバイス(奏者・演奏会主催者向け)

  • 楽器の手配は早めに:レンタルが少ないため購入または専門工房への発注が必要になることが多い。
  • リハーサルでのバランス調整:低音の響きが大きく異なるので、オーケストラや室内楽の合わせを入念に行う。
  • 版の選択:演奏目的(歴史的再現 vs 実用性)に応じて、バセット版か標準版を選択する。両方の版の譜めくりや移し替えの準備も有益。
  • メンテナンスと調律:追加キーは調整が必要になりやすいので、信頼できる技術者との連携を確保する。

まとめ

バセット・クラリネットは、クラリネットのレパートリー、とりわけモーツァルトの重要作品を読み解く鍵の一つです。低音域の拡張が楽曲にもたらす音色と和声的効果は魅力的であり、現代における復元と創造によって新たな演奏の可能性を広げています。一方で楽器の入手・調整の難しさや演奏実践上の工夫が求められるため、演奏・企画にあたっては事前準備が不可欠です。歴史研究と実践演奏が連動することで、バセット・クラリネットの理解と普及はこれからさらに進んでいくでしょう。

エバープレイの中古レコード通販ショップ

エバープレイでは中古レコードのオンライン販売を行っております。
是非一度ご覧ください。

エバープレイオンラインショップのバナー

また、レコードの宅配買取も行っております。
ダンボールにレコードを詰めて宅配業者を待つだけで簡単にレコードが売れちゃいます。
是非ご利用ください。
https://everplay.jp/delivery

参考文献