バッハとシェメッリ賛美歌集(BWV 439–507):起源・作曲帰属・演奏と解釈の深層ガイド

はじめに — シェメッリ賛美歌集とは何か

「シェメッリ賛美歌集」(Musicalisches Gesang-Buch)は、ゲオルク・クリスティアン・シェメール(Georg Christian Schemelli)が編集・刊行した讃美歌集で、1736年に出版されました。本書に収められている曲のうち、バッハ作品目録(BWV)ではBWV 439からBWV 507までの69曲が「シェメッリ賛美歌集」としてまとめられています。これらは礼拝堂や家庭での個人的な信仰生活(私的崇拝)を念頭に置いた短い宗教歌曲で、単旋律(旋律)と通奏低音(basso continuo)の省略的な伴奏表記を特徴とします。

歴史的背景:1736年のライプツィヒとピエティズム

1736年当時、ヨハン・セバスティアン・バッハは1723年からライプツィヒのトーマス教会(Thomaskirche)でトーマスカントル(音楽監督)を務めており、教会音楽と教育活動に深く関わっていました。一方で18世紀前半のドイツではピエティズム(敬虔主義)が広がり、個人的・内面的な信仰表現を重視する賛美歌や短い霊歌が盛んに用いられていました。シェメッリの讃美歌集は、そのような信仰的・社会的背景のなかで生まれ、家庭で歌う簡潔な曲集として意図されたものです。

楽曲の特徴と編成

  • 収録形態:多くの曲は旋律(上声)を五線譜で示し、下に通奏低音のための単純な低音線と数字(通奏低音の和声記号)が付されている。つまり、完全な四声体の対位法的作品ではなく、歌と伴奏(通奏低音)を前提にした小品群である。
  • 音楽様式:賛美歌的で叙情的、しばしば狭い音域と反復的なフレーズを持ち、即興的に装飾可能な余地を残す。旋律にはルネサンスからバロック初期にかけての教会旋法の影響や民謡的要素も見られる。
  • テキストと用途:多くが短い宗教詩(賛美、祈り、死後希望等)を歌詞とし、通奏低音による簡潔な和声付けは家庭礼拝や個人的黙想での使用を想定している。

バッハの関与と作曲帰属をめぐる議論

シェメッリ賛美歌集におけるバッハの関与は長年にわたって学術的議論の対象となってきました。重要な点は次の通りです。

  • 目録上の帰属:BWV 439–507という番号付けにより、これらはバッハに関連づけられているが、実際には全曲をバッハ自身が作曲したとは断定できない。
  • 実際の貢献の程度:研究者の共通認識としては、バッハはこれらの曲のうち少数については全曲(旋律+和声)またはかなりの部分を作成・整備した可能性がある一方で、多くは既存の旋律に通奏低音や和声付けを施しただけと考えられている。つまり、バッハは編曲者・装飾者・和声付けの提供者として関与したケースが多い。
  • ソースの限界:原典の表記はしばしば簡潔であり、旋律の出所が明示されていないものが多い。17–18世紀の讃美歌伝承では旋律が口承で広まったり、他者の作品が転用されることが一般的であったため、現代の厳密な作曲帰属は困難である。

このため現代の編集や研究は、バッハが何をしたのかを曲ごとに慎重に検証し、「バッハ作曲」「バッハによる伴奏付け(編曲)」など複数のカテゴリで分類することが一般的です。学術版やカタログ(例えばNeue Bach-AusgabeやBach-Werke-Verzeichnisに基づく研究)は、曲ごとの史料批判を反映した注記を付けています。

音楽的・様式的考察:小品としての魅力

シェメッリ賛美歌集の魅力は、簡潔さと内面的な表現にあります。旋律は直接的で歌いやすく、和声付けは歌詞の語感や意味に即して簡潔に配置されています。以下に幾つかの注目点を挙げます。

  • 語尾処理と和声の役割:通奏低音は単なる伴奏以上に、語尾での和声変化や句切れの提示を通してテキストの意味を強調する役割を果たす。
  • モード的響き:一部の旋律には教会旋法の名残があり、単純な長調/短調だけでは説明しきれない色彩感を与えている。
  • 即興と装飾の余地:省略された部分(例えば和声の細部や装飾)は演奏者の即興技術を想定しており、時代の実践に従えば鍵盤奏者やリュート奏者が個々に肉付けして演奏することが期待されていた。

演奏と実践上の留意点

現代の演奏では、次の点を検討すると良いでしょう。

  • 編成:独唱(ソプラノ/アルトなど)と通奏低音(チェンバロ、オルガン、チェロやヴィオラ・ダ・ガンバなどの低音楽器)による伴奏が原理に忠実。室内楽的に鍵盤+弦(またはリュート)を組み合わせる例も多い。
  • テンポと表情:歌詞の意味を第一に据え、過度なロマンティックな揺れやテンポの揺らぎは控えめに。バロック的な詩情を保ちながら、語るようなアーティキュレーションが望ましい。
  • 装飾:旋律自体は簡潔なので、声楽家はフレーズ終わりや要所で装飾を用いて句読点的効果を与えることができる。ただし、過度の装飾はテキストの明瞭性を損ねる。

現代への受容と録音史

20世紀後半以降、歴史的演奏法の復興とともにシェメッリ賛美歌集も注目され、通奏低音を伴った小編成での録音がいくつも制作されました。研究者と演奏家は、バッハの関与の程度を踏まえつつ、これらの小品をバッハの内面的側面を映す窓として評価する傾向があります。学術版や批判校訂(Neue Bach-Ausgabeや各種楽譜出版社の校訂版)を参照し、史料に忠実な解釈を心がけることが推奨されます。

編集と研究の現状

近年の研究は史料学的なアプローチを強め、曲ごとの原典写本、シェメッリ版の校訂史、バッハの筆跡や和声語法との比較などを通じて帰属問題に光を当てています。Bach Digitalのようなデジタル資源やIMSLP上の原典スキャンの公開により、研究・教育上のアクセスが容易になり、再評価が進んでいます。

まとめ:シェメッリ賛美歌集が現代に伝えるもの

BWV 439–507に収められたシェメッリ賛美歌集は、バッハという巨匠の多面性を考えるうえで興味深い資料です。完全な作曲者帰属が確定していない曲が多いにもかかわらず、そこから聴こえてくるのは18世紀の信仰生活の息遣いと、簡潔な音楽表現に宿る深い情感です。演奏者は史料に基づいた慎重な解釈を行いつつ、個人の信仰や黙想のための音楽としての特性を重視して演奏することで、現代の聴衆にもその魅力を伝えることができるでしょう。

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参考文献