バッハ:BWV 904 幻想曲とフーガ イ短調 — 構造・演奏・歴史を読み解く

はじめに — BWV 904 の位置づけ

ヨハン・セバスティアン・バッハの鍵盤作品群のなかで、BWV 904「幻想曲とフーガ イ短調」は、劇的で即興的な幻想曲と厳格な対位法のフーガが対照をなす作品です。一般にはチェンバロやクラヴィコード、オルガンといった鍵盤楽器のために書かれたと考えられており、演奏史や楽譜伝承の点で必ずしも主要レパートリーに挙げられる作品ではありませんが、音楽的独自性と解析の面白さで研究・演奏の価値が高い作品です。

史的背景と成立事情(確定情報と不確定要素)

BWV 904 の正確な成立年ははっきりしていません。バッハの鍵盤ための幻想曲・フーガ類は生涯を通じて散発的に制作されており、初期から成熟期にかけて作風に変化が見られます。BWV 904 は年代的に若年期からヴァイマル期(おおむね1700年代初頭から中葉)にかけての作例と共通する即興性・和声語法を示すため、早期から中期にかけての作品と位置づけられることが多いものの、確定的な史料による証明は限定的です。

写本や写譜伝承も断片的で、完全自筆譜が残っていない場合が多く、後世の写譜家や弟子たちによる写しが現存資料の主になります。したがって、版によって小節割や装飾、無音符の解釈などに違いが出ることがあります。研究・演奏にあたっては信頼できる校訂版や複数の写本・版を照合することが重要です。

作品の概観 — 形式と対比

作品は大きく二部構成で、前半が幻想曲(Fantasia、即興的な楽想)、後半がフーガ(Fuga、対位法)からなります。幻想曲は自由なテンポ感、装飾的なパッセージ、和声的驚き(借用和音や半音的進行)を特徴とし、フーガは主題の提示・模倣・展開・回帰という伝統的な対位法的手続きを踏襲します。

両者の対比が作品の魅力で、幻想曲で提示されたモティーフや和声的アイディアがフーガに影響を与える場合があり、作曲上の統一感が生まれます。幻想曲の即興性とフーガの厳格さは、バロック時代の鍵盤音楽における〈即興と構築〉の二重性を象徴的に示す好例といえます。

幻想曲の分析(主な特徴と聴きどころ)

  • 入口の扱い:冒頭は導入的でドラマティックな動機を含み、左手/下声部の低音ラインが強い推進力を与えることが多いです。
  • 即興的展開:分散和音、アルペジオ、トリルや短いパッセージの装飾が連続し、演奏者の表現やテンポの揺らぎ(テンポルバート)が効果的です。
  • 和声と転調:短三和音の借用、半音階的下降、予想外の転調で緊張が生まれ、最終的に主調であるイ短調への回帰やフーガへの橋渡しが行われます。
  • モティーフの提示:幻想曲内に顕著な小モティーフが現れ、フーガの主題や対位素材に繋がることがあります。これにより二部の一体感が生まれます。

フーガの分析(主題・構造・技巧)

フーガは明確な主題(subject)を持ち、各声部で模倣的に展開していきます。主題はリズムや音型に独自性があり、応答(answer)は調性上の変化を伴うことが多いです。展開部では転置や逆行、時にはスタッカート的な切り替えや斬新な和声進行を用いて緊張を作ります。

また、バッハのフーガに典型的なスタレート(stretto)や重積、縮小展開などの対位法的技巧が用いられ、終局に向けて動的に収束していきます。特にBWV 904 のフーガは、幻想曲で提示された和声的断片を主題・エピソードで再解釈することで、作品としての整合性を強めています。

演奏上のポイント — 楽器と解釈

演奏にあたってまず考えるべきは楽器の選択です。バッハの鍵盤作品は歴史的にはチェンバロやクラヴィコード、オルガンで演奏されてきましたが、現代ではピアノで演奏されることも多く、それぞれに表現の可能性が異なります。

  • チェンバロ/クラヴィコード:アーティキュレーションが明確で、フレーズごとの輪郭をはっきり表現できます。幻想曲の即興的な飾りやフーガの対位線の分離を重視する場合に有効です。
  • クラヴィコード:レガートや微細なニュアンス(タッチの変化)で内面的な表現を引き出せますが、音量の制約があるためホールでの演奏には工夫が必要です。
  • チェンバロと比べたピアノ:動的レンジと持続音の表現力が豊かなので、幻想曲のドラマティックな側面を強調したり、フーガの動的な盛り上がりを歌わせることができます。一方で音の重なりや明晰性の維持に注意が必要です。
  • オルガン:音色の持続と対旋律の明瞭化が可能ですが、思い切ったレジストレーション(ストップ選択)や手・足の分割管理が演奏の鍵となります。

表現面では、幻想曲では即興的自由さ(テンポルバート、装飾の選定)、フーガでは明晰な声部分離と一貫した拍子感が求められます。装飾音(トリルやインクルード)は史的奏法に配慮しつつ、楽曲の文脈に即した選択をすることが重要です。

校訂・版の選び方と楽譜に関する注意点

BWV 904 のような作品は、写本や初期の版で差異が存在することがあるため、信頼できる校訂版を参照してください。現代の良質な校訂版はバッハ研究の成果を取り入れており、装飾の注記や音価、誤記訂正の情報が整理されています。複数版を照合して、自分の演奏解釈に必要な情報を見極めるのが望ましいです。

聴きどころと解釈の提案

初めて聴く人には以下の点を意識して聴くことを薦めます:

  • 幻想曲の冒頭から中盤にかけてのテンポ変化と緊張の作り方
  • 幻想曲で提示される小モティーフがフーガでどのように変容するか
  • フーガの主題が現れるたびの声部の入り方と、その模倣の技巧
  • 終結部での和声的・対位法的な収束の仕方

演奏者としては、幻想曲の自由さをフーガへの橋渡しと捉え、フーガでは形式の厳格性を守りつつも音楽的な呼吸を失わないことが理想的です。

録音・演奏史(参考としての視点)

BWV 904 は BWV 群の中で最も頻繁に演奏される曲ではありませんが、歴史的演奏(チェンバロやクラヴィコード)と近代ピアノによる録音の両方が存在します。演奏解釈は奏者によって大きく異なり、ハルモニクスやテンポ、装飾の扱いで各録音に個性が見られます。興味がある場合は、史的奏法に基づく演奏とモダン・ピアノの対照を聴き比べることで作品の多面性をより深く理解できます。

まとめ — BWV 904 が示すもの

BWV 904「幻想曲とフーガ イ短調」は、バッハ的世界観――即興と厳格な対位法、瞬間的な感情の爆発と構築的な論理――を小品ながら凝縮して見せる作品です。成立年代や伝承に不確定な部分があるため、楽曲研究や演奏においては一次資料や校訂版を丁寧に照合する姿勢が求められます。演奏者・聴衆ともに、幻想曲の即興性とフーガの技巧的節制という対比を意識すると、作品の深みをより強く感じ取れるでしょう。

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参考文献