バッハ BWV972(協奏曲第1番 ニ長調)徹底ガイド:起源・構造・演奏の聴きどころ
概要:BWV 972とは何か
BWV 972 は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハが手掛けた鍵盤協奏曲(ハープシコード独奏用への編曲)の一つで、ニ長調の三楽章形式(速—緩—速)をとる作品です。今日私たちが耳にする BWV 972 は、弦楽オーケストラと通奏低音を伴う協奏曲的な枠組みを鍵盤に置き換えた編曲として知られており、バロック期のイタリア協奏曲の様式、特にリトルネッロ形式(ritornello)を学ぶための教材的要素も持っています。
歴史的背景:なぜバッハはこうした編曲を作ったのか
バッハが BWV 972 を含む一連の協奏曲編曲(通称:BWV 972–987)を作成したのは、主に1710年代前半、ヴィヴァルディをはじめとするイタリアの協奏曲を学ぶ目的からと考えられています。特にヴァイオリン協奏曲集《ラ・ストロ・アルモニコ》(L'estro armonico, Op.3)など、イタリア楽派のリズム感やリトルネッロ構造、オーケストレーション技法を鍵盤楽器のために研究・応用することが狙いでした。これらの編曲群は、ライプツィヒ以前のヴァイマールやケーテン滞在期に作られた可能性が高いとされ、バッハの協奏曲観の形成に大きく寄与しました。
原型と編曲の性格
BWV 972 は既存のイタリア協奏曲を原型とした編曲であると広く考えられています。バッハは単に旋律を移し替えただけでなく、鍵盤楽器のための独自の技巧や装飾、両手の対位法的処理を加えており、原曲のテクスチャを鍵盤内で再構築しています。結果として、オリジナルのソロ楽器とオーケストラの対話を、鍵盤独奏の対位的展開や内声の精巧な処理で表現することになります。
楽章構成と音楽的特徴
明快なニ長調のリトルネッロに始まり、主題が管弦楽部分(鍵盤による模写)とソロ部分(鍵盤の独奏技巧)で交互に現れます。バッハは原曲の対話性を保ちながら、鍵盤独自のトリルやスケール進行、和音分散などを用いて音楽的な緊張と解放を強めています。リズムの切り分けと手の分配(伴奏的内声と旋律的上声の分離)が重要になります。
静謐で歌うような緩徐楽章は、オリジナルの側面を受け継ぎつつ、バッハならではの和声的展開や装飾が施されます。ハープシコードにおいてはダイナミクス表現が限られるため、音価の長短や装飾音、アゴーギク(間)での表情づけが演奏上の鍵となります。歌うラインを如何に自然に見せるかが演奏者の技術と解釈を試される部分です。
再び快活なリトルネッロ形式に戻り、物語の結びとして対位法的展開や活発な動機の連鎖が現れます。終結部では力感と機知をどう表すかが課題で、鍵盤のタッチやペダル(現代ピアノで演奏する場合)操作、あるいはチェンバロの指先技術が重要になります。
編曲技法:鍵盤における「オーケストレーション」
バッハは原曲のオーケストラ的テクスチャを鍵盤の範囲内で再現するため、以下のような手法を用いています。
- 主題の分割配置:旋律線を右手・左手で分割して対話を表現する。
- 内声の充実:低声部や内声の補強により和声進行を明瞭にする。
- 装飾とフィギュレーション:スケール、アルペッジョ、トリルなどでソロ的華やかさを補う。
- 対位法的展開:複数の独立線が絡み合うことで、管弦楽の複層的響きを模倣する。
演奏・解釈のポイント
BWV 972 を演奏する際の実践的な注意点を挙げます。
- 音色の区別:左手を低音の伴奏に、右手を旋律に明確に分ける。ハープシコードではタッチの変化で分離感を作る。
- リトルネッロの構造把握:リトルネッロ主題と独奏部の区別を理解し、再現と展開の対比を際立たせる。
- 装飾の選択:楽譜に示されない装飾は当時の慣習に従って適度に加える。過度なロマンティックな拡張は避ける。
- テンポ感:第1楽章・第3楽章は躍動感を保ちつつ、音楽的な呼吸点で微妙に緩める余地を持たせる。
- 低声部の輪郭:通奏低音の動きや和声の輪郭を明瞭にすることで、全体の進行が見えやすくなる。
楽器と音色:ハープシコード vs モダン・ピアノ
伝統的にはチェンバロ(ハープシコード)で演奏されることが多いですが、モダン・ピアノによる演奏も一般的です。チェンバロはダイナミクスの幅が小さい代わりに、クリアな音色と透明な線を与えます。モダン・ピアノはダイナミクスやペダルを用いてより幅広い表情を実現できますが、バロック的なアーティキュレーションや軽やかさを失わないことが重要です。演奏者は楽器の特性に応じて装飾やテンポ、アーティキュレーションを調整します。
楽曲の位置づけと影響
BWV 972 を含むバッハの鍵盤協奏曲編曲群は、単なる模写を超えてバッハ自身の作曲技法を養うための実験材料となりました。イタリア協奏曲の様式を吸収することにより、バッハは後の協奏曲作品や管弦楽曲(たとえばブランデンブルク協奏曲や独奏協奏曲群)においてより自由で洗練された対位法・楽想展開を行えるようになったと考えられます。つまり、BWV 972 はバッハの様式形成史における重要な一齣です。
版と写本:楽譜を読むときの注意
これらの編曲には複数の写本や校訂版が存在します。原写本はバッハの生前に散逸していることが多く、現代の版は各写本を比較・照合して整えられています。演奏や研究の際は、使用する版(バッハ社版、Bärenreiter、Henle など)を明確にし、装飾や連桁の解釈、移調や指示の差異を事前に確認することが望ましいです。
代表的な聴きどころ(リスナー向けガイド)
- 第1楽章:主題−短い室内的独奏句−主題の繰り返しというリトルネッロの対比を明確に追うと構造が見えてきます。
- 第2楽章:旋律の歌わせ方、内声の推移、和声の微妙な変化に耳を澄ませると、バッハの和声感覚が味わえます。
- 第3楽章:動機の反復と変形、終盤の決着感を楽しむ。速いパッセージでは指先の明瞭さが音楽の推進力になります。
学術的な位置づけと研究の視点
音楽学的には、BWV 972 に代表される鍵盤用編曲群は「模倣と創造」の良い事例として扱われます。単なる複写ではなく、バッハが他者の素材をどのように再解釈し、自らの語法に取り込んだかを検証することで、18世紀技法の移植と革新のプロセスが浮かび上がります。近年の研究では、版の系譜、写譜者の役割、地域的な演奏慣習の違いなどが詳述されており、演奏史的な側面からの再考も進んでいます。
聴き比べの薦め
同曲を聴く際は、チェンバロ演奏とフォルテピアノ・モダンピアノ演奏を比較すると興味深い発見があります。チェンバロは音の輪郭と対位法を明瞭に示す一方、モダン・ピアノは表情の幅や持続音の扱いで異なる説得力を示します。さらに、通奏低音を弦楽合奏が担う古楽アンサンブル版と、鍵盤独奏を重視した版とで、音響バランスや対話の印象が大きく変わります。
まとめ
BWV 972 はバッハがイタリア協奏曲の様式を吸収し、自身の鍵盤語法に翻訳した典型例です。学習用、演奏用、聴取用それぞれの観点で多層的な楽しみ方ができ、バロックの形式美とバッハの個性が結びついた作品と言えます。演奏者は楽器の特性と史的慣習を踏まえつつ、旋律の歌わせ方やリトルネッロの構造を明確に示す解釈を心がけると良いでしょう。
エバープレイの中古レコード通販ショップ
エバープレイでは中古レコードのオンライン販売を行っております。
是非一度ご覧ください。

また、レコードの宅配買取も行っております。
ダンボールにレコードを詰めて宅配業者を待つだけで簡単にレコードが売れちゃいます。
是非ご利用ください。
https://everplay.jp/delivery
参考文献
- IMSLP: Keyboard Concertos (Bach, Johann Sebastian) — 楽譜および写本情報の参照に便利です。
- Wikipedia: Keyboard concertos by Johann Sebastian Bach — 編曲群(BWV 972–987)の概説。
- Wikipedia: L'estro armonico — ヴィヴァルディの作品集(Op.3)についての解説。
- Bach Digital — バッハ作品のデジタル・アーカイブ(原典資料・写本情報の参照に有用)。
- Christoph Wolff, "Bach: Essays on His Life and Work"(Google Books 検索) — バッハ研究の総説的文献。
投稿者プロフィール
最新の投稿
ビジネス2025.12.29代金引換(COD)完全ガイド:EC事業者が知るべき仕組み・手数料・リスク対策
全般2025.12.29アンビエントドラムンベースの全貌:歴史・音響・制作テクニックと名盤
ビジネス2025.12.29コンビニ決済の全貌:導入・運用・リスク管理まで事業者が知るべき実務ガイド
全般2025.12.29アトモスフェリック・ヒップホップ入門:音像・制作技法・代表作で辿る進化と現在

